死者の眸(め)②
死へ向かう道透きとおり彼が行く
彼がこれまでどう歩いてきたか、私が知っているのはほんの一部分、断面にすぎない。けれど彼は確かに歩いてきたのだ。そのことが私に重く響く。
彼の残り時間はもうわずかだろう。一刻一刻と、透き通っていく姿を想像しながら、その最期の足取りを頭の中で追っている。
覚悟の死覚悟の生のその続き
母が亡くなる時、目の前で心臓マッサージと電気ショックをされた。その瞬間の母の驚きや恐怖はどれほどであったろうと、何十年経っても申し訳ない思いが消えない。私が病院へ駆けつけた時、すでに意識はなく、体に巻きつけられた管の中で、かろうじて息をしていた。延命治療をしないでほしいという意思表示をするチャンスはなかった。
だが、もしも母の意識が鮮明であったら、最期の時は静かに、穏やかにしてほしいと願っただろうと思う。わずかの時間でもいのちを延ばす、ということを良しとなかっただろうと。
母の一生は苦労の多いものだった。その生の中で、いつも覚悟のようなものをもっていた。そう感じる生き方の厳しさがあったのだ。
ゆるゆるのズボン履く 死もズルズルと
「良く生きる」の反対語は何だろうか。「人の道を外れて悪(あ)しく生きる」「身勝手に、エゴ丸出しで生きる」「いのちを粗末にする」「ひとの人格も自分の品性も重んじない」「自分をわきまえずに奢って生きる」「畏(おそ)れるべき方を畏れずに生きる」などということばで落ち着くのだろうか。
若い時に、「死に対して不謹慎な者は、生に対しても不誠実である」という詩を書いたことがある。「覚悟の死覚悟の生のその続き」という川柳も同様のことだ。今もこの思いは変わっていない。
いや、人殺し、拉致(らち)、詐欺、強盗、虐待、いじめ、ハラスメント、宗教詐欺、動物殺し、政治家や企業の不正、そして原発、戦争などを頭に浮かべると、いっそうこの思いが強まってくる。
いのちがあるということは「奇蹟」なのだ。
一人ひとりに「替え」はないのだ。
その命を尊び、大切にしないではいられない。人生をもっと丁寧に、真剣に生きなくてどうする、という思いが湧いてくるのである。
―こんな口を臆面もなくきく私だが、実は二十代の私はほんとうに傲慢で、命を粗末に扱う者であったのだ。
自死を考えたこともある。血尿を出しながら焼酎をあおっていたこともある。夜中、自転車の逆走を、無灯のままで幾度もくり返したこともある。何人ものひとを傷つけ、裏切ってきた。
生きて二十歳を越えられるかと、十代の終わりに思った私は、二十代になってもまだ命をもてあそんでいたのだ(その日その日が楽しければいい、ひとの不幸は関係なく自分だけ満足できればそれでいい、さらには、自分の幸福のためにはひとを犠牲にしても心は少しも傷まない、という姿勢はなかったかもしれないが、生に対して厳かになれぬ者であったことに違いはない。同類である)。
だからこそ、という気持ちである。だからこそ「君のいのちに真心で向き合い、あなたの人生をどうか大事にだいじに生きてください」とお願いしたくなるのである。
―いのち吐く善悪吸った肺でした
死者の歳 二歳若いとテレビ見る
音楽家や作家や芸能人など、テレビで訃報(ふほう)を告げることが多くなった。私の知らない人もいるが、その人を含めて、「亡くなったのは何歳か」と心が動いてしまうことがある。自分は長く生きたい、というのではないと、自分では思っている。だが、つい年齢を自分と比べてしまうのだ。そして、ああ自分より幾つ上だ、いくつ下だ、そうか同学年かなどとつぶやく。そんな時があるのだ。
長生きも芸のうち、といった作家がいた。そのように長生きを願い、誇りとする気持ちはない、と先ほど書いた。だが、本心はどうなのか。「人生百年」と宣伝する生命保険会社に共感を覚えるところが、実はあるのではないか、
と、自問する時もあるのだ。
だがー。
いのちはかみさまのものだから、一日どころか一時間でさえ己の意志で延ばすことはできない。―まず、こう考えている。
かみさまが良しとされたら、もうしばらく命は続くのだろう。―こうも考えている。
そして、この世での役目はもう済んだ(これは十分ひとに尽くしたという意味ではない。人一倍苦しんだり悲しんだりした、ということでもない。何か社会的な功績を上げたとか、ひとの幸福につながることをしたとかいうことでもない。「わたしがこの世に生まれたこと、その意義がかみさまにとって果たされたと、そう神が判断された」というような意味である)ということであれば、次の世界へ招いてもらえるのだ。―この考えがいまのわたしの位置である。だから、命についての望みは神の御心に委ねる、というのが、今の「覚悟のようなもの」といえるのだと思う。
―うろこ雲わたしの場所はあの一つ
覚悟の死覚悟の生のその続き
夜中に架かった虹が
朝の棺に煌(かが)やいている
今日はきみの葬儀の日
弧を逆さまにした虹から
きみは紫の色をえらんだ
いちばん下 いちばん外になった色
そのうつくしい紫が
もうすぐ
空を渉(わた)っていく
きみの肺からだされた
神へのさいごの祈り
紫陽花いろの息のかわりに
ぼくらは残った六色から
思い思いの色を選ぼう
やがてそれぞれの空を渉っていくために
そして あの大空の上で
ぼくらはまた 虹の七色の弧をえがこう
きみの紫をいちばん内側にかこんで
★たんぽぽの 何とかなるさ 飛んでれば
★いつも読んでくださり、ほんとうに有難うございます。
身近なひとを何人も弔ってきました。わたしの心のひきだしに、一人ひとり納まっています。さまざまな思い出とともに。