以下は、ガリマールから1999年に出た『シモーヌ・ヴェイユ作品集』の編者、フロランス・ド・リュシによるヴェイユのエッセイ『時間について』の解説である。このエッセイは、ヴェイユが19歳のときに執筆されている。16歳でアンリ四世校に入学し、アランに師事して3年経った段階で、19歳で高等師範学校に入学した年にあたる。高等師範学校に入学しても、ヴェイユはアンリ四世校のアランの授業に出席し続けていた。このリュシの解説を読むと、アランの指導がもっとも良い形でヴェイユに出ていることが伺われる。ヴェイユの時間論は、労働論が基礎にある。時間を見つけて訳出を試みたい。
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1928年に書かれたこの記事は、アランの雑誌にシモーヌ・ヴェイユが発表した二番目のエッセイである。一番目のエッセイは空間の概念に捧げられていた(『知覚について、あるいはプロテウスの冒険』)。二番目のエッセイで、シモーヌ・ヴェイユは労働の定義を与えようとしている。労働は、シモーヌ・ヴェイユによれば、我々の知識の形成にとって本質的な役割を果たしている。「時間と広がりをいつも一緒に[強調は筆者]私に与えてくれるのは、ただ労働の苦難を通じてだけなのである。条件としての時間、私の行動の対象としての広がり」。したがって、世界とは何か、を自問するのことはさほど問題ではない。むしろ、これも一つの世界であるにしても、「いかにして私になったのか、どんな条件の下で私は存在しているのか」、私に課されているのはどんな無力なのか、そして、私が持っているのはいかなる行動力なのか、ということを知ろうとすることこそが重要なのである。