神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

恐怖と不安、そして喜び。

2018年04月30日 | キリスト教
 聖書には、「恐れるな」という言葉が365回出てくるそうですが、これは神さまが人間がそれだけ恐れやすい、不安にびくつくばかりの哀れな存在である……という人の弱さというものをご存じだったからなのだろうな、という気がします(^^;)  たとえば、わたしが仮に朝聖書を読み、  >>恐れるな。わたしはあなたとともにいる。  たじろぐな。わたしがあなたの神だから。  わたしはあなたを強め、あなた . . . 本文を読む
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エクソダス。

2018年04月27日 | キリスト教
【エジプト第七の災い】ジョン・マーティン  あ、エクソダスっていう同じタイトルで以前も記事を書いたことがあるって、この記事をするちょっと前に気づきました  まあ、同じ人が結構長くキリスト教のことについて書いてるっていうことは、たまにそんなこともあるっていうことでよろしくですm(_ _)m(←何ヲ?(´・ω・`))  エクソダスというのは、旧約聖書の出エジプト記のことですが、一般に「出国」と . . . 本文を読む
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人生の皮肉。

2018年04月24日 | キリスト教
【ファラオの穀物倉庫監督のヨセフ】ローレンス・アルマ=タデマ  今回は、前回のヨセフのお話の続きですm(_ _)m  以前何かの本で、「ずっと欲しいと願っていたものが手に入った時、それが手に入ってもすでに高い価値を持っていないというのは人生の皮肉だ」……といったような文章を読んだことがあります。  何を言いたいかといいますと、たとえばわたしが誰かに何かのことで恨みを抱いており、そいつらに神 . . . 本文を読む
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報い。

2018年04月20日 | キリスト教
【ヨセフとポティファルの妻】グイド・レーニ 「報い」という言葉には、大体ふたつの意味があるような気がします。  つまり、長年何かのことで努力を続ける、苦難を耐え忍ぶなどして、そのことが報われたといった意味の「報い」と、犯罪などに手を染め、悪いことをし続けた人間が逮捕されるなどして、「とうとうあいつも報いを受けたか」といった意味の「報い」と。  ここはキリスト教のことについて何か書くといった . . . 本文を読む
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アダムとエバ。

2018年04月18日 | キリスト教
【楽園のアダムとイブ】ピーテル・パウル・ルーベンス  ロシア系ユダヤ人、レオン・マジン牧師の聖会でのメッセージを聞きました♪(^^)  聖霊さまの満たしを感じる、とても素晴らしいお説教でした。お説教のポイントとして大切なところはいくつもあったと思うのですけれども、自分的にヘブロンが人類の祖先であるアダムとエバの置かれたところ……という説がとても興味深かったです。  それで、お説教の . . . 本文を読む
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One of Us。

2018年04月12日 | キリスト教
【戦争の顔】サルバドール・ダリ  前に一度、「愛について。」という記事のところで、神さまから「愛」ということについて何か書くよう聖霊さまを通して語りかけがあった気がする……と書いたのですが、「聞き違いかなー☆」なんて思いつつ、以降少しばかり心に留めていたと言いますか(^^;)  一応、自分的に<愛>と聞いてすぐに思い浮かべるのが、マザー・テレサのおっしゃった「イエスの渇きに応えること」であっ . . . 本文を読む
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天の御国。

2018年04月09日 | キリスト教
【天国】モーリス・ドニ  >>天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。  彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。  それから、九時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。  そこで、彼はその人たちに言った。 『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから』  彼らは . . . 本文を読む
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イエス・キリストの復活。

2018年04月05日 | キリスト教
【墓を訪れる三人のマリア】バルトロメオ・スケドーニ  今年の復活祭は、4/1でした♪  キリスト教にあまり興味のない方でも、今から二千年くらい昔にイエス・キリストという人がいて、なんか十字架にかかって死んだあと、三日後に復活したらしい……それがほんとかどうかは知らんけどwwといった噂(?)は聞いたことがあるのではないでしょうか(^^;)  そして、毎年大体四月くらいになると、イースターがど . . . 本文を読む
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わたしが神を信じても、神に得なことはひとつもない。

2018年04月02日 | キリスト教
【山高帽の男】ルネ・マグリット  タイトルどおり、わたしがキリスト教の神であるイエス・キリストのことを信じても、イエスさまには実際、なんの得なところもなかったのではないかと思います(^^;)  イエスさまが十字架におかかりになったのは、確かに二千年以上も昔にただ一度だけ起きた歴史的出来事ですが、それと同時に神さまは今も生きて働いてくださるので、わたしたちが何か罪を犯すたびに十字架に再びかかっ . . . 本文を読む
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