菅沼家ルーツ

宮城谷昌光氏の小説「風は山河より」で菅沼家3代が主人公になっていました。
菅沼家のルーツを探って見たいと思います。

再来年の大河ドラマは新島襄の妻   

2011-06-22 20:26:00 | 菅沼家ルーツ
再来年の大河ドラマは新島襄の妻が主人公だそうです。

新島襄は上州安中藩祐筆であった父のもとで板倉家江戸屋敷で生まれ

幕末から明治の激動の時代にあってアメリカからヨーロッパにわたり

帰国後キリスト教の伝道に努め、京都同志社大学を設立する。

その妻八重は会津藩士の娘で悪妻・烈婦・鵺などと呼ばれるほど活発な女性だったようです。

ドラマでは綾瀬はるかが八重を演じるようですが

襄はアメリカ人の友人にあてた手紙で

「彼女は見た目は決して美しくはありません。

ただ、生き方がハンサムなのです。私にはそれで十分です。」

とかいているとのことです。

新島襄に函館でロシア人宣教師のニコライとの仲を取り持った人に

長岡藩士菅沼精一郎という人がいました。

武田斐三郎の武田塾の塾頭だったとのことです。


白虎隊

郡上藩菅沼氏

2011-06-10 00:20:16 | 菅沼家ルーツ
幕末、郡上藩では、幕府を助けるか官軍に従うかということで悩む。

表向きは尊王派として新政府軍への忠誠を示しつつも官軍に兵を出さず、

佐幕派が勝利した時のために、江戸詰めの郡上藩青山家の藩士を脱藩させ

家老朝比奈藤兵衛の息子、17才の朝比奈茂吉を隊長とする40数名で「凌霜隊」を結成、会津へ向かった。

会津では白虎隊と一緒に戦ったが降伏。

捕えられ、江戸に護送後は罪人として旧郡上藩へ預けられ投獄された。

その数は26人になっていたという。

やがて許されることになったが、藩の為に凌霜隊に従事した隊士達は、

手のひらを返したような郡上藩の仕打ちに嫌気が指し、郡上を去ったという。

その「凌霜隊」に菅沼銑十郎という隊士がいた。

下野の小山の戦いで重傷を負い、会津までたどり着くがそこで死亡したと記されている。

42歳であった。

淀藩士 菅沼氏

2011-06-08 04:24:08 | 菅沼家ルーツ
菅沼定之は 嘉永元年 淀藩の藩士だった菅沼新三郎の次男として生まれました。

体は丈夫ではありませんでしたが 若い頃から算術が得意で勉学にも熱心だった。

定之は その後 従兄の岳行蔵と言う人物が氷上町田中の安田耕逸と親交が

あったと言う縁で 安田家に世話になるようになりました。
 
ここで 小島省斎にも学んで儒学を修めた定之は 安田家の家庭教師となりましたが
 
その後これを辞して 私塾を開き多くの人たちを教授していました。
 
ところが もともと体の弱かった定之は 静かな所で静養を・・・と考え
 
北由良の安養寺に居を移し当時の住職 魯法和尚と同居しながら子弟たちを教授していましたが
 
数ヶ月後には自らの死期を悟ります。
 
そして 弟子や周りの人々に自分の葬儀の事などを託すと
 
明治19年11月12日に39歳の若さで静かに息を引き取りました。

・・・・・と記されています。