神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

イライラする。

2024年07月02日 | キリスト教

 最近、「イライラする」という話を時々聞きます

 

 もちろん、世界中の多くの方が一日に最低数回は「イライラする」のではないかと思われますし、わたし自身「今日は一日一度もイライラしなかった!!」といったようなことは、最高で何日あったか……最低でも、そんなことがひと月以上続いたとか、そんな経験は一度もないわけで(^^;)

 

 それで、わたしが最近聞いたのが「理由もわからないのに」、「何故かちょっとしたことでもすぐイライラする」タイプの話。ひとりの女性は「もしかして更年期障害かな?」といったように思われたりもするのですが、結構これまでにも似た話は聞いたことがあったな~と思ったりもして。。。

 

 まあ、年代的なことでいうと、ようするにみなさん定年を迎えておられまして、「これからは年金もらって悠々自適に暮らすぞ~」といった年代の方なんですよね。これはこの年代の方だけでないとはいえ、大抵の方が今は会うたびに「なんとかが値上がりした」とか、「こういう形で節約してる」とか、そんな話をすることって本当に多いと思います(もはやすでに挨拶がわりの会話^^;)。

 

 もっとも、=だからイライラする、イライラしやすくなった……ということではなく、奥さんや旦那さんのちょっとしたことが互いにイライラする、今はどうにか抑えているけど、そのうち爆発しそう、爆発したらどうしよう、でもそれも時間の問題のような気がする――とか、そういったようなお話。あとは、前述のとおり、仕事を定年になったといっても、何かの形で短い時間でも働いておられたり、健康元気でさえあれば、まだ先の人生は長い世代の方でもある。心配ごとといえば、子供や孫の将来のこと、あとは自分がガンその他の病気で人に迷惑かけずにポックリいければいいけど……みたいな、そんな感じの方が多いでしょうか。

 

 それで、こうした年代の方に「イライラする」、「イライラしている」ことが多いと言われる――これはどういうことかなあとちょっと思ったわけです。まあ、わたしは立場的にただ黙って聞いてるというか、頷きつつ聞いてればいいような立場であるものの、まず第一に「仕事を失う」=「生きがいややり甲斐、人生のハリがある部分失われる」ということが、人にはどうしてもあるらしい、ということでした。みなさん大体、「もう毎日出勤とかしなくていいんだ~」とか、引退する喜びみたいなものはあったらしいのですが、いざ引退してみると、「人間少しくらいは働いてねえとダメになるな」みたいなことをおっしゃりだす。「それに、母ちゃんと毎日ツラつきあわせてると喧嘩になるしよお」とか、「なんでも値上がりしてて、このままじゃ墓代まて削れるべ。体が動くうちは少しくらいはなんとか稼がねえとなあ」とか、大体そうした話。。。

 

 そして第二に、「仕事をしている」と、それ以外のことは大体優先順位が第二位になるわけですけど、こうなると今度は何か別のことが自分の関心事第一位にくるわけですよね。そこで、何か長年そう願っていたとおり、趣味の世界に没頭できるといいのですが、たとえば釣りが趣味であったとして、それを毎日できるかといえばそれもなかなか難しく、パチンコや競馬が趣味だったとしても、先々のことを考えると当然控えざるをえないこの方の場合は昔から車いじりやバイクいじりが好きだったので、最近は若い頃のそうした情熱が復活しだしたらしい。。。

 

 ところが、ですね。奥さんは旦那さんが車を改造しだしたので、はなはだ迷惑してるというわけです。「しかも、本人隠してるけど、ちょっとずつの出費で実際は相当かかってんのよね~」という話。そのうち、このことで喧嘩になるかもしれないし、かといって旦那さんが車の改造をやめたら、他に趣味もないため、家の中でただイライラされても困る……という

 

 いえ、人生ままならないもので、奥さんは奥さんで「自分はガンその他の病気で長くないんじゃないか」と思っておられるんですよね。それで、病院にも何か所かかかっておられて、旦那さんに対するイライラが精神的ストレスとなり、それが病気とも関係してるんじゃないかと思っているという。。。

 

 その~、状況は多少なり違ったとしても、似たような話を今までよく聞いてきました。もちろん、ここのブログではマーリン・キャロザース先生の「いいことも悪いことも、とにかくすべてを神さまに感謝する」ことが、人生の諸問題への解決法だ――みたいに書いてきてますし、わたしもそれが一番と思っています。ただ、似たような話を聞いてると、それより下の年代のわたしとしては色々考えてしまうというか(^^;)

 

 いえ、自分もいずれきっとそんなふうになっていくんだ……なんて期待も希望もない人生だろう……という話ではなく、問題はもしかして人間の脳の構造の問題だろうかと思ったのです。ずっと前にどこかの記事で、人間の神経細胞(ニューロン)の8割は小脳にある、と書きました。普通、誰でも「大脳のほうにニューロンの8割があって、まあ小脳のほうには2割くらいとか、なんかそんな感じ?」とイメージしてると思うわけです(実際わたしもその本を読むまでそんなふうに思ってました)。ところが、今は小脳っていうのは運動以外にも色々なことに関わってると言われていて……つまり、脳科学者さんが人間のヒラメキ💡について、「走って景色が変わっていくのを見るのがいい」みたいにおっしゃってたように、多少なり運動するとその分脳のあらゆる領域にフィードバックがあると思うわけです。それが人間の心身にとてもいいとわかってはいるけれども、「わざわざ散歩する」という習慣がどうしても身に着かない……という方も多いと思います(ちなみに、↑のご夫妻もまったく同じことをおっしゃっていました。奥さんは大体毎回そのことを言うのですが、「ひとりで散歩っていうのがどうもねえ。前みたいに犬でも飼ってりゃいいんだけど」という。かといって、「旦那と一緒にふたりで散歩!?もしそんな感じだったら、そもそも喧嘩にならないだろうねえ」みたいな^^;)。

