■3月10日、土曜日、
(写真)無題
昨日は、一晩中、ひどい風だった。早朝に目が覚めたので、しばらく、オーデンの「もう一つの時代」を読む。メルヴィルを歌った詩が面白い。ジャクソン・ポロックもそうだったが、戦前の感受性の鋭い英語圏の人たち、とくにアメリカ人は、たいてい、『白鯨』の影響を受けているのではないだろうか。読書が人生の楽しみの中心にあった時代は、どこか、慎み深く懐かしい面影がある。夜、真冬並みの寒さ。石油ストーブを点けた。
晩年、この男はまれに見る静穏の港に入り
故郷に投錨、妻のもとに帰って
彼女の掌の入り江に停泊し、
毎朝、勤めに通った―
仕事がもう一つの島でもあるかのように。
<善>は存在した―それはこの男にとって新しい認識。
彼がこの認識に達するには恐怖が爆発して
吹っ飛ばねばならなかった。だが、その爆風は彼を
あのケープ・ホーンの向うまで吹っ飛ばした―
「この岩礁はエデン、難破の地」と叫ぶ
あの分別ある成功の岬の向うまで。
オーデン「ハーマン・メルヴィル」部分 岩崎宗治訳
☆
Cette formule est trop tranchée pour être la plus juste. L'irrationalisme de Hegel réclame une approche historique. Le processus cosmique représente un effort de rationalisation et de purification de l'esprit au moyen d'une intériorisation progressive; il prouve la présence immanente de l'rrationnel dans le monde et il rend problématique la rationalisation totale. En postulant des contradictions et des synthèses continuelles, la dialectique rend illusoire la possibilité d'une forme close de la vie ou d'une conception précisément circonserte et fixée, comme le fait le rationalisme. L'élément progressif exclut la forme. Hegel a le mérite d'avoir montré que, dans le proscessus dialectique, les éléments opposés ne sont pas de nature statique, qu'ils ne s'excluent pas totalement; qu'ils présentent une concordia discors et non une coincidentia oppositorum. En convertissant l'opposition polaire en schéma dialectique, il a dépassé la logique aristotélicienne. La pensée dialectique n'est pas due seulement à des préoccupations logiques; elle est une expression intellectuelle du sentiment de l'historie, une objectivation transfigurée de l'intériorisation du devenir historique, de la compréhension vivante de l'élement créatif de la progression. Cioran Solitude et destin p. 168
この定式化は、あまりにも的を射ていて、にわかには信じがたいとさえ思える。ヘーゲルの非合理主義は歴史的な考え方を必要とする。宇宙のプロセスは、段階的な内省によって、精神の合理化と純化をめざす試みである。つまり、世界には、非合理的なものが内在的に存在し、世界全体を合理化できるとする考え方に疑問を投げかけているのである。弁証法は、矛盾と継続的な統合を前提とすることで、生が閉ざされた形式に陥ること、つまり、概念が完全に限定的で、固定的になるのを防いでいる。段階的な要素が形式を排除する。合理主義は非合理主義から生まれるのである。ヘーゲルは弁証法のプロセスの中で、対立する諸要素は、静的な自然観に由来するものではなく、互いに排斥し合うものでもないこと、そして、対立する諸要素とは、不一致という一致であり、対立の和解ではないことを示した。ヘーゲルは、対立の極点で、それを弁証法的な図式に転換することで、アリストテレスの論理学を越えた。弁証法という思想は、たんなる論理の問題ではない。それは歴史感覚を伴なった知的な表現であり、歴史的生成を内省し、発展の創造的契機をいきいきと理解することで、客体化を変容させるものなのである。
■このエッセイは、1932年に発表されている。まだ、新カント派的な、ヘーゲル・マルクス解釈が全盛の頃である。また、保守反動の御用思想家ヘーゲルという今でも、見受けられる解釈を踏まえると、シオランの非合理主義者ヘーゲルという理解は、いかに斬新なものかわかる。