お気楽ご夫婦日記

ええかげんなダンナと天然のカミサンの心温まる?日々の記録です。

なぜか御在所6

2007-06-28 | Weblog
そーあれは、、、

山上西側のエリアに向かう途中、だんだん晴れ間ものぞいてきて視界も良くなってきますた。

で、ふと左のほうを見ると、

ん?



みてみ!家があるゾ!あんなとこに
いえ???なにそれーー
あれーー家やろあれは!
えっえ~、ちがうてーー


ネッ

家でしょアレは、どー見ても


いやーえ~な~、こんなとこに住めて~、住みたいなー
でも通勤が大変やろなぁ
毎日2100円かかるしぃ
台風の時とかも大変やろなー
そんなアホな~

と、

こゆフウに、
無理やり楽しむパターンが出るときは気分が良いときであります^^;


山頂三角点から、もう既にかなりハラホロ(((。o゜)))((((゜o。)))ヒレハレであったのでしが、これはモウあの家を見んとかえれん!と、さらに南の方面に。


こちらにはマタ三角ベースくらいできそうな広場に国定公園記念碑(ここも見晴らし良!)

そこからは一面熊笹が群生しており、一旦下ってまた上ったところが山上の家?


この途中にあったのが「長者池」、小さな祠となぜかドラが。

この場所は周囲からくぼんだ場所で回りは木立に囲まれ、高山の頂上とはとうてい思えない風で、

「ぶぉ~ぶぉ~」と静寂の中に牛蛙n('~')nの低い声が響いておりました。

・*:・(人´∀`)神秘的・・・


そしてイヨイヨ山上の家に、

誰かおるやろか?^^;










なぜか御在所5

2007-06-28 | Weblog
ちょっくら御在所に行ってきたので、ちょっくら書いとこうと思っただけなのに、

書き出すともう「5」

おまけに、

例によってしょーもない引っ張りで次回に期待させといて、ぜんぜん大した事ないのは当然としても、オチもない、と^^;

そのよーなジョーキョーなのは重々判っております。

でもまぁ日記っすから、しかもお気楽な。

こんなもんだって^^


と、、、
ゆーわけで

写真はちょーど山頂付近、三重と滋賀の県境を徒歩で滋賀県よりに10m越えた付近から見た、琵琶湖

が、

晴れてれば見えるはずのショット

ね、結構きれ~でしょ

そこそこ晴れてるんだって滋賀県側は。

でも振り返ると三重県側はモワモワ。

「不思議やなーー」
「いや、これはなーー」
と、突然解説しだすダンナ

「日本海から湿った空気がやナ、鈴鹿山脈にドーン!と突き当たって」
「ふんふん」
「ヤマをこうスラッと越えるとな
「ふんふん」
「ほわっと雲ができんねん!」
「ふんふん」
「ほやからコッチは晴れとってアッチは曇りやねん」
「おーー!かしこいナ~」

・・・

なんか軽く腹立つやっぱし、こいつ完全になめとるナダンナをヽ( ̄_ ̄メ)

などと^^;

御在所山上、西側のエリアはココ望湖台ほか見所いっぱい!なのですた。

ふたりはマズココを制覇し、次に

メインの山頂にあたる一等三角点のあるエリアでは、
「これが三角点やで!」
「そや!サンカクテンや」

・・・

(わかっとんのか?コイツ)(;¬_¬)ジーーーヾ(  ̄∇)オホホ

などと^^;


いやいやシカシ、時折日差しもあり、景色はエエし風がむっちゃ気持ちエエし!

御在所ってええやーーん

あんまし期待してなかったので実は、うれしいホウの期待はずれでしたホントに。



あっ、結局書けなかった^^;

このヨウナ山上にアリエナイものの話。


では、改めて、、、

そこに突然、このよーな山のテッペンにありえないものがぁ

ハッ!(゜∇゜ )\(--;) …おい


















なぜか御在所4

2007-06-27 | Weblog
山頂に行くならきっと寒いくらいだろうと思ってまして、Gジャンを用意して、カミサンにも「なんか羽織るもん持ってったほうがええよ」と出る前に言ってたのに持ってこない、コイツは。

途中の車でふと思い出して、
「着るもんもった?」
「あーー、わすれた!」

でもすぐに、
「ま~大丈夫やろ(σ◇σ)ケケッ」

なんか軽く腹たつ(-_-メ)ムカ!今に見ておれ(-_-メ)



ところがちっとも寒くない。てか歩き回ってるので暑い

かといってGジャン持ってうろうろしたくないので着たまま。
「ぬいだら~」
「ええ!」
「せやからゆーたのにぃー」

うそつけっ!しもたゆーとったやないか!


