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れすぃむり るーずなーめむ

一個研究現代東北回民史之人的日常記録。

asma o mosamma。

2006-08-23 16:38:40 | Fikrimce…
こんにちは。
昨日に引き続き、本日の午前中も件の発表用レジュメ作りをしておりました。
ある程度形にはなっているものの、
実際に発表するに当たっては、やはり2・3懸念すべき問題が。
その中でも「面倒臭い」のが、「呼び名」の問題、
つまり、文中の「用語」に関する問題でありまして。

私が扱っている時代というのは、
ここ100年の日本の歴史の中でも、
最も「イスラーム」というものに対して朝野の注目が集まった時期の1つでありまして。
それ故、当時の「イスラーム研究/認識」を知る上で手がかりとなるような、
同時代の関連書籍というものにはことかかないのですけれど。
何分急に起こった「ブーム」故か、「学術研究」以外の関心から書かれた本というのがかなり多く、
「イスラーム」に相当するような「用語」だけを見ても、
「イスラーム」「イスラム」「イスラム教」「回教」「回回教」「フイフイ教」「マホメット教」と、
まあかなりのヴァリエイションに富んでいるようで。
要するに、「用語」/「呼び名」の共有化というものが、全く出来ていなかったみたいなのです。
これらをそのまま引用すると、当然発表を聞く側に混乱を与えてしまうことになるので、
さてまあどうしたものか、と現在思案中。
違った「呼び名」を使うことによって、当時の著述家が異なった概念を含ませようとしていたかどうかも、甚だ怪しいですしね。

それでも、まだ「回教」だの「イスラム」だのと言った手合いはまだよいわけでして。
これが「民族」という厄介なコトバと結びついて、「回教民族」などという「用語」「呼び名」として用いられているのを目にすると、
「もうイヤ」という気分になります。
今現在使われる所の「ムスリム」という語/「呼び名」によって意味される人々と、
この「回教民族」を同列に扱っていいものか、分かりかねますし。
「回教」を信奉する諸「民族」一般を指しているか、
「回教」を信奉する諸集団を一個の「民族」として見なしているのか、
「回教」を信奉するある特定の「民族」のことを言っているのか。
文脈によって判断しようにも、何分「大風呂敷を広げた」「論評」が少なくないため、
ひょっとしたら、これを書いている連中は大して注意もせずにこの「呼び名」を使っているのではという気にもなってきます。

こんな風に多数の「呼び名」が混在し、且つ無定見に使用されているのを見ますと、
「ああ、扱う事象への「名前付け」という行為は、疎かにしては不味いのだな」
と、あらためて感じます。
「名は体を表す」などと言いますけれども、
実際のところ、「名が体を規定」している場合も多々あるわけで。
一見分かりやすいように見える「呼び名」を多数の事例に当てはめることで、
ある特定の事物に付されたイメージが、「名前」とともに他者にも付与され、
結果、個々の事例の実態が分かりにくくなってしまうこともあるのではないかと思います。

「道ノ道トスヘキハ常ノ道ニアラス、名ノ名トスヘキハ常ノ名ニアラス」
大学入学後に暫く「ハマって」いた『老子』のコトバを思い出しました。
「名」をあくまでも相対的・暫時的なモノとして割り切るのも1つの手ではありましょう。
しかしながら、学問的蓄積の共有化という観点から見れば、
やはり何らかの(随時更新されていくとしても)「定名」が必要な気がします。
その為には、私が扱っている時代の事例の吟味なども含めて、
様々な領域に携わる人々が、意見のすり合わせを行う必要もあるのでしょうね。
とてつもなく時間と根気がいることなのでしょうけれど。


それでは。

「専門家」の役割。

2006-08-12 22:49:08 | Fikrimce…
こんにちは。
昨晩夕食前に母と私との間でこんなやり取りがありました。

母「ねえ、ヒズボラってあるでしょ」
私「うん」
母「あれってね、シ…ス…」
私「シーア派ね」
母「そう、それ。そのシーア派と同じようなモノなの?」
私「…?シーア派はイスラームの宗派だよ。
でヒズボラは組織の名前。
  ヒズボラを構成しているのがシーア派のヒトなの。
  アラビア語でhizbullah、神の党という意味の組織で、議会に席も持ってるよ」
母「そう、組織なの。じゃあシーア派とス…」
私「スンナ派ね」
母「あれがどうこうって」
私「…?」

…ようするに、母は毎日テレビ・新聞でさんざ使われている「ヒズボラ」という言葉の指す団体の概要を、イマイチよく理解していなかったようで。
更に、彼女はつい先日まで、何故イスラエルとパレスティナが「揉めてる」のかもはっきり分かっていなかったようで。

