神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

全人類の、全人格的幸福。

2021年05月17日 | キリスト教

 これは前にも書いた気がするのですが、わたしがまだノンクリスチャンだった頃、こんなふうに思ったことがありました。道端に蟻さんたちがいて、そのうちの一匹の足をもいで地面にまた戻したとしたら――蟻さんのほうではまったくもって何が起きたのかわからず、自分の足が何故失われたかの意味も意義もまったく理解できなかったことでしょう。

 それで、大体これと似たようなことが人間にも起きる。「何故こんな酷いことが自分の人生には起きてしまったのだろう」ということが……。また、このことと同時に、わたしは神さまがもし人間を生み出したというのなら、その全人類を神には幸福にする義務があるはずだとも思っていました。=世界は全然そんなうふうになってはいない、だから神さまなんてこの世界にはいないんだ、と。

 わたしは小さい頃から、全人類の平等と、全人類の全人格的幸福ということに、非常に興味を持っていました。もちろん、小学生くらいの頃のことですから、「全人類の全人格的幸福」なんていう言葉はその当時は思いつきもしなかったにしても(^^;)でも、幼いながらも、先進国では食べ物が余っていて、毎日捨てる人がたくさんいるのだから、それをアフリカに瞬間移動させる装置のようなものさえあれば……少なくとも食べるものや飲む物に関しては、かなりのところ平等になるのではないだろうか――などと考えていたんですよね(@ドラえもんの影響を強く感じます・笑)。

 もちろんそれは、「極上の物については自分たちで消費し、余った残り物を貧しい人々に与えればよい」ということでもありますから、ある意味傲慢な考え方でもあるかもしれません。でも、大きくなった今はこんなふうにも思います。もしその、@ドラえもんの秘密道具的な、瞬間移動装置があったとしたら――自分たちでは粗末なものを食べたり着たりして、代わりに、一般的に後進国と呼ばれる国の人々に出来るだけ美味しいものや良いものを贈ってあげよう……そうした人々も必ず現れるのではないでしょうか。

 ところが、ですね。この「人類の平等」といったことに関しては、もし地球人類が本当にみんな「平等」になったとしたら、おそらく経済的にはかなりのところマズいことになるのではないだろうか……みたいな話をちらと聞いたことがあります。つまり、これは誰でも聞いたことあると思うのですが、今までは比較的安い賃金で海外の労働者の方に任せていた仕事が、自国と同じくらいの賃金を支払わねばならないとしたら――まず物の値段が上がるし、本当にそうなのかどうかはわかりませんが、大体地球上に百億くらいまでなら、人口は増えてもなんとかなるだろう……みたいに言われているそうです。

 そして、その百億の人々が、すべてにおいてまったく同じ平等な権利を有し、それぞれ自分の特性を生かした職業に就き、その対価として賃金を得ることが出来ていたとして……「本当にみんな、それで幸せになれるのだろうか?」と、今はもう小学生ではないわたしは、何か直感的に疑問を感じてしまうのです。

 つまり、この場合の前提として、「ある一定以上の基本生活水準は、各国政府から保障されている」ということがあると思うのですが、これ、何かすごく社会主義に似てますよね(^^;)

 ところが、中国などはいまだにガンバってるわけですが、人間が「理念としては正しい」社会主義というものを実施しようとすると、何故かロシアのようなことになる……といったように、今は大体多くの方が認識していると思うのです。

 でも今、アメリカの若い人々の間では、この社会主義における人類の平等性みたいなことが見直されつつある――といったように聞いたのですが、本当なんでしょうか(^^;)

 そのですね、わたし自身は、社会主義の考え方自体が悪いのではなく、人間のほうでそれを完璧に実践できるほど素晴らしい生き物でないことに問題があるのではないかと思っているのですが、どんなものでしょう。。。

 ところで、最近、新疆ウイグル自治区において、中国政府がいかに非道なことを行なっているか……ということについての本を読んでいます。推定、(最低でも)100万人以上ものウイグルの人々が強制収容所に収容され、人道を無視した酷い扱いを受けている、また、強制収容所送りになっていない人々も、それぞれ自分の住む場所で四六時中監視を受けるも同然の生活を強いられているということでした。

 正直、このことをわたしは、遠い新疆ウイグル自治区という、自分とはあまり関係ない場所で起きていることだとはまったく思えませんでした。何故かというと、中国という国は世界の覇権を狙っているそうですから、ようするに中国にとっての<邪魔な存在>は、いずれすべてこの――現在新疆ウイグル自治区で行なわれているのと同じシステムの中へ落とし込めばよい……いずれ、そう遠くない将来、そうなってもまったくおかしくないと、そう思いました。

 簡単にいえば、今ウイグルの人々を国際社会が助けないなら……わたしたちの孫か曾孫か、さらにその子孫かはわからないにしても――ある日、日本からいなくなり、行方不明になっていたと思ったら、中国政府の管理する日本人強制収容所に入れられている……しかも、いくら問い合わせても、「そんな人間、ここにはいないし、知らない」としか言われないということです。