などと、
だんなは既にハラホロ((((゜o。)))ヒレハレだったのでしが、、、

霧がモワモワというわけではないにせよ、山上駅からも眺望などは到底望めず、道中林の中を続く道もサーっと霞のフィルターがかかった様な状態だったのでしが、

西側の山頂のほうに歩いていくにつれ、途中から雲も切れはじめ晴れ間もみえる天候に。

100m行くと様子が変わる。さすがヤマ。


こっち方面はやはり覚えがなく、初めての道でありました。

ちらほらと、山歩きを楽しんでいる方々もあり、これははっきりとツーパターンに分かれていて、

すこし年配の夫婦連れは、リュックを背負い長袖のシャツにしっかりした靴を履いて、そのまま山を下りていってもおかしくないような風、

一方

若いカップルとか子供づれのか若い夫婦は、スカート&ヒールとか、Tシャツにジーパンで街からそのまま飛んできたという風

そんなかでウチらは、若くもないのに共にジーンズ、カミサンはヒールというイデタチ、

しかも、ロープウェイ駅周辺からこっち山頂方面には、カップルや家族連れはホトンドいなくて明らかに、浮いていました。

それでもすれ違う人々は一様に、むろん僕らも「こんにちは~」と声を掛け合い、ここが“やま”なんだということを改めて実感したりもしました。

そして
晴れてくると気分が良いんだ!これが、

と、ようやくソレらしき方面にたどり着きふと左の方を見ると、、、


なんだあれは

そこにはこんな山のてっぺんにアリエナイ光景が・・・

なんだなんだ??(@_@;)

と、続く

















なぜか御在所3

2007-06-26 | Weblog
前回のさいご、

二人の乗ったゴンドラァは~

と、百恵ちゃんの名曲で〆をいたしましたが、ナニを隠そう彼女はワタクシと同じ誕生日




いや、そんだけなんすが、、、^^;


エ~イ!んなこたどーでもいいんダ。


ロープウェイを降りて構内の通路を歩ってるうちに、いやタイシタモンです、思い出してきました。

「あっココ覚えとる!」
「おー!覚えとる覚えとる」

と、認知症のふーふのような会話で盛り上がる二人。


何年ぶりかの御在所岳は、ヒンヤリ湿った大気に、おぼろに残る記憶の断片を時折ひっつけて、ボクラを迎えてくれました。

思ったより霧は少なく、駅の建物から西に本当の山頂のところまで、今度はリフトが続いており、そのワイヤーロープが撓みつつ見え隠れしています。


さて、
「どっちいこ?」

遠い記憶をたどりつつ、思ったほど寒くもない山上の遊路をボクラは数百メートル離れた三角点の有る山頂を目指すことにしました。

そこはたぶんまだ行っていない場所で、先回の来訪では小さな子供達を連れて、このロープウェイ駅の周辺を遊び歩きしていたはずで、、、そう!

カモシカや、カモシカ

思い出したぞー、日本カモシカセンター。ここに来たんやった。

しかし、
ここは昨年の11月、閉鎖されていました。

残念だな~o(_ _ )oションボリ


閉鎖された施設は、垣根が張ってあり入ることが出来なかったので、ぼくらはその辺りをぶらぶら歩いていました。

小学生のころの子供達二人の姿が見えるような気がするのねーホントに( ¨)( ..)( __)シンミリ


少々感傷に浸りつつも歩みは止めず、
元気なカミサンと、ここで既にちょっと(((。o)))フラフラのダンナはイヨイヨ未知の領域に踏み込むのであります!






























なぜか御在所2

2007-06-26 | Weblog
ふたたびロープウェイ乗り場から山を望む、の図。

だーーれもおらん

と思ったら、駐車場には愛知ナンバーなど数台が。

「人きとるんやね~」

なんて失礼なやつダ。

そいえば

ここ湯ノ山温泉はナニを隠そう、上のボーズが2つとかそこいらの時(だから20年近く前、当然まだ娘はうまれる前)、家族で最初にお泊り旅行にきた場所でもありましたのです。(思い出した、このときは確かハナミズキに泊まったっけ。)

