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病院へ

2020-04-18 20:37:31 | Weblog

 

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ふきのとう

近所の庭にも春の訪れ

テレビ塔

街の真ん中でも、コロナの影響で閑散としている

 

札幌も雪が消えて、漸く春がやって来た。

桜はまだ。

 

外出自粛で、病院とスーパーにしか行かないけど、近所は一軒家街だから

桜の花見も出来る。

 

昨日は脳神経内科へ行ったら、入り口で検温されて、咳が出てないか確認されてからでないと、病院内には入れないし、お見舞い禁止の措置に成っていた。

コロナの深刻さが分かる。

体温は、35℃4分しかなかった・・・・・

 

 

診察で、二月からずっと身体が怠い事等、体調について話をして、

「両親は認知症に罹ってしまったから、自分の症状を説明する事も出来なかった訳ですけど、

だんだんと、あちこちが機能しなくなって、人は死んで行くのだと思いました。」

と言うと、先生は驚いた様に

「客観的に見ていらっしゃいますね!」と言い、私は続けて

「人間は産まれた時から、死へ向かって行くわけですから。

自分も年ですから、そっちの方へ入って来たのか、と思っています。

この頃、自分が死ぬ夢をよく観るんですよ、全然怖くはないんですが・・・・・」

と言った。

 

そう、「不全」と言う意味がよく分かったのは、父が腎不全で逝った時だった。

 

「不全」と言われても、ちっともピンと来なかったのだけど、父を見て

「不全」とは、「全く否」全然ダメ、機能停止、の意味だと漸く理解出来た。

 

「体験」が伴わないと、中々実感出来ないのが私で、文字を読んだだけで、何でも理解出来るのが父だった。

だから、何て頭の良い人だろうか!といつも思っていた。

どんなに頭が良かろうが、どんなに運動神経が良かろうが、誰でも「不全」に成って逝くのが定め。

その時まで、どう生きるか、が大切なことなのだと思う。

 

 

 

 

コメント
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