❶神獣鏡の実相
●鏡の製造は「夏至の日」に着手した
中国人研究者の任晏東氏から得た情報によれば、もともと中国では、鏡の製造は夏至の日に着手したのだという。これは、鏡に限らず刀剣などの金属器をつくるに際して、夏至の日が太陽から火を採る最適と考えられていたことによるらしい。
仮に景初3年銘文入りの鏡は、卑弥呼に贈るために、魏の尚方(官製工房)で製作されたとしよう。官製工房が鏡づくり . . . 本文を読む
❷卑弥呼の墓の実相
●墓域は王都の郊外につくられる
中国では霊を祀る廟を宮城内に造った例はあるが、王都内に墓をつくった実例はない。古代の日本列島においても同様である。そもそも中国の祭祀儀礼では、廟祭祀を吉礼とし、墳墓祭祀を凶礼とした。したがって墓域は王都の郊外に設けたものである。
『三国志』魏書に、文帝のこういう言葉がある。
「礼で墓祭をやらないのは、生者と死者が穢(けが)し . . . 本文を読む
❸纏向遺跡の実相
私は創作神話は考察に採用しないほうだが、唐戸・鍵と纏向を包含する外山の地に、天の磐舟で降り立ったニギハヤヒこそ、九州倭人による先遣開拓を象徴する存在ではないかとみている。
天の鳥舟でこの地にやってきた神武は、ニギハヤヒと自分が同じ神の子であることを確認する。その後、ニギハヤヒは外山の地を無血開城する。この逸話を読むと、ニギハヤヒの祖先に先遣開拓を命じたのが神武 . . . 本文を読む