そんときのことはもうあんまし覚えてません。

その次が、赤とんぼだらけ霧だらけの夏休み、何年くらいまえだっけ。それでも子供らが小学生くらいだろーから、10年近く前かもしれない。

その時の事で今でも覚えてるのですが、帰りのロープウェイに乗ろうとしたら車の鍵がない。

リュックをひっくり返し、心当たりを歩いてお店の人に聞いて回っても見つからず。

これはJAFを呼ばんといかんかなあ、とガックリして車に戻ると、ドアの鍵穴にさしっぱなし。

と、ゆーよーなコトだけを忘れんとおるんですナ、人間というモノは。

てか、あんたは昔からずっっっとそやね。

はい^^;


んなこたドーデモええわ、

で、

ロープウェイの切符売り場

「往復二人」

「4200円です」(だったと思います、間違ってたらごみんなさい)

たっ、たか

一瞬躊躇しましたが、、、、、行っちゃえ!

行ってみたら

こんなの、

ですが、コノ風景は乗ってすぐくらい、まだ大したことない時分。

真ん中あたりを過ぎた頃、東洋一の鉄塔の高いトコから見る景色はそれは絶景で、窓によっかかって下を見下ろすと、、、、、めっっっっちゃコワイヒィィィィィ((((゜_゜;ノ)ノアトズサリ 

下半身がキュ~ンとする。で、こわくて写真なし^^;

乗ってる時間は実は大したことなかったのですが、すごく長く感じますた。


やがて山上もまじかというところで、急に一面霧、というか雲?

なんにもめーず。どこ(◎_◎;)(;◎_◎)どこ?

その霧の中からヌッ、と、山上ステーションが見えてまいりまして、二人の乗ったゴンドラァは~構内びしょぬれの御在所岳駅に到着したのであります。





















なぜか御在所

2007-06-26 | Weblog
コノ前の木曜日、御在所に行っておりますた。


そして神戸

じゃなく

なぜか御在所。


仕事のついでというのはあったにせよ、お店の休日に四日市方面にはめったにきません。

だって、道中の景色が仕事行く日と同じって、やでしょ。だから。


実は、
前からよくエコデスに買い物に来てくれるシュタイナー学校のスタッフの子たちが、お店をやってて、

ボクは以前一回だけお邪魔したことがあって、そこでストーンブレスレットを買ったのでしが、カミサンにも買ってやろうと思って。

また、良い感じの喫茶店だし、みんなにも会って話もしたくなってきたからなのでしが、、、

休み( ̄◇ ̄;) ガビ-ン

実はボクラが行こう!と決めて出かけると、「本日休業」の場合が往々にしてある。

調べてから行け

という話なのですが、まぁ。

で、

やはり休み( ̄◇ ̄;) ガビ-ン

なので、せっかく湯ノ山まで来たのだからロープウェイに乗っちゃえ、となったわけでし。

んで、
写真でもご覧いただけるとおり、この日はくもりで、まず快適な眺望は望めんだろーなーと思っておりました。

実は子供らがちっこいときに家族4人で一回来た事があります。

夏休みの後半くらいで赤とんぼがうじゃうじゃ飛んでたんですが、その時も山頂は深い霧で、10m先が見えんという状況でありますた。

この日もたぶん霧っぽい、でもまぁイイヤ!行っちゃえ。


6月の木曜日、仕事場から程近い観光地、

なんか妙な感じでね。

いつものなんとか紀行とは、ちょっと違和感。

でもたぶん、いつもの調子になるとは思いますが^^;


と、

そんな訳で、ロープウェイでGO













抗議

2007-06-26 | Weblog
某副大臣が、自身のブログ内容に関して抗議を受けたという記事が載っておりました。

抗議文は

「不特定多数に事実とは違う個人情報をもたらし、事実無根の誹謗(ひぼう)中傷を、当事者及び支援団体が受ける結果となったことは、断じて許しがたい」と、

そのようになっているそーです。

影響力の有る人間の発言は、特に政治家などは、いわゆる失言がその地位を奪いかねない様な重みをもっております。

ただ、

影響力などさっぱりないこのブログにもたま~に抗議が来ます。

曰く、

「不特定少数に事実とは違う個人情報をもたらし、事実無根の誹謗(ひぼう)中傷を、当事者及びその娘が受ける結果となったことは、断じて許しがたい」と、

カミサンから^^;


でも事実だもんねーー。
このブログでつくりごとは一切書いたことはございません。
「いやちがう!わたしはコンナ言い方しとらんに

いやいやだから、

そりは脚色というものですカラ。





夏至

2007-06-24 | Weblog
夏至も過ぎてこれからは、日は短くなる

わけですが、

毎年コノ時季になるとカミサンと二人、
「不思議やな~」「なんでやろ~」

と言ってます。


だってコレからジャン、夏ぅ!

