邪馬台国・奇跡の解法

古代中国の知見と価値観で読む『倭人伝』解読の新境地

●朝鮮半島の倭と日本列島の倭

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための基礎情報
 中国歴史書のいうところによると、朝鮮半島南部の沿岸部と島嶼部一帯には、紀元前のかなり早期から倭人が住みついていようである。3世紀に現地調査した記録による『三国志』韓伝によれば、倭人は辰韓で産出する鉄を韓人やワイ人に混じって採掘していたという。また、朝鮮半島の倭人居住地帯に近いところでは、辰韓人の男女は倭人と同じ文身をしており、馬韓人にも文身をする者がいたという。  ※『倭人の来た道』でも触れてい . . . 本文を読む

●倭国の実像

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための基礎情報
 歴史探求に求められる条件の一つは、歴史に対して畏敬の念をもち、歴史と、その時代を生きた人びとを正当に評価することである。数多の古代史論の中には、3世紀の倭国は原始社会に毛が生えた程度のクニの集合体というかと思えば、その中枢機能は2世紀から畿内にあって瀬戸内海も九州諸国も遠隔支配していたという具合に、論旨に併せてまちまちである。巷間の邪馬台国論争を観測すると、個々が抱く時代観や倭国像のバラつきが議 . . . 本文を読む

●鬼道の実態

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための基礎情報
 『三国志』魏書・倭人伝によると、卑弥呼が女王になる以前は鬼道をやっていたという。  次の項で詳しく触れることになるが、卑弥呼の鬼道については、天師道の創始者・張陵と同じく「衆を惑わす」と書かれたことや、張陵の後継者たる張魯と同じく「鬼道」と書かれたこと。さらには、鏡と剣を神宝とする一方で二者を重要な呪具とする様式がそのまま伝わっている事実からみて、天師道(もしくはこれと根を一つにする太平道)だっ . . . 本文を読む

●鬼道が古墳時代をもたらした

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための基礎情報
●二種の神器から三種の神器へ  卑弥呼の位置づけと評価は、ひとえに鬼道の解釈にかかっている。それはとりもなおさず、彼女の評価と時代の評価とも関連するし、『倭人伝』解読の行方を大きく左右する。時代の成熟度を無視した形で、卑弥呼を怪しげな個人レベルのシャーマンに見立てる意見もあるが、彼女が国家の政の根幹をなす存在だった事実は揺るがない。女王となった彼女は、あくまでも国家規模の祭祀を施行したというのが私 . . . 本文を読む

●やってはならない不当な文献批判

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための基礎情報
 わが国の邪馬台国論には、実にいろんな方法がある。よくみかける『倭人伝』への責任転嫁法とはまた違って、『倭人伝』の信憑性を懐疑して文献の資料価値を無に帰そうとする手法もある。以下に、「やってはならない不当な批判」の見本として、幾つかの『倭人伝』批判をながめてみる。 ①『三国志』の編纂者・陳寿の人となりを批判する。  『三国志』編纂者の陳寿は、三国時代の233年に四川の安漢(当時は蜀 . . . 本文を読む

1・皇帝の詔書は軍事支援承諾宣言書

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための必須条件
 冒頭で「『倭人伝』を読むための必須条件」を提示したが、それら個々の説明に入る前に、『倭人伝』全体を理解するためにぜひとも確認しておきいことがある。それが私の主張する「皇帝の詔書は軍事支援承諾宣言書」である。 ●皇帝の詔書の文言  「親魏倭王卑弥呼に詔を下す。帯方郡太守・劉夏が、部下に命じて汝の大夫難升米、次なる使者の都巿牛利を送り、汝が献じるところの男生口4人、女生口6人、班布2 . . . 本文を読む

2・里程・行程読みの鉄則

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための必須条件
 冒頭で、以下の通り『倭人伝』を素直に読むための条件を提示した。 ①最もかんじんな女王の都に至る「日程・方角・行程手段・距離」の4つの要素のうち、どれかがどこかで不明になるような行程説明はあり得ない。(すべてが出そろう読み方は一つしかない)。 ②海路航行距離は正しい距離測定ができない。測定不可能なものを正しく表記しようがない。そこで中国の数多の歴史書は、実際の距離とは無関係 . . . 本文を読む

・やってはならない行程読み

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための必須条件
●やってはならない行程読み「順次読み」  不弥国から投馬国まで水行二十日、投馬国から水行十日と陸行一月で邪馬台国。  これが『倭人伝』の行程説明を順次読みする典型例なのだが、まさに、私が滅茶苦茶だと酷評する『梁書』の倭伝とまったく同じ読みである。  先に提示した『倭人伝』の文章構成分析図を、もう一度みていただきたい。たて線で分割したブロックはそれぞれに説明手順が異なる。これを漫然と続け読みしてはた . . . 本文を読む

