正史『三国志』魏書・東夷伝「倭人」(略称『魏志倭人伝』)
●原文
倭人在帯方東南大海之中、依山島為国邑。旧百余国。
漢時有朝見者。今使訳所通三十国。
従郡至倭、循海岸水行歴韓国、乍南乍東到其北岸狗邪韓国。七千余里。
始度一海、千余里至対海国。其大官曰卑狗、副曰卑奴母離。所居絶島、方可四百余里。土地山険多深林、道路如禽鹿径。有千余戸。無良田食海物自活、乗船南北巿糴。
又南渡一海千余 . . . 本文を読む
『倭人伝』の文章構成は以下のように分類することができる。これを読むに臨んで重要なのは、その文章が何を述べる文節に書かれているのかと、そこでは何を述べているのかを明確に分別し把握することである。そうすることで、局所的解釈や断章取義に陥る危険性も回避できる。
『倭人伝』の文章構成
1. 倭地の沿革
2. 邪馬台国に至る道程と主要各国の概略
3. 文身(刺青)の習俗
4. 倭地風土記(風俗、産物・ . . . 本文を読む
●邪馬台国に至る道程と主要各国の概略
●狗邪韓国へ
「帯方郡から倭に至るには、海岸に沿って水行し、韓国を経て南下したり東行したりすると、倭の北岸の狗邪韓国に到る。ここまで7000里余りである」。
狗邪韓国の比定地については、釜山・金海付近ということでコンセンサスを得ているので私もこれに従う。
●その北岸
文章的には、「その北岸」の「その」は、「郡より倭に至るには」の倭を受けている。 . . . 本文を読む
●法制・罰則
「法を犯した場合は、軽い者はその妻子を没収し、重い者はその門戸および宗族を滅ぼす。
身分の高低にはそれぞれ序列があり、互いに臣服するにふさわしい」。
●税制
「租税・年貢を徴収する。国に邸宅・楼閣・倉庫などがある」。
●市場流通管理
「国々に市があり、ここで物々交換をする。
大倭という官吏を置いて市を管理させている」。
●大倭とは
『倭人伝』は「国々に市 . . . 本文を読む
●倭地風土記(風俗、産物、生物、軍備、気候風土、寝食習慣、葬喪儀礼、海人信仰、天然資源、世俗信仰など)
◆その風俗は淫ならず。男子はみな露紒,木棉をもって頭に招く。その衣は横幅をただ結束して相連ね、おおよそ縫うことなし。婦人は被髮屈紒,衣を作るに単被のごとくその中央を穿ち貫を頭いてこれを衣る。
禾稲・紵麻を種え、蚕桑・緝績して細紵・縑緜を出す。その地に牛 . . . 本文を読む
●卑弥呼の周辺状況
「魏の使節が訪問した時には、すでに婚期を過ぎていたが夫はいなかった。男弟がいて彼女の政治を補佐していた。卑弥呼を王にして以来、彼女を見る者もいたが少なかった。侍女1000人を宮城に仕えさせていた。宮城には男子がただ一人いて、卑弥呼に飲食を供したり言葉を伝えるために、彼女の居処に出入りしていた。宮室・楼観・城柵を厳重に設け、武器を所持した者が日夜を通して宮城を守衛していた」。 . . . 本文を読む
●倭国の朝献に応えて下された皇帝の詔書
「親魏倭王卑弥呼に詔を下す。帯方郡太守・劉夏が、部下に命じて汝の大夫難升米、次なる使者の都巿牛利を送り、汝が献じるところの男生口4人、女生口6人、班布2匹2丈を奉じて京都に到らせた。汝がいるところは遥かに遠いにもかかわらず使者を派遣して貢献した。このことは、私に対する汝の忠孝として、私は汝を大いに哀れむ。
いま汝を親魏倭王となし、その爵号を . . . 本文を読む
●魏との交流経緯と国内紛争
正始元年、帯方郡太守の弓遵が、建中校尉の梯儁等を遣わして、詔書・印綬を奉じて倭国に詣らせ、これを倭王に拝假す。并びに詔を齎して、金帛、錦罽、刀、鏡、采物を賜った。倭王は、使に委ねた上表書で、詔恩に答えて謝す。
言葉や文章上の「授け与える(授与)」は「假授す」で良い。だがしかし、皇帝の詔書と金印を本人に実際に渡すときは厳粛な授与儀式を伴うもので、そのシ . . . 本文を読む
●卑弥呼の死とその後
「卑弥呼がすでに死亡したので、大いに冢(封り土の墓)を作った。径しが100歩。殉じて葬られたが100余人。卑弥呼の後任に男王を立てたが、その男王に国中が従わず、さらに誅殺し合った。このとき、まさに1000人余りを殺した。
また同じように、卑弥呼の一族の女性で、13歳になる臺與を立てて王とした。これでやっと、国中の騒乱が治まった。張政らは、文書をもって壹與に告げ諭した . . . 本文を読む