もう少し後の、またまた京都行きの話、
ですから
再びなどという生易しいモンじゃなく、ミタビヨタビなのですが本当は。
この日は特段目的地はなく、と言って毎回まぁそのよーな感じっちゃ感じなのですが、名神高速を東インターで降りてもなお、行き先が決っていないということなのであります。
インターを下りてそのまま西に一直線、山科をずーっと抜けて、御陵から蹴上を経て市内に突入する経路がウチラのいつものルートで、
流石にこんだけ同じ道を走ってると、最初のうち御陵(みささぎ)を「これなんて読むんやっけ?えーと、あっ!マタタビや!」(実話)といっていたウチのカミサンも、最近は見事に読み上げるのでありますが、
もひとつ毎回、市内に入る目印に登場するのが、インクラインであります。
インクラインというのは傾斜鉄道という意味で、旅客営業用のケーブルカーに対して、産業用のものがそのよーな呼称で呼び習わされています。
大文字の山から南禅寺に下ってその先、京の町はわかりやすく大きな盆地を形成しているわけですが、琵琶湖からやってきた疎水はそのくぼ地に向かって一気に流れ下っていきます。
その流れがあまりに急なもんだから、もともとの疎水の主役であった船便は急流すべりのていで、あぶなくて下れない。
そこでこの区間、舟をよっこらせと貨車に乗せてレールの上をそろそろと降ろすのです。
それがインクライン、
であったのですが、その遺構がちょーど、蹴上の坂の下りの右手に現われるといよいよ京都だ、というわけです。
以前、銀閣から若王子神社に至る哲学の道を歩いたとき、その終点で大地に潜った疎水の流れは、そのインクラインよりはすこーし北っ側の南禅寺から続くものであったわけで、そこにある疎水のシンボルというべき“水路閣”へはまだ行ったことがなくて実は、
今日はそれ!
で南禅寺へ。
お断りをしておきますがマズ、今回は別段面白おかしいエピソードは出てまいりません。
そんなに毎回毎回面白話はないので。
また、なんか持って回った社会風刺や政治批判もありません。
毎回毎回そんなことを考えてる閑はないの。
で、いよいよ南禅寺。
車を置いててくてく歩っておりますと、この大寺はかなりの観光客がいてにぎやか。
途中巨大な山門を眺めて奥のほうに進むと、右手にその威容は出現いたします
びしっ!と。
朽ち果てた枯葉のような風景になじんだ色合いで、めがね橋の橋脚がいくつも連なったような水路閣が、真一文字の横っ面を見せて木々の間からのぞくさまは、
逆さ木漏れ日、とでも表現したらよいのか光の代わりに、うずたかく積もった時間の輝きで迫ってくるよーなものであります。
だから南禅寺なんか本当は、今日はどーでもいいので。
ですから
再びなどという生易しいモンじゃなく、ミタビヨタビなのですが本当は。
この日は特段目的地はなく、と言って毎回まぁそのよーな感じっちゃ感じなのですが、名神高速を東インターで降りてもなお、行き先が決っていないということなのであります。
インターを下りてそのまま西に一直線、山科をずーっと抜けて、御陵から蹴上を経て市内に突入する経路がウチラのいつものルートで、
流石にこんだけ同じ道を走ってると、最初のうち御陵(みささぎ)を「これなんて読むんやっけ?えーと、あっ!マタタビや!」(実話)といっていたウチのカミサンも、最近は見事に読み上げるのでありますが、
もひとつ毎回、市内に入る目印に登場するのが、インクラインであります。
インクラインというのは傾斜鉄道という意味で、旅客営業用のケーブルカーに対して、産業用のものがそのよーな呼称で呼び習わされています。
大文字の山から南禅寺に下ってその先、京の町はわかりやすく大きな盆地を形成しているわけですが、琵琶湖からやってきた疎水はそのくぼ地に向かって一気に流れ下っていきます。
その流れがあまりに急なもんだから、もともとの疎水の主役であった船便は急流すべりのていで、あぶなくて下れない。
そこでこの区間、舟をよっこらせと貨車に乗せてレールの上をそろそろと降ろすのです。
それがインクライン、
であったのですが、その遺構がちょーど、蹴上の坂の下りの右手に現われるといよいよ京都だ、というわけです。
以前、銀閣から若王子神社に至る哲学の道を歩いたとき、その終点で大地に潜った疎水の流れは、そのインクラインよりはすこーし北っ側の南禅寺から続くものであったわけで、そこにある疎水のシンボルというべき“水路閣”へはまだ行ったことがなくて実は、
今日はそれ!
で南禅寺へ。
お断りをしておきますがマズ、今回は別段面白おかしいエピソードは出てまいりません。
そんなに毎回毎回面白話はないので。
また、なんか持って回った社会風刺や政治批判もありません。
毎回毎回そんなことを考えてる閑はないの。
で、いよいよ南禅寺。
車を置いててくてく歩っておりますと、この大寺はかなりの観光客がいてにぎやか。
途中巨大な山門を眺めて奥のほうに進むと、右手にその威容は出現いたします
びしっ!と。
朽ち果てた枯葉のような風景になじんだ色合いで、めがね橋の橋脚がいくつも連なったような水路閣が、真一文字の横っ面を見せて木々の間からのぞくさまは、
逆さ木漏れ日、とでも表現したらよいのか光の代わりに、うずたかく積もった時間の輝きで迫ってくるよーなものであります。
だから南禅寺なんか本当は、今日はどーでもいいので。