梅雨が終わってホントに暑っくなってくんのこれからやのにぃ

と、

毎年言ってるよーな気がする。


ですから、もちろん冬至の時分も言ってます。
「不思議やな~」「なんでやろ~」

正月も終わってホントに寒っくなってくんのこれからやのにぃ

と。


そー思わない?

思わんか。思わんわな、ふつーの人々は。

まぁ
んなこたぁどーでもいいんだ今回も。


なんの話しかというと、

百万人のキャンドルナイト

の話です。

ちょっと前に、バイオ燃料の事に触れましたが、その続き、いやタイシタことじゃないです。


じつは讃岐うどんが値上げしてるらしーんですが、それが、

バイオエタノールに使われるトウモロコシが高値で取引され、そのあおりで飼料が不足し、補うため小麦の価格も上昇し、

んで、

讃岐うどん値上げ

だそーでし。

まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいなお話ですが、

こんなのはマダ序の口で、未来の世界ではコノ手の本末転倒事件がひっきりなしに起こっては、

その対策で、また別の桶屋が儲かり、

そのまた対策で、またまた別の桶屋が儲かっているに違いない気がします。


なんだかな~

結局は、自動車の燃料を何にしたって環境は悪化の一途をたどっちゃうんじゃねーの~みたいな人間の浅知恵を感じちゃいません?


そこで、百万人のキャンドルナイト


電気のない暮らし

車のない暮らし

ケータイのない暮らし


これってそんなに難しいことでしょーか?

3番目のヤツって、僕らが青春時代はアタリマエで、便利とか不便とか以前のコトだったはず。

じゃあ

2番目も1番目も、実はホントはそーなのです。


こっちの方向でしか地球は蘇生しない、きっと。


たいがいで、無理やり便利なものを作って、消費という怪物を煽る事はやめにしましょー。

でっかいキレーな画面で見たって、くだらんTV番組がステキになるわけじゃないんだから。


ボクラのバカさ加減に潜む決定的なアヤマチを見抜く目をもつこと、

それは、夏至の不思議感を科学的に解明したように、

我に返って冷静に対処すれば、カナラズできるはずダと思います。









ひじきの西さん5

2007-06-24 | Weblog
まるまると太ったひじき

僕にはそのように見えました。


ひじきは生のままでは食べる事が出来ません。

刈り取ったものは陽に干され、そこから釜茹でされ、再度乾燥させて乾物としての商品が完成します。

そのひとつ手前、再乾燥する前のものが「生ひじき」

でも本とは生じゃない、

ですからボクラ消費者は死んでいるひじきしか見ることは出来ません。


でも、今目の前にあるソレは、地上の草などより遥かに獰猛で生命力に満ち溢れた、そう、“まるまると太った草”で、植物でありながら動物っぽい印象を与えるものでした。


少しなれてきた僕は、3人の岩場をかわるがわる巡って夢中で写真を撮り続けていました。

そうこうする内に、まっくろなひじきの山は見る見る大きく、うず高くなっていきます。


何時間たったころでしょうか。

その狩場での作業は終わり、小船にもりもりと積み込まれたヒジキとともに、ボクラは別の、もう少し陸地よりの小さな岩場に移動し、そこでちょっと早い昼食。

おにぎりと奥さんの作ってくださったひじきの炊いたのをいただきながら、このときどんな話をしたのかもう覚えていませんが、仕事に関するものではなかった事だけは記憶しています。

長島の町おこしの事、ボクの生まれや子供の事、西家の色々の事など、

ソノお話が一段落したとき、西さんは「どれっ」と腰を上げ、

「ちょっと待っといて」と磯の岩場をきょろきょろと眺め、海中を探り出しました。

そして、

その大きな手には小さなウニが3つ4つ、その場で小さな小刀で剥いて皆でちゅるちゅるいただきましたが、そのおいしかった事。


そこの場所でも少しばかり刈って、大小8つくらい籠いっぱいのヒジキを積んで帰港したのは、それでもまだ午後の早い刻限でした。

そしてここからがもう一仕事。

西さんと息子さんが荷降ろしをし道具の片づけをしているその間に、港の奥のほうの西さんのエリア、その広いコンクリート打ちの干し場を、奥さんが作業小屋にしまってあった竹箒で、ざっざっと掃いてゆきます。

