神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

穴のあいたバケツ。

2024年07月24日 | キリスト教

「穴のあいたバケツ」なんていうものがあったとしたら、大抵の方はゴミの日にでも捨ててしまうと思います。

 

 何故といえば、どういった形でその穴をふさいだとしても水がもってくると思うし、新しいのを買ったほうが絶対に早い……とはいえ、人間関係の場合「この人との関係は、もう穴のあいたバケツみたいなものだよな~」ということになったとしても、何かの事情でその後もつきあっていかなくてはいけない――ということがあると思うんですよね(^^;)

 

 たとえば、それが職場の人間関係だったら、まあ退職した場合においては「ほな、バイナラ☆」ということで、その不毛な人間関係を終わらせられるかもしれない。でも家族とか親戚その他、あらゆる手段を講じて「水がもれないように」がんばったにも関わらず、もうこの人とは無理だ……っていうことが、時にあると思うんですよね。。。

 

 でも、それがさらに親子とか夫婦っていうことになると、夫婦であれば単に「離婚したくてもお金がない」とか、「その後どうしていいかわからない」、「世間体も悪い」ということで、離婚せずずっと一緒にいるとか、親子だったら、離れて暮らしていても親子というか、連絡はたま~にポツポツ程度でも、親子はそれでも親子として絆はあるとか、色々だと思います。

 

 とにかく、こうした場合求められるのは「辛抱強さ」。赤の他人の欠点であれば寛容に受け流せるのに、むしろ身近な人間に対しては無理とか、あれだけ外では人に優しい人が、奥さん/旦那さんにだけは……とか、息子さんにだけは……とか、娘さんにだけは……とか、また、そんなことも関係なく、単に運の悪さや状況の悪さによってそうなってしまった、あるいは生まれつき性格の合わない人間同士でたまたま親子や兄弟・姉妹として生まれてきてしまった――などなど、色々あると思います。

 

 もちろん、こうしたことは経験しない方も結構おられるので、その場合は「自分の親を大切にしないだなんて信じられない」とか、「家族なんだから、話しあって解決しないわけがない」など、そちらの意見で話が終わる方は幸福と思うので、ただ今の幸せな家族関係や親戚関係などを大切にしていかれたらいいと思うわけです(ええっと、これは嫌味とか皮肉な言い方をしているのではなく、本当に心からそう思うので^^;)。

 

 とりあえず、わたしも自分が経験して思うこともそうだし、人から人生相談的な話として聞いていても思います。親子や夫婦だからこそ、ず~っともう話が平行線になるわけですよ。お互い、「どうしてこのことがわからないんだ」といったように相手に話をする、しかもその時には相当感情的になってるとか、そのあとも「こう言ってやればよかった」、「ああ言ってやればよかった」だとか、色々マイナスの感情を抱えたまま考え続けるという。。。

 

 まあ、その合間合間にもちょいちょい挟まってくるのが、「こんな言葉を言えるということは、そもそも~~についてわかってない証拠だ」とか、これだけ言葉を尽くして話してもわからないということは、それ以上何か言っても無駄なのに、さらに言葉を連ねるからこそ喧嘩が激しくなっていく……というか。でも、こうした経過を経て、とうとう「そこまで激しく喧嘩しなくなる」ということはありえます。ご夫妻だったら離婚して別れる、別居したら喧嘩しなくなったとか、親子だったら、離れて暮らしたら顔を合わせる機会は減るわけですから、当然喧嘩もしなくて済むようになる。

 

 うちの両親もそうでしたが、色々理由があって(ちなみに、「それでも心の底では愛しあってる」といったような美しい理由ではまったくなく^^;)離婚もせず一緒にいる場合、いわゆる「究極の諦めの境地」というのでしょうか。そうしたところに至っているからこそ、とりあえず喧嘩するだけエネルギーの無駄、ということで、そのあたりをもう一周どころか何周もしているからこそもう喧嘩はしない……でも、感情的被害の大きかった母は常に腹の底に溜めたものが湧いてこないわけではない、という何かそんな感じ。

 

 とはいえ、うちの両親だけでなく、「熟年離婚したくでも出来ない」ご家庭は多いと聞きます。それは単純に経済的な問題であって、そこさえクリアできていれば、「こんな夫源病しかもたらさない夫、絶対別れてやるのに~!!」というお話を聞いていて、「ああ、うちの両親みたいだな」と思ったり。なんでかっていうと、その奥さんの場合は、「熟年離婚のためにずっとコツコツお金を貯めてきて、『その日が来たら』はっきりそう言ってやる瞬間のことを思い、我慢できないことも我慢してきたのに……よく調べてみたら、夫と別れると受け取れる年金が減ることがわかった」ということなんですよね。こうなると別れられないため、今も一緒にいるけれど、心理的にはとにかく毎日イライラするし、老後の夢が破れたことにもガッカリしているという。。。

 

 まあ、そんなこんなで「水がもれるバケツ」のような関係であったにしても、続けざるをえない――というのが、夫婦であり親子。そうなのです。「あんた、そのバケツ水がもってるよ」、「そんなことわかってるよ!!」、「だったらなんで新しいの買わないのさ!!」、「金がねえからさ!!」……といったように、トムとジェリーのように仲良く喧嘩しながら生きていく、そんな家庭はうちだけかと思ったら、案外他のご家庭でもそんなことはよくあるらしい――ということだと思うんですよね、たぶん(^^;)

 

 もちろん、これはあくまで比喩としてのお話なので、バケツくらい、百均で十分いいのが買えるのはわかっています。でも、あらゆる人間関係において、「バケツから水がもるのはなんでだろう?」、「自分のこういうところが悪いからかな」、「いや、相手のあーゆうところが」……と考えるのがイヤになり、真新しいのに何度買い替えても、また水がもるとなったら――やっぱり、自分の人生について考え直さなきゃならない……とか、色々あるのが人生というものですよね、やっぱり。。。

 

 それではまた~!!

 

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« さよなら、ハエちゃん!! | トップ | 天使と悪魔。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

キリスト教」カテゴリの最新記事