さて、この会話がなされた後で、少しばかり考えたのですが。
私の母は商業高校を出た後、そのまま地元の商社に就職、
そして職人の父と見合い結婚、という経歴を辿っていますが。
大学には進んでいないとはいえ、
決してメディア・リテラシー能力が低いとは思われない彼女が、
何故メディアでさんざ「一大事件」と騒がれている出来事の「当事者」について、
殆どといっていいほど情報を把握できていなかったのでしょうか。

関心がないから?
彼女は先のパ-イ関係に関する無知について、恥ずかしがっていました。
それなりに知りたいという気はあったようです。
メディアが説明をしないから?
一般的な情報媒体というのは細切れの情報の寄せ集めに過ぎません。
それに説明を求めるというのは間違いというものです。
では何が彼女に当該「組織」の情報を理解せしめなかったのか。
…これは私個人の意見に過ぎませんが、
所謂「専門家」「研究者」の怠慢ではなかったのでしょうか。

今回のレバノンでの一連の事件のような「ホット・ニュース」が有ると、
1度くらいは我が先達の皆様の中から数名が選ばれ、
メディアに登場したりすることもあるようですが。
そこはお定まりのカット&ペースト、番組当事者の理解出来ない/面倒くさいところは省かれるに決まっています。

では、どうすればよいのでしょうか。
個人で非「専門家」の人をより多く集め、わかり易く話をすればよいのです。
確かに、「言うは易し」というのは有りますが、全く不可能なことはないでしょう。
院生・講師であれば辛いかもしれませんが(そのような方々にはまた別の事が出来ます)、
少なくともイッパシの教員であるならば、そうした機会は持って然るべきだと思います。
無論、そうしたことを率先してやったらっしゃる方々の存在は存じ上げています。
…が、絶対数としてはあまりにも少ない。

「研究者」たるべきもの須らく何らかの形で社会一般に対し貢献すべし、と、
母との短いやり取りの間に、改めて実感したDivaneでした。

それでは。

えむ。

2006-07-22 10:32:20 | Fikrimce…
こんにちは。

ムスリム住民が多数を占める地域において歴史的に詠まれて来た詩のジャンルに、
ガザルğazalというものが有ります。
アラビア語の「糸を紡ぐ」という義の動詞に由来する呼称で、
日本では「抒情詩」と訳されることが多いようです。
比較的よく知られているものはペルシャ語のものですが、
それ以外にも(オスマン)トルコ語、ウルドゥー語のものなど、地域ごとに複数の言語によって作られたようです。

で、私もイスラームに関心を持っている手前、
幾冊かガザルの載せられた本、歌われたCDも幾つか持ってはいるのですけれど。
時々なんとはなしに拾い読みしたりしていて思ったのですが、
こういう詩が書かれる時の前提の一つとして、
一種の精神的な被虐嗜好というものが想定されているのではないかと。

全くこのジャンルについて関心が無い方ならば、「何の謂いぞや」という感じでしょうが、
「抒情詩」と訳されるこのジャンルでは、作者の想定する想い人から、
「血を飲」まれるだの、「矢を刺」されるだの、えらく酷い仕打ちをされるのに喜喜としているような描写が結構ありまして。
例えば、オスマン語ガザルの一節として、
「捧げよう私の胸の傷の 血まみれの肺のひと片を
   あの人の心酔わす目の 血を飲むあのまなざしに」
                (Füzûlî,、峯俊夫訳
なんてのが有りますし、もっと極端なのだと、
「私は傷ついている これは事実だ
   あの人は塩を振りかける これは歓びだ」
というウルドゥー語の詩句が有ったりします。

もっとも、どの詩人も全てがそんなのではないとは思うのですけれど。
でも、「被虐嗜好」という観点から詩句を時間枠・地域枠をある程度区切り抽出し、
纏めて論じてみたら、面白い結果が出そうな気はするのですけれどね。

…しかし、何だかんだ言って一応買って読んでいる(読み直している)ってことは、
私も「被虐嗜好」に関心が有るってことなのでしょうか。
傷口に塩擂り込まれて喜ぶのか…。どうなんでしょうね(笑)

それでは。

Niujie ‘recovered’。

2006-07-09 19:54:50 | Fikrimce…
こんにちは。
今日午睡から目覚めて外へ出ようとしたら、自転車が後輪がふにゃふにゃ。パンク?
タイヤを傷つけるような場所を通った覚えはないのですが…
ここしばらくは歩いて登校する破目になりましたが、ダイエットとでも思いましょう。

それはともかく。
最近目を通していなかった各新聞社のサイトを読んでいますと、
朝日新聞社のページにこんな「読み物」を発見しました。
中国は北京城外宣武区にある回族の集住地「牛街」に関するもののようですが。

