最近高崎市と合併した群馬県の吉井町ですが、
ここは山家三方衆の奥平氏の出身地です。
山の上には奥平城址もあります。
また、家康関東移封時には菅沼定利が2万石で配されたところでもあります。
玄太寺が菅沼定利の住居跡だということは以前にこのブログでも述べたことがあります。
この寺は定利没後50年に建立されたそうです。
定利は最初、菩提寺と定めていた仁叟寺(じんそうじ)に葬られました。
仁叟寺は開祖は奥平氏で、現在でも開山堂には奥平氏、菅沼氏の位牌が祀られています。
定利の墓は150年忌の時に、三河新城の五代領主の菅沼定用の命よって、
玄太寺へ移されたとのことです。