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第346話「わたし的とかちの植物嗜考・タラノキ」

初対面は、「とかちの山菜ガイド(1983年・昭和58年刊行)」の撮影の時だった。

カメラを手に、芽吹きが始まったカラマツの林内を山菜・薬草の芽出しを探し歩いた。

カラマツ林の林床は何故か下草の少ないところが多い。で、有用な植物やキノコが群落する。低い目線での撮影もしやすく、思わぬ穴場を見つけることもある。

案の定、背丈ほどのタラノキが群生している。が、芽が出ただばかりでまだ早いなか、撮るのに具合よく伸びたものを一本見つける。

撮影後、指で茎をつかもうとして、あまりに鋭い棘に躊躇した。

山菜という植物に興味を持ったのは、カメラマンを生業とした撮影の対象としてで、30歳前の私はあの独特の苦み、エグミを、“美味い!”と歓じるにはまだ至っていなかった。

でも女房から、「お母さんがタランボの天ぷらを食べたい!と云っていた」と聞いていたので、棘棘の間を恐る恐る右手の指で挟み茎を引き寄せ、左手の指で先っぽの芽をもぐ

痛っ!!

芽の根元は細かい棘が密になっていて、もいだ時思いっきり棘が指に刺さってしまった。

ジャンパーのポケットが膨むほどは採れたが、血のにじむ指先を舐めなめ車に戻ったのだ。

それからは車にはいつも、撮影道具と一緒に針金ハンガーとゴム手袋を用意した。

タラの芽は、「癖がなく美味しい」と云うが、採って時間が立つと灰汁が強くなるのかえぐい。少し伸びて葉が広がった方が時間が立ってもえぐみは少なく、好みだが旨味は増す

一時、雪の残る春先、群生するタラノ木の先がすべて、スパッと斜めに鋭利な刃物で切り採られているのに出会う。専門家の話では切った茎をハウスで栽培し、路地、天然物が出回る前に店頭に並べる―と云うことらしい。その時はタラの芽をほとんど見かけなくなって、枯死したが林立するところも見た

最近また、あちこちで立派なタラの木が芽を伸ばしているのを見ると、商売としては、あんぢょう(うまく)いかなかったのかもしれない。

連鎖して成り立つ自然の生産力は、目を見張るものがある。しかし、歩留まりは悪く限りもあって、“逆らう”と長続きできない―と云うことなのか!?

我々も同じ環にいるのに、きっとまたあの手この手で商売にしていくのだろう。

いちいちそんなことを考えて生きるのは極めて難しい。要はバランスなのだが、つり合いは私欲があると上手くいかない

自然体で考え、薬効も高いウコギ科のタラノキ、美味しい味覚も併せてもっと有効な活用を考えられないか―と常々思う。

晩秋、熟すとウドと同様に黒く色づく果実。

苦味、甘味が後からきて…えぐい、が体にいいはずだ

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