 国境を越えて、というか、日本の場合は海でしょうか。国境や海を越えてそんなことが出来るものか、そう思われるかもしれません。でも、今はもう多くの方がファーウェイをご存知でしょう。アメリカがファーウェイを敵視しているのは、アメリカが実は個人情報についてまでも盗み取ることの出来る手段をすでに得ているからですが、アメリカの立場としては「同じことを中国にもやられては困る」とわかっているからなんですよね(そして、このことをすっぱ抜いたのが、言うまでもなくあの有名なエドワード・スノーデンさんです)。

 つまり、わたしが今こうして書いているブログの記事も、あるいはスマートフォンでやりとりした会話の内容、メールやラインの内容なども、もしわたしがファーウェイのものを使っていたら、中国の諜報機関に当たる部局、あるいはそうしたサイバー関連の政府機関には筒抜けになるということです。「そんなこと、ほんとに可能なの?」と思われるかもしれませんが、仮にわたしが日本からドイツに旅行へ行ったとしましょう。あるいは、イタリアでもギリシャでも構いません。でも、わたしがファーウェイの携帯を使っている限り、わたしがいつどこにいて、誰とどんな話をしたか、メールのやりとりをしたかについてなどは、すべて向こうにわかるということです。

 もちろん、わたしのようなゴミを中国政府がマークすることはないにしても……中国にとって、弱味を掴んで貶めたい他国の人間がいた場合、これを徹底的にやればいいわけですよね。あるいは、政府の専用アプリをダウンロード済み(あるいはそれとわからない形ですでに内蔵済み)の携帯を国民全員に持たせれば――また、「えっ!?こんなに性能いいのに、こんなに安くていいの?」と、驚き喜ぶ外国人たちに数限りなく売ることが出来れば……わたしたちはいつ、盗聴・盗撮されているかもわからない、自由のない状態に陥るということになります。

 こうした形で、情報戦によって他国を骨抜きに出来れば、ある日日本から誰か人が行方不明になったと思ったら、日本人強制収容所、などという露骨な名称で呼ばれていないにしても、現在ウイグルの人々が強制的に収容されているのとシステムとしてはまったく同じ場所へ入れられる人が100万人にも膨れ上がる……ということは、将来的にありえるのではないでしょうか。

 何故なら、そうした専門の中国の共産党の党員たちというのは、「今月、我々は100人の日本人を強制収容所に連れてくることを目標とする!」といったようなスローガンを掲げ、とにかくそのノルマを満たすために頑張る……何故ならそれが我々の仕事だから……といったシステムの下働いているわけですから、ある意味そこに「理由などない」とも言えるわけです。

 そして、そこで日本人は、現在ウイグルの人々が強制収容所でそうされているように――「日本人に生まれてきてすみません」と、頭を殴られながら言わされたり、「党に感謝、国家に感謝、習近平主席に感謝」と唱えさせられ……その他、スローガンをうまく言えなかったり、革命歌を間違えると、24時間真っ暗な独房に入れられたり、24時間鉄の拷問椅子に座らされたりするというわけです。

 しかも、知らない間に食事に薬が混ざっていたり、あるいは渡された薬を飲んだりすると、下痢になったり突然昏倒したりする人を、何人も間近で見ることになり――人が4~5人どこかへ連れていかれ、新しい日本人がやって来たと思えば、前までいた人々が戻ってこず、どこへ行ったかもわからない。男性であれば、拷問死か拷問のあとの衰弱死、女性であればレイプされ放題という環境であり、臓器が適合するかどうか調べるのに、そのための臓器適合検査や血液検査まで入所時にさせられ……アメリカではすでに、このウイグル人問題、ウイグル人支援については動いてくれているということでした(2020年、トランプ大統領が「ウイグル人権法案」に署名)。日本でも、世界中どこででも、中国人の顔を見たとなれば、「おまえの国、ほんとひでえことやってんな。何様のつもりだ!?」と二言目には言うくらい、このウイグルの人々の問題が当たり前のようにもっと多くの人に知れ渡って欲しいと思いました。それで、「ウイグル問題が解決しない限り、おまえの国とは絶対ビジネスしない」……というくらいになればいいと思ったりするのですが、中国は強力な経済カードを握っているので、そこまではなかなか難しいことかもしれません。。。

 さて、「全人類の、全人格的幸福」というのが今回のタイトルですが、本当に、地球でそんなことが実現するのはほど遠いことと思わなくてはいけないのかもしれません。でも、せめても今この瞬間も地獄の苦しみをなめさせられている人がひとりでもいるなら、絶対に、残りの七十数億もの人々が、その人を助ける必要があると思います。ひとりの人が地獄の苦しみを味わうことで、残りの七十数億人もの人々が仮に助かるのだとしても――そうしたシステムは間違いなく間違っているし、またそうすることが、国連の掲げる例の「誰ひとり、取り残さない(No one will be left behind)」ということの意味でもあるのではないでしょうか。

 それではまた~!!






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« もし、ただ毎年五千万円が入... | トップ | ルワンダの祈り。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

キリスト教」カテゴリの最新記事