こんにちは。
ここ数日トルコ語史料に向き合う日が続いたので、
久し振りにペルシア語でも聞いてみるかと、
昨日こんなイラン映画を借りて見ました。
マジード=マジーディー「太陽は、僕の瞳」
視覚障害を抱えた子どもが主人公で、
再婚を控えた父親は、内心彼を疎ましく思いながらも、
孫を溺愛する自分の母親の手前、中々よそへはやれず…
てな感じのハナシでしたが。
内容としては結構きつい感じの作品ですけれど、
主人公の祖母の住む村で、子どもたちが遊ぶ光景などには、
少し心を和まされました。
総じて見るならば、そこそこの「佳作」と言えるのではないでしょうか。
ただ、この作品の非常にアレな点があるとすれば、
「邦題」がマズイです。非常に。
この作品の原題はReng-e Xodā、「神の色」と言いまして、
題字が現れてから続けて朗誦される詩(?)の、
「目に見えずして明らかなる神よ」云々という章句、
並びに教師が主人公に向かって「神様は目が見えぬ人がお好きだ」と
話すことから始まる非常に印象的な場面などに、
ちゃんと繋がるようにつけられているのですが。
何故「太陽…」なんてタイトルにしてしまったのでしょうか。
イランの作品で「神」なんてつけたら客が入らないと思ったのでしょうか。
英語名を音訳するだけでも随分違ったのに。
残念です。
ともあれ、
それなりに「面白い」作品であることには変わりがないので、
御興味をもたれた方は、一度見られてみては。
それでは。
ここ数日トルコ語史料に向き合う日が続いたので、
久し振りにペルシア語でも聞いてみるかと、
昨日こんなイラン映画を借りて見ました。
マジード=マジーディー「太陽は、僕の瞳」
視覚障害を抱えた子どもが主人公で、
再婚を控えた父親は、内心彼を疎ましく思いながらも、
孫を溺愛する自分の母親の手前、中々よそへはやれず…
てな感じのハナシでしたが。
内容としては結構きつい感じの作品ですけれど、
主人公の祖母の住む村で、子どもたちが遊ぶ光景などには、
少し心を和まされました。
総じて見るならば、そこそこの「佳作」と言えるのではないでしょうか。
ただ、この作品の非常にアレな点があるとすれば、
「邦題」がマズイです。非常に。
この作品の原題はReng-e Xodā、「神の色」と言いまして、
題字が現れてから続けて朗誦される詩(?)の、
「目に見えずして明らかなる神よ」云々という章句、
並びに教師が主人公に向かって「神様は目が見えぬ人がお好きだ」と
話すことから始まる非常に印象的な場面などに、
ちゃんと繋がるようにつけられているのですが。
何故「太陽…」なんてタイトルにしてしまったのでしょうか。
イランの作品で「神」なんてつけたら客が入らないと思ったのでしょうか。
英語名を音訳するだけでも随分違ったのに。
残念です。
ともあれ、
それなりに「面白い」作品であることには変わりがないので、
御興味をもたれた方は、一度見られてみては。
それでは。
「太陽~」、劇場で御覧になられたのですね。
キツツキの音、確かに印象的でした。
「サイレンス」ほどじゃないですけれど、
視覚が遮断された人物が主人公ですと、
「音」が作品で強い印象を与えるみたいですね。