les généalogies des Essais―Delfini Workshop annexe

エセーの系譜をおもに検討。

Cioranを読む(109) Hegel et nous(18) 1932

2012年04月05日 | Cioran

■旧暦3月15日、木曜日、

(写真)初花

朝、小林秀雄の川端康成論を読む。小林秀雄は、人間が、歴史や社会に規定されるという側面を一貫して、認めたがらない。人間が、無媒介に存在するかのような、幻想をふりまく。天稟や生理という動かしがたいものがあるのは、よくわかるが、その現れ方は、社会や時代ごとに、変わっている。

朝からひどい耳鳴りである。自律神経が活発に動いている季節の変わり目は、とくにひどくなる。



Sa tendance à l'individualisation-et non pas à l'individualisme-se manifeste aussi dans constructions de logique et de métaphysique, où il parle du passage de l'abstrait vide à la plénitude de l'universel concret. Lorsque Ernst Troeltsch(Der Historismus und seine Probleme) mentionne la totalité concrète et individuelle comme une catégorie fondamentale de l'histoire, il manifeste de profondes affinités avec la pensée de Hegel. Cioran Solitude et destin p. 169

ヘーゲルの個性重視は、個人主義とは違い、論理と形而上学の構築を通じても表現される。そこで、ヘーゲルが語る言葉は、豊かな具体的普遍を伴なった空虚な抽象である。ロルスク・エルンスト・トレルチは、歴史の根本的なカテゴリーとして、具体的で個別的な全体について言及している(『歴史主義とその諸問題』)が、これはヘーゲルの思想と深いところで通じている。

■歴史を概念で捉える試みが発生したことの歴史的意味というのは、なかなか興味深い。ヘーゲルの場合、弁証法という発想があるために、概念が、歴史的になりえたのだろう。具体的普遍(l'universel concret)や具体的で個別的な全体(la totalité concrète et individuelle)といった、普通の言葉の使用法とは異なった言葉の使用法は、創造的であると同時に、言葉に騙されてしまいそうにもなる。こうした創造的な概念は、どう使えるか、でその価値が決まって来るのではないだろうか。






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