お気楽ご夫婦日記

ええかげんなダンナと天然のカミサンの心温まる?日々の記録です。

はじめての西ノ京

2009-08-27 | Weblog
ただっぴろい、
ひたすらただっぴろい平城宮から、ハラホロ((((゜o。)))ヒレハレでやってきたのは西ノ京。

唐招提寺の前の駐車場に止めて、いざ鑑真のお寺へ。

ここで例によってなんも知らないカミサンに薀蓄。

「あのなーこのお寺はなー」ダンナ
「うんうん」カミサン

「ガンジンさんっちゅう偉いお坊さんが開いたんやに」
「ほうほう」

「ほーほーやなくて!その鑑真さんは実は中国人やに!」
「ほーほー」

「おまけになー」
「ウンウン」

「ガンジンさんは目ぇが見えへんかったんやに!」
「へーそーなんや、なにしたひと?」

「…しらん」
「…そーなん」

いつものよーに終了。


そしてもひとつ、いつものよーに
『金堂解体修理中』\(--;)またかい

で、
そこそこにして、今度はいよいよ薬師寺に。


唐招提寺から薬師寺に向かう小道は、とりたててどーということもないのですが、

狭い道のかたわらを水路が走っており、その向こう側が近鉄線の線路になっております。

この
道と線路の間に高木が植わっていて、この木々が車窓から、小道側からちょーどいい頃合いのブラインドになるのであります。

左手は途切れがちな家々の隙間から、なだらかに田んぼが続き

そのはるか向こうがかつての都のはずれ、今は県都の中心地区大仏殿や若草山が遠望できるという

その道を
ぶらぶらと歩いていくと
ほどなく薬師寺の門前。


狭い入り口からはいって、
ぐるっと歩かされて、

次に
立派な回廊に囲われた、広々とした境内に導かれる。


はじめて間近で見る東の塔と、あたらしい西の塔。

「立派やな~」とカミサン
でも
「うん…」と
なにか釈然としない風なダンナ。

この日は天気もそこそこ良かった。

だからか、

記憶の中の東塔が、その全容を仰ぎ見たにもかかわらず、なにか
ぼやけて見えたという、

矛盾だらけだったダンナ。


この日から何ヶ月かたった今日、記憶から引き出した思い出せる東の塔が、

この日のそれではなく、車窓から木立越しに飛び去っていったあの時代のほうが濃い

ということは、
はて?

どーいうもんなんでしょうか。










2回目の宇治

2009-08-26 | Weblog
「京奈和自動車道」

これが実はまったく未知の道でありまして、
のったが最後何処に行くのかワカラナイ。

ただなんとなく、奈良から北のほうに延びていたよーな覚えがあったので、

えいや!

と乗り込んだわけでありまして、この日。


奈良は西ノ京

なんかの雑誌で見た平城宮の朱雀門に、一回行っとけ!

というのがそもそもの発端であります。

そしてダンナはガクセイ時代、
近鉄京都線の車窓から幾度となく眺めた、
また
カミサンも、ボーズのとこに行くのに何回かは眺めてるはずだが、実は常に寝てるので「そんなんある~??」という、
二人とも一度も行ったことのない薬師寺と唐招提寺にも

いっとけ!
という、そんな日でありました。

で、
この日はだから“ウジ”でも“アスカ”もない、もひとつ前の道行きで、

じゃあついでに、
ここもすこーし書いておきますが。


京都のダイガク時分に見知った薬師寺は当時まだ、西の塔はありません。
1981年に再建されていますから。

近鉄特急の窓から木立越しのすぐそこに見えた東塔はそれは厳かで、
この地点を通過することで

田舎のタンボの空気を引きちぎり、ボクは京都の学生に戻っていったように記憶しています。

一見五重か六重に見えるこの塔は、実は構造的には三重の塔で、アワサに控える小屋根は裳階(もこし)というそうです。

この造形が、若い頃の日常の中にアッタというのはきっとラッキーなことだったのだろうと、今になって思います。

今回、それをカミサンに見せてやろーという
まっ、それもありました。