 

 なんらかの形で体を動かす、あるいは人と話して愚痴をこぼす。「なんとかが値上がりした」、「こんとかがまた上がった」、「あともうちょっと何か一押しされたら、旦那と大喧嘩になると思う。どうしたらいいと思う?」……まあ、このあたりが会話のテッパンです。また、旦那さんのほうでも、理由もなくイライラするあまり、スーパーの欠品商品について、「前まであったのに、何故ないんだ!?」と店員さんに怒鳴ってみたりと……その~、心配になりますよね。今後ご夫妻のうちどちらかが認知症になったりしたらどうしようというか、そのことでも奥さんは心配しているという。。。

 

 それで、この話をですね……何かの機会に大体同じ年代の方に話すと「わ・か・る~っ!!」と、めっちゃ共感されるのです。わたしまだ年齢的にその領域に達してないのでわからなかったりするんですけど……やっぱり、これもまたある脳科学者の方がこうおっしゃっていたことがあります。つまり、そのくらい(定年以降)の年齢の方が、スーパーで突然横入りしてきたら、難しいかもしれないけれど、ムッとしてはいけないそうです。社会に貢献して引退された方なのだから、本人は気づいてなくても、まだ認知症といった病気でなかったとしても、これはもう本人にもどうにも出来ないことなのだと。そしていずれあなたも、同じ年代になればわかることが色々でてくるだろう……という。

 

 ほんのたま~に、食品レジで、物凄い行列が後ろに出来ているのに、何かクレームつけて、その言い方がなんともつっけんどんで見苦しいというか、そんな場面を見ることがあったりしますよね。まあ、普通思うのは、その方の「人格の問題」として見てしまいがちだけれど、もう定年の年齢以降の方の場合は「脳の問題」というか、だんだんそんなふうになっていくものなんだ……と理解してあげることも必要だという、そうしたお話でした。

 

 あ、もちろんわたし自身はイライラするたびにイエスさまに感謝することにしています最近ちょっと、キッチンまわりにコバエがうろつきだして、今まで住んでて一度もそんなことがなかったため、今ちょっとビビッてるのですが、感謝してお祈りしたら、数がすごく減りました。でも、コバエほいほい的なものと、殺虫剤のセットをきのう注文したんですよね(^^;)これから暑くなるにしたがって一気に数が増えたりしたら怖すぎるのでww(これでもしダメなら、ハイター的なものを排水溝にドバドバ☆流しこもうかと思っています)。

 

 まあ、確かにコバエって、他の昆虫の害よりはまだ耐えやすいほうと思いますし、イライラするというより、「彼らは一体どこからやって来るやら」と不思議さのほうが先に立っていたり。。。でも、「おりゃあ、うりゃあ、死ねやコラァ!!」とばかり、何匹もコバエちゃんを殺すうち、ハッと気づいたことが。ほら、聖書に蠅の王(バアルゼブブ)という異教の神さまがいますよね。で、ふと思ったわけです。絵画においては蠅って、死や腐敗の象徴として描かれるわけですけど、時々イエスさまの足許などに蠅が死んでたりすることがあります。また、自分の信仰の腐敗ということの他に、今わたしが何匹コバエちゃんをやっつけようとも、最終的に勝つのは彼らなのではないか?とも思ったというか(^^;)

 

 何故かというと、人は死んだらその肉体は腐敗し、ハエちゃんたちの餌食となります。はっきり言って肉体的にはハエ天国!!もう卵植えつけ放題的な?こうして最後に高らかに勝利を宣言するのはハエちゃんたちのほうかも知れないわけで……もちろん、そのような死の腐敗にもイエスさまはすでに勝利しておられるという意味で、宗教画には象徴的にハエが描かれたりするわけですけれども(他に、たとえば一組のご夫妻の絵で、奥さん側の服や帽子などにハエが止まっていたら、この奥さんは浮気するなどして旦那さんを裏切ってる可能性が高い、ということらしいです)。

 

 それではまた~!!

 

 

P.S.どーでもいいことなのですが、「コバエちゃんほいほい☆」めっちゃ効きました!!もうほとんど、某ケンシローみたいに「コバエはもう死んでいる!!」と叫びたいような状態に(笑)。いえ、これにプラスして殺虫剤的なものも予防駆除として吹きかけてみたのですが……その後、原因がわかりました!!キッチンの排水溝ではなく(でもこっちも、洗浄剤を二度くらいブッ込んだ☆)、誰がそんなところに置いたのか、某フルーツがお菓子の間に挟まって腐っていたのです!!しかも、特に腐敗臭もしなかったことから気づかなかったのですが、原因がわかって除去できて良かったです!!イエスさま、ありがとう♪

 

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ダビデを呪ったシムイ。 | トップ | 僕はラジオ。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

キリスト教」カテゴリの最新記事