
One of us.って、色々訳し方があるみたいなのですが、大体のところ「わたしたちの仲間」、「わたしたちの中のひとり」、「わたしたちの一員」みたいな、そうした意味なのかなって思います。
「わたしたちは誰しもが、この世界を構成する一員だ」……と言われて、「いや、オレあんまそーゆーの関係ねえし


だから、どこかの国で災害が起きれば、自分のことのように考えて、寄付やボランティア的なことを通して「何かしたい」と多くの方が思い、戦争が起きれば「信じられん!


この、他者の苦しみや悲しみに共感する回路というのが、人間の脳の中には間違いなくあると思うんですよね。小さい子供たちは、まず家族や身近にいる人々の物真似をしたりして、「自分はどうすべきか」、「どう行動するよう求められているか」学んでいくところがあると思うのですが、特段お父さんやお母さんや身近な友達の真似ばかりするのではなく、その子に特有のオリジナリティーみたいなものを必ず持っている。でも大きくなるに従い、こうした「オレ様のオリジナリティー大爆発!

以前、某十代くらいの子が話しあいを持つ番組で、「優しい人っていうのは、人から『優しい人』と思われたいがゆえに、人に優しくするんじゃない?」=「だから人に優しくする人の優しさは結局のところ自分がいい気分になりたいだけだ」――みたいな意見があって、びっくりしたことがありました

つまり、「人間らしさ」とは何かといえば……やっぱり、自分と他者の立場を取り替えて、相手の身になって考えられる共感性のことだと思うわけです。まあ、どこかの科学者さんが、「人間は脳の構造がそもそもそのようになっているわけだから」とか、「DNAにそのように組み込まれておるのだよ」と言ったとしても――「彼が共感性に乏しいのは、脳の中のその部分があまり発達しない形で育ってしまったそのせいだろう」とか、「なんらかのDNA因子の問題だろう」といったようには、事故の後遺症や病気といったことを除いた場合、そんなふうに考える人はあまりいないですよね。
多くの人々が大抵は、気味の悪い毛虫がくっきり自転車のあとの残る形で死亡しているのを見れば「なんか可哀想


でも結局……いくら相手の立場に共感し、同情し、そのことのゆえに涙を流したとしても、「助けられない」という場合もたくさんあって、そういう時、人は初めて自分の無力さを認め、「ああ神さま、どうか助けてください

自分的に最近、「なんでも値上げ値上げでアップアップだ


この世的には、2022年も、あと約2か月ほどで終わります。わたしも、冬の間に何かの原因によって停電や断水が起きた場合に備え、準備しなくちゃ……と思いつつ、いつもつい後回しになってしまうので、備えたいと思っていたり


もちろん、クリスチャンとしては、世界の終末やリバイバルのため、備えの祈りが大切と思っているので、こちらの課題は最近疎かになっている気がするため、あらためてまた考えたいと思っています

それではまた~!!

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます