■旧暦7月10日、月曜日、
(写真)無題
渋谷のスペイン坂にあるBiocafeの黒豆ベーグルを、食してみた。5種類の豆を使用した天然素材のベーグルで、軽く焼いただけで非常に美味い。パン生地の香からして違う。300円は割高かもしれないが、ベーグルベーグルなどと比べて格段に美味く素材もいいので、損をした気分にならない。普通のベーグルの1.5倍の大きさ。お勧め。ここから>>>
パブコメの9割弱が、原発0シナリオを支持した。ここから>>> 逆に、これだけ、0シナリオが多いと、15シナリオや20-25シナリオを支持した人の意見とその根拠を、じっくり読んでみたくなる。国家戦略室がパブコメを公開している。ここから>>>
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Le bond spontané, gratuit et désintéressé est dans la nature de la grâce. Elle place l'homme et les objets dans un cruieux état de détachment, elle les suspend et les individualise dans les airs. Cet état n'est pas le fruit d'un processus d'isolement provoqué par un tourment personel ou par un long désespoir; il est destiné à maintenir une harmonie dynamique sur le plan esthétique. Tout ce qu'a créé Hokusai donne l'impression que le monde s'élève au-dessus de son plan normalet qu'il flotte, sans que le dynamisme implicite suggère un trouble torturant ou une rupture intérieure car, dans la gràce, la conscience n'a pas brisé les liens qui l'attachent au monde organique et l'esprit n'est pas arrivé è l'expansion centrifuge qui le sépareait de l'âme. La continuité qualitative et la fusion organique ne conduisent pas, dans l'art japonais, à la rigidité et à la fixité, elles conduisent à la souplesse et à l'ondoiement. Cioran Solitude et destin p128
自発的で無私無欲な跳躍が優雅の特徴である。優雅は人と物を無関心という奇妙な状態に囲い込み、その雰囲気の中に置き去りにするばかりか、その無関心さの中で、人や物の個性を形成するのである。優雅は個人的な悩みや長い絶望の果ての孤立化が生んだものではない。優雅は、美的次元で、ダイナミックな調和をもたらすものなのである。北斎が創造した作品はどれも、暗示的な動きが、悩みや内的決裂を示すことなく、その世界が普通の次元を超えて、浮遊しているような印象を与える。というのも、優雅の中では、意識は自らを有機的世界につなぎとめる絆を断ち切ることがなく、精神は自らを魂から分離していた遠心力まで到達することがないからである。日本の芸術の場合、質的な連続性と有機的な融合は、厳格さや硬直化にはつながらず、柔軟性とゆらめきにつながったのである。
■面白い意見。優雅の概念の展開は、面白いが、どこか、後のロラン・バルトの記号論的な日本文化批評を思い出させる。また、亀井勝一郎の百済観音像と聖母マリア像を比較した議論にも通じる気がする。ぼくなら、芸術が、悩みや内的決裂を示すのは、むしろ、意識の有機的世界との繋がりや精神と魂の一体化が、もともとあったのに、その実現が阻まれているからだと考えるだろう。
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