菅沼家ルーツ

宮城谷昌光氏の小説「風は山河より」で菅沼家3代が主人公になっていました。
菅沼家のルーツを探って見たいと思います。

菅沼定盈

2009-03-31 23:25:40 | 菅沼家ルーツ

 菅沼定盈の系統は丹波亀山藩定昭のとき無嗣改易となりますが、幕府の特別なはからいにより、弟定実に1万石が与えられ名跡継続を許されます。定実は7000石を拝領し弟定賞に3000石を分与します。このため菅沼家は大名ではなく、旗本として存続することとなりました。

ただ譜代の旧家ということもあり、交代寄合として大名並に参勤交代を行なったり、江戸城でも譜代大名と同じ帝監の間に詰め、幕府役職である大番頭なども歴任しています。


その他

2009-03-31 06:01:52 | 菅沼家ルーツ
 日本家系協会の菅沼一族の中でその他の菅沼氏。三河賀茂郡寺部邑神主菅沼兵部、八名郡金田村東頭天王社 社人菅沼氏。蒲生氏郷家臣菅沼助右衛門、越後謙信家臣菅沼氏、山形秋元藩重臣、西条松平藩重臣、八幡青山藩添役、長岡牧野藩用人、西尾松平藩年寄、福井松平藩重臣、中津奥平藩用人、津山藩五十石菅沼藤左衛門、大坂儒者菅沼東部、文庵、歌人菅沼斐雄、信濃の名医菅沼周桂などが記されている。

大名家から消えた菅沼家

2009-03-29 12:39:54 | 菅沼家ルーツ
 家康家臣として大名になった菅沼三家もそれぞれ大名家から消えてしまいます。吉井菅沼定利は子がなく、小幡藩奥平家より養子を迎え存続するも、美濃加納10万石右京の時無嗣廃絶により除封されてしまいます。また菅沼定盈の系統も丹波亀山藩定昭のとき無嗣廃絶により除封。菅沼定政は幕末まで存続するも苗字を土岐に戻してしまったので、すべて大名家からはなくなってしまいました。

菅沼治郎右衛門定清

2009-03-28 17:46:32 | 菅沼家ルーツ
上州にもう一つ菅沼城なる城があります。城主は菅沼定清といわれています。ただどの一族なのかその後どうなったのかまったく記録がないようです。現在は海雲寺という寺になっていて,菅沼定清の墓もあるようです。
 日本家系協会の資料によると、治郎右衛門を名乗っているのは長篠菅沼家の俊弘の系統であるが、定清の名は見当たりません。また真田家家臣の菅沼氏も治郎右衛門を名乗っているが、どの系統なのかわかりません。

阿保

2009-03-27 19:27:28 | 菅沼家ルーツ
 家康江戸移封の時、菅沼定盈が封ぜられた上州阿保。調べてみましたが,群馬県に阿保という地名は見つかりませんでした。新田郡とも言われていますが痕跡すらありません。埼玉県児玉郡上川町に元阿保という地名があります。多分ここがそうであろうと思われますが・・・。埼玉県秩父市にも阿保町というところがあります。菅沼定盈についてはあまり記録が残っていないようです。すぐに伊勢長島へ移ってしまったためと思われます。

元阿保

日本家系協会

2009-03-26 19:45:24 | 菅沼家ルーツ
 日本家系協会の菅沼一族という本があります。結構良く調べてあるようです。ただ駿河及び三河の菅沼家のことがほとんどです。他の発祥についてはあまり書かれていません。結局は静岡県駿東郡小山町菅沼と愛知県新城市作手菅沼に行きつくようです。いずれにしてもこの地の発祥の菅沼氏が広がっていったということなのかもしれません。

家紋③

2009-03-22 21:51:27 | 菅沼家ルーツ

菅沼家主要家紋

丸に九枚笹

亀甲に花菱

丸に抱き柊

抱き柊

九枚笹

丸に根笹

根笹

隅切り角に蔦

抱き茗荷

三つ石

九曜

丸に矢筈

三つ釘抜き

六つ釘抜き

丸に違い釘抜き

雪輪に剣片喰

井桁に違い鷹の羽

丸に熊笹

雪持ち根笹

丸に●柏

菅の角文字

丸に三つ枡

①・②・③に分けて掲載しましたが、同じ菅沼家でもずいぶん異なった家紋がありますね。これで全部とは限りません。