ここに刈り取ったひじきを敷き詰め、天日でまず粗干しをするのです。

船から降ろされたひじきの山は、やがて3人の手作業でまんべんなく撒かれ広がってゆきます。

西さんはその中から一筋の芽の部分をちぎって手渡してくれ、

「食べてみ」

「食べられるんですか?」

「うん、取れたてのエエのは食える」と、自分の口に入れます。


それは小さな花芽の様な姿で、思ったよりも硬く紫色をしていました。

口に含むと青臭い海藻の香りと、ぷちっとした食感で、いわゆる海藻サラダなどとは違って弾けるような冴え冴えとした味がしました。























ひじきの西さん4

2007-06-21 | Weblog
西さんは「マルニシ海藻」として商いをする一方、西保則という漁師でもあります。

寒い時季にお訪ねしたときに「これもてって」と段ボール箱をいただいて、ウチに帰って開けてみると、ごそごそと伊勢海老が数杯はいってた、なんてこともありました。


1月の海風は肌を刺す寒さで、波しぶきを上げ激しくうねりながら、その中を突き進む小さな船を操るのは親父の西さんで、

その手馴れたさまは正に海の男、であります。

一方奥さんは、優しげな面立ちのふくよかな方で、いかにも田舎のおかみさんという風、漁をしている姿があまりピンと来ません。

「風に当たると膝がいたむんさぁ」
そんなことを言って、船の後部の風のこない所で小さく丸まっています。


この船上でこの時一番高揚していたのは間違いなくボクで、おかみさんと息子さんは戦闘のときを静かに待っている、という風、

操舵する西さんも通いなれたいつもの道を通勤するサラリーマンにも似て、飄々としかし目線は洋上の先をしっかり見据え、無言でありました。

ボクはというと、そのとき何か西さんとおかみさんに代わる代わる話しかけてはうろちょろと動き回ってた、

そんな様な覚えがあります。


いったん外海に出た船は、南に舵を取り、岩肌もあらわな断崖を右に見ながら着かず離れず、進んでゆきます。

その岩の壁が海に落ち込んでいる場所では、さかんに波しぶきが上がり、また、そこから沖側では岩肌があちらこちらに顔を出し、その間にある少し沈み込んだ潮溜まりで、波の満ち引きにあわせて大きくうねった潮が、岩肌の傾斜に沿って波しぶき、というより波の塊になって弾んでいます。

その小さな時化のリズムを知り尽くした西さんの操舵で、船はやがて3畳ほどの小さな岩場が集まるポイントの、その中でも一番大きなシマに導かれるようにたどり着くのです。

この場所が西さんのひじき狩りの一つのポイント

そして

そこからの彼らのすばやさといったら

ボクはこう見えても山育ちで、木登りや川遊びに明け暮れる少年時代をすごし、里山の中であぜ道や小川の土手を走り回って育ちました。

少し自信はあったんです、実は。

でも全然だめでした。

干潮にあわせて到着したその岩場は、波が洗う海草のぬめりついたでこぼこの台地で、その、時折波に没してしまうような不安定な道を西さん息子さんは言うに及ばず、船上で小さくなっていた奥さんまでもが、

ひょいひょいっと

軽やかなステップを踏んでわたってゆきます。

大きなかごをまず間隔をおいて拠点の岩場にぽーんぽーんとおいてゆき、3人3様計算されつくしたバランスでその狩場に散ってゆく彼らを、ボクはおぼつかない足取りで追いかけます。

