les généalogies des Essais―Delfini Workshop annexe

エセーの系譜をおもに検討。

Cioranを読む(121) Hokusai(6)

2012年12月14日 | Cioran

■旧暦11月2日、金曜日、、赤穂浪士討ち入りの日

(写真)無題

水曜日に、市の農政課に出向いて、実家の畑で採れたみかんの放射線測定に行ってきた。今年は、柑橘系に多く出ているらしく、柚子は100Bq/kgを越えた畑が見つかり、全市で出荷停止になっている。100Bq/kgは、3.11以前は放射性廃棄物扱いだった。

最近好きなマルクーゼの言葉。

対象化それ自体は、人間の自然性と同じように、人間の本質に属するものであり、「止揚」されることはありえない。革命の理論に応じて止揚され、また、止揚される必要があるのは、対象化の特定の形式、つまり、「物象化」や「疎外」だけである。

マルクーゼ「経済学哲学草稿解釈」



Et c'est nier le substrat profond de l'art(en l'occurence, nous pensons surtout à la peinture)que d'affirmer que la nature très particuliè de la peinture japonaise s'explique pour peu qu'on la fasse dériver de la calligraphie. A la vérité, toute structure aristique specifique a pour origine un sentiment de la vie et une vision primordiale. Si Hokusai manifeste pour le monde animal une compréhension tellment vive qu'il lui attribue un contenu humain, n'est-ce pas en raison d'un sentiment de l'identié origanique, en raison d'une participation intime au rythme universel? Parce qu'elle est étroitement liée à l'existence, parce qu'elle dégage un charme naif, parce qu'elle suscite un ravissement esthétique, chaque oeuvre de Hokusai est une nouvelle révélation de l'unité, initiale, le Tao. Cioran Solitude et destin p.129

日本絵画の起源を少しでも書道に求めようとすると、日本絵画は非常に特殊なものだからと言われる。こういう断定は、日本芸術(この場合、絵画)には、深遠な本質はないと言っているのに等しい。実際、芸術に固有な全体構造の起源は、生活感情と原初的世界観である。北斎が動物の世界を生き生きと理解し、それに人間的な内実を与えられたとすると、それは、人と動物は生きものとして同じだという感情があったからではないのか、普遍的なリズムと心底一体になっていたからではないのか。北斎の作品は存在と固く結びつき、無垢な魅力がある。さらに、その作品は美的な恍惚感を呼び起こす。北斎の作品は、原初的な統一体、つまりタオの新しい表現なのである。

■日本語にしにくい個所だったが、内容的には面白いと思う。北斎の世界は、言語によって対象が具体化される以前の原初的統一体の表現だという考え方は、ニーチェの影響が強く見られる。生の哲学が、一茶などに見られるアニミズムと近いところにあったことも見えてくる。古代の存在論との類縁性。

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