les généalogies des Essais―Delfini Workshop annexe

エセーの系譜をおもに検討。

La Rochefoucauld (1)

2013年12月01日 | La Rochefoucauld

Il n'y a guère d'homme assez abile pour connaître tout le mal qu'il fait.
La Rochefoucauld Maxes 269

自分のなす悪がすべて手に取るようにわかっている、そんな老獪な人間はめったにいるもんじゃない。
ラ・ロシュフコー 箴言269

Kein Mensch ist klug genug, das ganz Unheil zu ermessen, das er anderen zufügt.
übersetzt von Jürgen von Stackelberg



※ abileという形容詞の翻訳に迷った。二宮フサ訳、岩波文庫では、「知恵のある」と肯定的に訳出している。たしかに、こういう訳も可能と思う。ドイツ語訳では、klugという形容詞を使っている。この言葉は、wise, bright, cuteなどの肯定的な意味の系譜もあが、clever, canny(抜け目のない)、astute(ずるい)といった悪い頭の使い方も意味する。ここでは、habileの海千山千、百戦錬磨といった悪知恵も含む、清濁併せのむイメージを基本とした。
※ 翻訳すると長くなる。これは、日本語に訳出した場合だけでなく、ドイツ語にした場合も言えるのが、興味深い。ここでは、anderen(ほかの人々に)が説明的に加えられている。
※ kein Menschにすると、一人もいない、という意味になるが、フランス語原文は、ほとんどいない、と含みを残している。ただ、日本語にすると、そうなのであって、Il n'y a guèreとkeinは、ほとんどイコールなのだろう。es gibt keinen Menschとしていないのは、構文的には、同じになるが、長くなるので、意味的に同じKein Menschを主語にしたのだろうと思う。
※ connaître(know)をermessenと翻訳しているところが注目される。wissenと単純に相当語に置き換えずにconnaîtreの意味の中で、ermessenの評価する・理解する・把握するという意味の系譜を前面に出した、訳者の解釈が反映している。






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