この地とともに。
しんくうかん
第388話「私的とかちの植物嗜考・サクラソウ」
―レンズを通すと―
「道路拡張で消滅するかもしれない…」
ゼネコンから依頼され、ダム建設のため周囲環境の植物相調査をしていた師匠、亡くなるまえ冒頭の言葉を残した、「そこらにあるエゾコザクラとは違う数種が―」と。
★ ★
五つほど年上で、新聞記者時代の先輩だった彼とは、もう50年を超える仲。私が企画を組み立て彼が文にする。阿吽の呼吸で仕事をやってこられたのは、多分わたし以上に彼の方が我慢してきたからだろう。
どっちかと云えば好々爺だが、半端ない酒好き。で、酔うと、相手が誰だろうと、言葉尻を捉えて言い倒すので煙たがられる。
そうとう腹の立つ言い回しで絡むので、師匠ともしょっちゅうぶつかったが裏はない、仕事の区切りがついたあとも繋がっているのは多分、亡き師匠と彼だけだ。
あれだけすり寄って来て、“利用できない”となった途端離れ、後ろ足で砂をかけていった輩もいる。
まあ、移ろいというレンズがガラッとかえる、人の世とはそんなもんだ。
- ★ ★
早春、遺言ともとれるそのことを確かめようと、一週間の予定で取材することにした。
キャンプ地は、下調べしておいたダム建設予定地奥の支流で、広く露出した崖、根元から斜め横に伸びた太い幹の楓と、趣のある小さな河原。豊かな森を通し、濁りのない手がきれる冷たい流れと、ハナカジカや二ホンザリガニもいる美味い水にかえている。
「いいとこだね」。着くなり彼は崖を見わたし、楓の幹でごそごそやっている。
初日から二日間は、霙交じりの雨が降ったり止んだり、でも薪ストーブを設置したテント内は快適そのもの、彼は一人ブツブツと、旬のギョウジャニンニクを肴に焼酎を飲み飲み、言い争った師匠を偲んでいるのか。
三日目の朝雨が上がった、飲み疲れ顔の彼は、ふらつく足取りでテントを出て行った。
「美味い水でコーヒーを入れるか」ストーブに火をつけているとき、外でガサゴソ音がしたと思ったら、入り口から顔を突き入れ、「樹液だ」グッと差し出したカップの底には、透明な液体が三㍉ほど溜まっている。
そして、「あったぞ!!ユウバリかソラチか!?」促され、カメラを手にテントを出た。
★ ★
空き缶を、細引きでくくった楓の樹の先、崖の上段、棚になった処と割れ目にエゾサクラソウとは明らかに違うピンクの小さな花が列をなしていた。
「吸い上げるものは同じ。でも甘み、香りと、白樺とはずいぶん違うな」。
採取したシロップに焼酎を注ぎ、ぐいぐいやっている彼は、もう花は二の次。
後日、現像してみるとどう見ても薄紫色。見た目と、レンズ通すと違うようだ。