■旧暦5月2日、木曜日、、夏至、蒸し暑い!
(写真)無題
先日、特養の叔母を見舞ったとき、天気が良かったので、近くの公園へ紫陽花を見に連れ出した。車イスなので、押してゆくわけだが、下り坂になると、非常に怖がる。緩やかな坂でもダメなのだと言う。上り坂は、怖がらない。足腰が弱ると、上り階段よりも下り階段が辛くなると言うが、歩けなくなると、少しの加速も怖くなるものらしい。日常生活の中で、あまり歩かなくなってから、人間の感情は、その密度が薄くなったように思うのだが、どうだろうか。
☆
Hegel dit quelque part : Die Geschichte ist nicht der Boden für das Glück. Die Zeiten des Glücks sind in ihr leere Blätter. Ailleurs, il affirme que la source du tragique réside dans les limites de l'individualité, qui ne peut pas les franchir sans se détruire. Dans son esthétique, il reproche à l'art et la culture grec de ne pas s'être élevés jusqu'à la comprehension de la souffrance et de s'être maintenus dans un esthétisme raffiné. Ces propos permettent de cerner l'image intérieure d'un philosophe. Ciolan Solitude et destin p.171
ヘーゲルは、どこかで、こんなことを述べている。「歴史というのは、幸福のための場所ではない。幸福な時というのは、歴史の白紙ページにある」他のところで、ヘーゲルは、悲劇の原因は、自殺以外には超えられない個人の限界にあると述べている。美学の中で、ヘーゲルはギリシャの芸術と文化を非難して、ギリシャ芸術は、洗練された美意識の中に留まったままで、苦悩を知って初めて高みに至ると述べている。この発言が、哲学者の精神的なイメージを決定したのである。
■面白い。ヘーゲルの美学は、面白そう。苦悩を知って初めて高みに至る、という言葉は、ヘーゲルやヘルダーリンなどが共有したロマン主義の時代精神を感じさせる。その高みとは、歴史的な現実の中では、フランス革命だったのだろう。
これで、シオランのヘーゲル論は終わり。面白かった。次回からは、シオランの「北斎」に関する短いエッセイを読む予定。出版社の方が見ていたら、この本は面白いので、翻訳企画の提案をしたいところです。版権はもうどこかに、取られているかもしれないけれど。