les généalogies des Essais―Delfini Workshop annexe

エセーの系譜をおもに検討。

L・Wノート:Bemerkungen über die Grundlagen der Mathematik(33)

2012年07月18日 | Wittgenstein

■旧暦5月29日、水曜日、

(写真)7.16さよなら原発10万人集会

夏は、暑くて叶わないが、洗濯ものが早くよく乾く、という利点もあって、そう嫌いではない。西日の風情など、なかなかいいのではないかとさえ思っている。夏は、風呂上りが一番気持ちがいい。

アンソロジー詩集『脱原発・自然エネルギー218人詩集』(日本語・英語 合体版)が、刊行! 片桐ユズル、高 炯烈、若松丈太郎、ゲーリー・スナイダー、ベアト・ブレヒビュールほか、世界の多数の詩人たち。一読されたい! ここから>>>

神保町の時代小説専門の古本屋「海坂書房」が閉店していた。ずいぶん、前に閉店していたのだが、知らなかった。神戸から東京に戻りたての頃、友人の紹介で、後に、「海坂書房」を経営することになる、Yさんと知り合った。25年くらい前である。Yさんは友人たちと、詩や小説やイラストの同人誌を出していた。東京でも、詩を発表する媒体を探していたぼくが、共通の友人に紹介を頼んだのだった。新宿の喫茶店ではじめて会ったとき、ぼくを見るなり、「銀行員でしょう」と言ったのには、参った。自分では、タイプは真逆だと思っていたからである。ぼくもまだ20代後半で若かった。Yさんの周りには、不思議な人種が集まっていた。イラストを描くベーシストや短編小説の巧い豆腐屋、詩を書かない全身詩人など。その同人誌の合評会兼忘年会のとき、Yさんが突然、隣にいたぼくに、ある人妻を口説きたいのだけれど、智恵を貸してくれ、というようなことを言ったのである。ぼくも若かった。年上のYさんにそう見られたのが、くすぐったくて、そんな経験などありもしないのに、いかにも、場数を多く踏んだ、いっぱしの粋人のような口吻で、しかじか、と智恵を伝授したのである。その戦略が奏功したかどうかは、とうとう聞かなかったが、バツイチだったYさんが、その後、再婚したという噂は耳にしていない。



43. Wir neigen zu dem Glaube, dass der logische Beweis eine eigene, absolute Beweiskraft hat, welche von der unbedingten Sicherheit der logischen Grundß und Schlußgesetze herrührt. Während doch die so bewiesenen Sätze nicht sicherer sein können, als es die Richtigkeit der Anwebdubg jener Schlußgesetzue ist. Ludwig Wittgenstein Bemerkungen über die Grundlagen der Mathematik p. 174 Werkausgabe Band 6 Suhrkamp 1984

論理的証明は、論理学の基本法則と推論規則の無条件的確実さに起因する独自の絶対的な証明力を有していると、われわれは考えがちである。だが、そのようにして証明された命題には、推論規則の用い方が正しいという以上の確実さはないのである。

■論理学の基本規則や推論規則は、無条件に正しく、真理であるとだれしも考えるからこそ、証明が成立するのだが、ヴィトゲンシュタインは、そうした規則に内在的に真理が存在するのではない、と言っている。証明の成立は、論理学的規則や推論規則が正しく用いられた、ということ以上ではない。証明されたから真理というわけではない、ということだろう。

この断章は、なかなか、衝撃的で、たとえば、デカルトの有名なテーゼ「Je pense, donc je suis/ego cogito, ergo sum(われ思うゆえにわれあり)」は、疑い得ないもの、絶対的な確実性を表現した命題だと、一般には受け取られているが、これは、なにか絶対的真理ではなく、推論規則の正しい運用以上のものではない、ということになる。


Cioranを読む(118) Hokusai(3)

2012年07月13日 | Cioran

■旧暦5月24日、金曜日、

(写真)底紅

いつも5時前に眼が覚めるのだが、今日は9時まで眠れた。心身が軽い。

チェリビダッケの音源が、安価で出始めた。ここから>>> クラシックファンには、嬉しいニュースである。ブルックナーを聴き直してみようと思っている。戦後、フルトヴェングラーの跡を継いで、ベルリンフィルの再建に奔走したが、ベルリンフィルと衝突、その後、ミュンヘンフィルで活躍。レコーディングを嫌い、音源はほとんどライブのみ。しかし、このチェリビダッケという人、調べると、非常に面白い。ユダヤ文化に近いところで育ち、イディッシュ語に堪能だった。なかなか、毒舌家で癖のある複雑な個性だが、禅宗の仏教徒でもあり、フッサールの現象学講義も行っている。実に興味深いお人である。ここから>>>

電車の中などで、『よろず数学問答』(石川剛郎 日本評論社)を読んでいる。数学の講義の中で、著者が出会った学生の質問とその答えを記録したもの。専門的な話になると理解を超えるが、たとえば、次のような質問は、非常に面白いと思う。

問:掛け算で(マイナス)×(マイナス)=(プラス)になる、という必然性がわかりません。

答:数直線を「ひっくり返す」という操作を-1を掛けるということと見なします。それを2回続けると何もしないことと同じ、つまり、1を掛けることになるので、ほら、(-1)×(-1)=1は自然ですね。

