池田澄子の俳句に導かれて
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの
(池田澄子「池田澄子百句」創風社出版)
池田澄子の俳句を読んだことのある人なら、この句を知らない人はいないのではないか。
私はこの句を初めて読んだとき、俳句っておもしろいなあと思った。こんなに普段着の口語で俳句が作れるなんて、いいなあと思った。
じゃんけんで負けて
蛍に
生まれたの
詩のように行分けしてみると、少し意味が見えてくる。と同時に、「なんでじゃんけん?」「なんで蛍?」というはてなマークもつく。さらに理屈で攻めると「じゃんけんで負けたものが、なぜ蛍に生まれるの?」と、哲学風なはてなマークもつくかもしれない。
要らぬお節介というものだろう。
私はといえば、蛍を見ても「じゃんけん」は思い浮かばないなあ、じゃんけんを思い浮かべても「蛍」は飛ばないなあと思い、その言葉の結びつきに感心してしまった。俳句ってなんて楽しい言葉遊びだろうと、教えてもらった。
だから、ただ面白い句だと受け止めるだけでいいのかもしれない。分析し、説明をしてみようなどと思わず、口に出して何度も読み上げ、勝手に妄想してみれば、それでいいのかもしれない。
じゃんけん、ぽい!
じゃんけん、ぽい!
ああ、負けちゃった!
では蛍ね、あたしは。
真っ暗な世界に生まれていくのって
ちょっとこわいけど
でも、そうだ!
あたしはあたしの灯りを信じよう
ほんのちいさな灯りだし
ほんのみじかいイノチだけど
だれかがあたしを見つけて
アッ、ほたる!
そうよろこんでくれるかもしれない
そうなったら、うれしいな
そうなったら、すてきだな
蛍に生まれるのって
なんか楽しみ!
こんな妄想をたくましくしてみる。
暗黒のこの世に生まれてきた蛍に、あなたは負けた存在なんかじゃないよ、といってみる。生きてることがつらくても、生まれなければよかったなんて思わないで、といってみる。そして、暗闇のなかに、ポッ、ポッとひかる蛍を、うつくしく点滅させてみるのだ。
●ご訪問ありがとうございます。
池田澄子を知ったのと、渥美清を知ったのと、同じような時期です。心ヒロヤカな俳句に出会えてうれしいです。