江戸前期の俳人。初号は曲水。近江国(滋賀県)膳所藩士。貞享(1684~88)ごろ蕉門に帰し,元禄2(1689)年以来松尾芭蕉との関係が親密になり,同3年4月には伯父の別荘幻住庵を芭蕉の宿舎に提供している。芭蕉の信頼も厚く,現存する彼の手紙は曲翠宛のものが最も多く,そのなかに俳人のあるべき姿を説いた「風雅三等之文」として名高い一通がある。廉直の士であり,不正を働いた藩の奸臣を切り自刃して果てた。藩主に非がおよぶことを恐れて,私闘に見せかけて相手を殺害したため,その息子も切腹を命ぜられ菅沼家は断絶した。