今まで女性信徒の礼拝が基本的に無理だったモスクに、大「修築」によって女性専用の礼拝場所ができる、
というのが話の趣旨のようなのですが。

何でもこのモスク、「外国からの多くの観光客も訪れるため、北京五輪の関連事業に指定されている」そうです。
…結局それですか。

後輩の知人という関係で、今年の春卒業した学生の卒論を見てあげたことがあるのですが、
彼の扱った主題がまさに牛街の再開発に関するものでして。
新聞や統計といった資料を見せて貰いながら彼自身とも話しをしたのですけれど、
「あんな開発をやってもろくなことにはならねえ」

実際、胡同などの歴史的景観はかなり失われているようですし、
当地の名物であった羊肉の串焼屋なども、次第に姿を消しつつあるとか。
回族以外では、ウイグル族なども同地を離れ故郷や魏公村に移住しているそうです。

「部外者」たる私がこんなことを言っても、
「それは開発を喜ぶ人のことを考えていないのでは」と批判されても仕方ないですが。

記事の最後に載せられた漢人の女子学生の言葉が何とも興味深く感じられます。
「荘厳な雰囲気で外とは別世界のよう。改修後もこれだけは守ってほしい」

…「観光名所」としてでしょうが。

それでは。



「アジア」と「東洋」。

2006-06-25 11:13:34 | Fikrimce…
こんにちは。
食べ物の話が続きましたので、そろそろ違う話を。

先週、土日の2日に跨り、私の所属する大学の方で韓国の大学との合同コンソーシアムがあったようです。
日韓両国から様々な出自の方が参加され、規模としてはそこそこ大きなものだったとのことですが。
参加した後輩の話を聞くと、当日のスケジュール等には可也問題があったらしく、
彼曰く「あれは交流の場であって、研究発表会としては失敗」と。

個々人の発表とは他に、総合的な質疑応答の場、というのが設けられたようですが、
そこでのやりとりの中でも色々と「どうかな」と思う部分があったようで。
後輩が教えてくれたやりとりの様子で、私が一番ひっかかったのは、
「「アジア」と「東アジア」を混同して使っている例が結構見受けられた」というもの。

「アジア」という語が指す地域について、時代や使用者の意識によって差異があるのは重々承知しているつもりですが、
「今現在において」「日本」「韓国」(そして「中国」)という極東の数「国」を以て「アジア」の表象としてしまうのは、随分乱暴な話ではないかと思うのですが。

「東アジア」=「アジア」という図式が想定される上で前提となっているものとして、
どんなものが想定できるでしょうか。
私は一応歴史を「専門」に勉強している身ですで、そちらの側から私見を述べさせてもらおうかなと思います。

1881年以後、日本で「世界史」が中学校での履修科目となってからは、どんな教科書を使うかでかなり揉めたようなのですが、
1894年に中等学校教科過程に関する研究調査会において、「東洋の歴史は支那を中心として東洋諸国の治乱興亡の大勢を説くものにして西洋歴史と相対すものなり」(那珂通世)とされ、
「ヨーロッパ」を中心とする「西洋」史と「中国」を主軸とする「東アジア中心」の「東洋」史の二分化による教授がその後の教育の基本方針として認定されました。
そして、「東アジア」以外の「アジア」諸地域に関しては、「東洋史は主として、東方アジアに於ける、古来の沿革を明らかにすれども、亦同時に之と幾多直接のある、南方アジア及び中央アジアの沿革をも略述すべからず」(桑原隲蔵『中等東洋史』)と、「東アジア」の歴史に繋がりのある部分においてのみ著述の範疇に含むべきだという認識しかなされていなかったようです。
もっとも、1930年以降戦局の進行とともに「東アジア」以外の非「西洋」世界へと関心が集まるにつれ、「東アジア」中心の歴史観・地理観が教科書等にも見られるようになったようですが、「大東亜共栄圏」構想の登場とともに、前に述べた「支那を中心とする」「アジア」から「日本」を中心とするそれへと堕してしまった観があります。
そして、戦後新たに教科書が編纂された後も、「アジア」に関する著述が分量としては以前「支那中心」であることは、これを読んで下さっている方もご存知の通りです。

このような(「歴史学」「歴史・地理教育」の分野に限った話かもしれませんが)「近代」以降の日本における「アジア」「東洋」認識を見る限り、先のコンソーシアムにおいて見られた「アジア」=「東アジア」という表象認識は、
「支那中心の」「アジア」、すなわち「東洋」と「アジア」を同一視・混同することから生じているのではないかと思われます。

同コンソーシアムにおいては、時折「東アジア共同体」なるものが考えるべきものとして提起されていたようですが、「アジア」という語の指す「地域範囲」が「如何なる歴史性」や「政治性」といったもの起因しているのか、という点に無頓着なまま「便利なコトバ」として使うのならば、唯の浅薄なスローガンとして終わることでしょう。
もっとも、私はそんな共同体が成立しうる可能性なんか、はなから信じてませんけれどね。

それでは。