(『同書』p.65)




Si i'on cultive tellment la musique en Allemangne, n'est-ce pas en raison d'une expérience initiale pessimiste de l'infini? Et l'étrange perspective de l'individuation dans l'art japonais ne découle-t-elle pas du fait qu'il s'est développé dans une culture de la grâce?
L'oeuvre de Hokusai ne peut pas être comprise si l'on oublie que la grâce est une caractéristique essentielle et dominante au Japon.
Cioran Solitude et destin p.127

ドイツ音楽に造詣が深いかどうかは、その底知れぬ悲劇性をはじめにどれだけ体験したかによる。日本の芸術の個性が分からないという意見があるが、それは、日本の芸術が「優雅の文化」の中で発展してきたせいではないだろうか。
北斎の作品は、優雅さが日本の文化の重要で本質的な特徴であることを忘れると理解できなくなる。


■北斎の絵を「優雅」だと感じる日本人は、あまりいないのではないか。斬新、大胆、独創的と言った方が、たぶん、似つかわしい。la grâceは「優雅、優美、上品」といった意味以外にも、霊感や天賦の才など、神から与えられた能力を意味する。日本の文化を、そういう天才の文化だと解すると、なかなか、ある一面を突いている気もするが、それは、ほかの偉大な文化にも同じように言えることだろう。

Cioranを読む(117) Hokusai(2)

2012年07月05日 | Cioran

■旧暦5月16日、木曜日、

(写真)花

疲労して、遅く起きた。洗濯、取り込み、ゴミ捨て、生協箱入れなど。

今日は、二つ大きなニュースがあった。一つは、国会の事故調査委員会が、原発は人災だと認定したこと。ここから>>> これで、あれだけの汚染規模と、これからも続く放射能災害の責任をだれも取らない、という異常な事態から一歩抜け出た。東電と国の責任を明確にし、社会的な共通認識を形成してゆくことが重要になるだろう。マスメディアは、自然災害というイデオロギーに加担したり、事故原因をあいまいにしたりしてはならないと思う。これは、ある意味で、メディアの戦争協力と同じ次元の話だと思う。

もう一つは、質量を生むヒッグス粒子の存在がほぼ確認できたというニュース。ここから>>> 以前にも触れたが、存在確率99.9999%以上、という物理学の基準は、面白い。1万回のうち1回は、非在であっても、それは誤差で、存在するとする根拠が、今一つよくわからない。以前の記事はここから>>> これを読むと、ヒッグス粒子の探索グループの数が関連するようだが、存在基準、99.9999%は、なにも、ヒッグス粒子専門の基準ではないだろう。でなければ、一般化した議論はできなくなる。



Cela explique pouqoir la culture égyptienne, qui est une culture de la mort, a donné tant de profondeur au sens de l'éternité et de la transcendance; pourqoi la culture grecque, où le culte de la forme exalte l'accomplissement dans l'immanence, a manifesté avec non moins de profondeur une tendance à la cristallisation et à l'individualisation. Cioran Solitude et destin p.127

こうしたことは、死の文化であるエジプト文化が、あれほど深い永遠性と超越性を獲得したわけや、形式という宗教が内在的な行いを賞賛するギリシャ文化で、あれほど深い個性化や具体化の傾向が生じたわけを説明してくれる。

■死の文化が死後の永遠や超越した世界を求め、内在的な文化が個性化や具体化を育むのは、力によるというよりも、論理的な必然だと思う。



Cioranを読む(116) Hokusai(1)

2012年07月04日 | Cioran

■5月15日、水曜日、、満月

(写真)夏の空

見沢知廉をテーマにしたドキュメンタリー「天皇ごっこ」を観た。ぼくの偏見かもしれないが、右翼運動に走る人は、最後には、自分に切れる。三島由紀夫しかり、野村秋介しかり、見沢知廉しかり。最初と最後に、見沢の講演かなにかの肉声が入るのだが、最後は、声がやはり切れている。感情が爆発するのである。だが、不思議なことに、一水会代表の鈴木邦夫氏には、切れるという感じはしない。伝統的な右翼とはどこか違うのかもしれない。見沢知廉は、「日常」には生きられなかった人なんだろう。今は、左翼として語られる雨宮処凛が、見沢の弟子だったことにも驚いた。歴史の事件は、大きな紛争や対立に現れるが、歴史の理念は、日常の細部に現れるように思うが、いかがだろうか。



Il y a dans la structure de chaque grande culture une note dominante qui lui confère un caractère spécifique.
La sensibilité et l'attitude de l'homme sont façonnées sous l'impulsion d'un fond culturel originel et les contenus sont critallisés en fonction de cette note dominante. Bien que chaque culture ait de multiples virtualités, elle actualise et exprime avec force unoiquement celles aui sont proches de ses valeurs spécifiques.
Cioran Solitude et destin p.127

それぞれの大文化の構造には、それに独自の性格を与えるような支配的な雰囲気がある。
人間の感受性や態度というものは、もともと、文化の奥に潜む衝動によって形成され、そのありようは、この支配的な雰囲気によって決められている。それぞれの文化は多くの潜在性をもつが、それが固有の価値をどうにか実現できるのは、もっぱら力によってである。


■ニーチェの影響を感じる。北斎にどうつながるのか、楽しみである。