3・陸路距離表記の実態

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための必須条件
●陸路距離尺度の実態  『三国志』魏書・明帝紀は、司馬懿軍が公孫淵討伐に向かうときの洛陽から遼東までの陸路行軍距離を、執拗に4000里としている。帝紀の距離表記だからこれが魏代の公式尺度とみなされる。厳密には当事者たちの口頭発言だから、端数を切り上げた大まかなな数値である。地理情報として信頼のおける数値は、『後漢書』郡国史・幽州の記録が参考になる。 ・遼東郡:洛陽の東北三千六百里。 ・玄菟郡:洛 . . . 本文を読む

4・海路距離表記の実態

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための必須条件
●海路距離表記の実態  帯方郡から狗邪韓国までの朝鮮半島沿岸部の海路7000余里を、魏の公式尺度でいえば3000km強になる。 狗邪韓国・対馬間、対馬・壱岐間、壱岐・唐津間の渡海距離はそれぞれ1000里とあるが、魏の公式尺度でいえば432kmになる。海路距離はいずれも途方もない数値だが、従来は、この途方もない数値を「誇大表記」「いい加減」という逃げの詭弁でやり過ごしてきた。   中国では王莽の地 . . . 本文を読む

5・異常な記録の読み分け

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための必須条件
●異常な記録の読み分け ●末盧国に官がいなかった異常さ  『倭人伝』は、対馬国、壱岐国、伊都国、奴国、不弥国、さにらは邪馬台国、投馬国、狗奴国の官名を執拗に記載している。ところが、九州の玄関口であり防衛上からも重要なはずの末盧国の官名を紹介していない。これについては誰しも気づいていることなのだが、私はこれを記載漏れではなく実際に官がいなかったのだとみている。つまり『倭人伝』のいう末盧国とは、末盧 . . . 本文を読む

●『倭人伝』原文と読み下し文

2011-07-28 | ●『倭人伝』通読
正史『三国志』魏書・東夷伝「倭人」(略称『魏志倭人伝』) ●原文 倭人在帯方東南大海之中、依山島為国邑。旧百余国。 漢時有朝見者。今使訳所通三十国。 従郡至倭、循海岸水行歴韓国、乍南乍東到其北岸狗邪韓国。七千余里。 始度一海、千余里至対海国。其大官曰卑狗、副曰卑奴母離。所居絶島、方可四百余里。土地山険多深林、道路如禽鹿径。有千余戸。無良田食海物自活、乗船南北巿糴。 又南渡一海千余 . . . 本文を読む

1・『倭人伝』通読行

2011-07-28 | ●『倭人伝』通読
 『倭人伝』の文章構成は以下のように分類することができる。これを読むに臨んで重要なのは、その文章が何を述べる文節に書かれているのかと、そこでは何を述べているのかを明確に分別し把握することである。そうすることで、局所的解釈や断章取義に陥る危険性も回避できる。 『倭人伝』の文章構成 1. 倭地の沿革 2. 邪馬台国に至る道程と主要各国の概略 3. 文身(刺青)の習俗 4. 倭地風土記(風俗、産物・ . . . 本文を読む

2・道程説明と主要各国の概略  

2011-07-28 | ●『倭人伝』通読
●邪馬台国に至る道程と主要各国の概略   ●狗邪韓国へ  「帯方郡から倭に至るには、海岸に沿って水行し、韓国を経て南下したり東行したりすると、倭の北岸の狗邪韓国に到る。ここまで7000里余りである」。  狗邪韓国の比定地については、釜山・金海付近ということでコンセンサスを得ているので私もこれに従う。 ●その北岸  文章的には、「その北岸」の「その」は、「郡より倭に至るには」の倭を受けている。 . . . 本文を読む

3・倭地風土記

2011-07-28 | ●『倭人伝』通読
●法制・罰則   「法を犯した場合は、軽い者はその妻子を没収し、重い者はその門戸および宗族を滅ぼす。  身分の高低にはそれぞれ序列があり、互いに臣服するにふさわしい」。 ●税制   「租税・年貢を徴収する。国に邸宅・楼閣・倉庫などがある」。 ●市場流通管理   「国々に市があり、ここで物々交換をする。  大倭という官吏を置いて市を管理させている」。 ●大倭とは  『倭人伝』は「国々に市 . . . 本文を読む