西さんが時折心配そうに振り返ってくれるのが返って申し訳ないとプレッシャーになって、何度も滑ってころびそうになっているのを、とうとう見かねて、

「そっから右に、そう、そこ飛んで」と西さんは誘導をしてくれて、ボクはようやく主のいるシマにたどり着くことが出来ました。

潮水と汗で体中びっしょりです。


ちょうどひじきが顔を出す頃合いの潮時を見計らって、僕らは到着したわけです。


その海藻は、岩場に黒々と、潮を浴びてのたくっていました。

この時期でそうですから、これがもっと成長する春にはどんな光景になるのかと思ったほど、それは意外にもグロテスクで乱雑に見えました。

岩場から落ち込んだ潮溜まりには、一方、まだ波の下に揺らめいているモノもあります。

海中ですから少し紫が勝った、でも同じ色目の同じ海藻以外にも、もっと幅広でたゆっているものも多くありました。

「そりゃあアラメじゃ」と西さんが察したように教えてくれました。

他にも(たぶん)小さな実のついたようなホンダワラ、褐色のふのり、そして名前を知らないたくさんの海藻たちが、無秩序に絡み合って生い茂っているのです。

ひじき狩り

その言葉のイメージ通り、それは採取するというよりまさしく狩りで、たとえば整然と植えつけられた稲を規則正しく整理するように切り取っていく作業などでは毛頭なく、

不規則に重なり絡み合っているヤツを、ひっぺがし、束ね、しごいてそして剥がしてゆく

そういうことだったのです。














誕生日

2007-06-21 | Weblog
ぼーずネタを、もいっぱつ。

本日(てか、もうきのうになったけど)は彼の二十歳の誕生日でありますた。

オメデトー!(^_^)/。・:*:・゜★,。・:*:・゜☆


とか言いつつ、カミサンの朝の電話「今日はKちゃんの誕生日やに!」

で、

「あっそや!」と思い出したんですが^^;

なので、

こりは父の日のメール返しで、送ってやらねば

とメールを送ることにしたのですが、ナニをドー書いて送ったものやら( ̄へ ̄)ウーム

で、

さんざ迷ったあげく、これはもうナニかを超越しないとしょーがなかろー!

と、


「君の未来に乾杯!

と、思いっっ切りショージキな言葉を送ってやりますたのさ。

んで、
帰ってカミサンにその旨一応報告をするってーと

「なにぃその寒いの」

じゃあアンタどう送ったん?

「ワタシのはええよ!」

で、見ると

「20年間の君の命にありがとー」

アンタのもじゅーぶん寒いやん!

きっとぼーずはこう思っていることでショー

似た者ふーふと^^;



父の日

2007-06-19 | Weblog
ボクらにはもう父は二人ともいません。

したがって我家でチチは、、、

おれ?キョロ(((・_・。)(。・_・)ゝキョロ

になるわけです。


が、

もはやチチオヤらしい事をしてやれる自信などマッタクなく

すでに娘は恋愛を経験し、ぼーすは成人になろうというくらいに成長しておりますから、

そんなことも反って必要なく

それでもありがたい事に子供たちからは、父の日のメッセージが届きます。


娘の方はまぁちょこちょこ顔合わしてますし、カイモンの運転手なども仰せつかるナカな訳ですが^^;

ぼーずの方はとゆーと、年に1回か2回しか顔をあわせる機会もなく、

そんなぼーずからの父の日メール


『パッピーファーザーズディ!』

と、一言

いやいや、おとーさんは十分判っておるので彼の性格は、無愛想で朴念仁でシャイなことは^^

こっちもな~んか照れる

でも返事もない、ということはイカンので、カといってナンカ「ありがとー」とかも書いてる場合じゃないよーな気がするので、自分の変顔の写真をパシャっと撮って、

(#◎へ◎#)

こんな写真をソノママ送ってやったところ、すぐさま返信が来て

ヤツの顔が三分の一だけ写った

┃柱┃_-)

こんなのがマタ送りかえされてきますた。


いや大人になってくれたモンです(;¬¬)ほんとにぃ?

でもネ

よく考えると、カミサンは今のボーズの歳でもぅオレとケッコンしてたんや

う~~ん、偉大なカミサン、、、、かな?(;¬¬)



















出張旅行記~完結編の完結

2007-06-19 | Weblog
芦ノ湖から仙石原を望み北へ、箱根裏街道に出て左折、行きしなソノ手前で芦ノ湖スカイライン方面に折れていった先の乙女峠を東から抜けて御殿場インターへ

これを最後のルートに、ホンマは強羅宮ノ下とかそっちの風情も見たかったのですが、今回時間なし。


その途中、
まだモイッコくらいどっか行けるか、それとも少し余裕見て帰るか、という状況でありますた。

じつは最後はここに、とぼんやり考えてたところがあって、まぁそれも見つからなかったらしょーがない程度に思っておったのですが、いきなり右前方からそれは現れて


あった!ここや、と通り越し^^;くるっと戻ってたどり着いたラストイベントが

「星の王子様ミュージアム」

であります。
そう、この王子こそ、
ふたりの愛のキューピット^^;だったのでし。


今を去ることウン十年前、ガッコを出て就職し一年間の大阪の研修から戻ってきて2年目のワタクシが、同じ亡百貨店の同じ売り場に配属されたカミサンと付き合いだした頃、であります。

まぁ色々とあって(この辺はトーゼン割愛やで!)こいつと結婚しょーかなーと思い始めたのですが、
なんせコノヒト当時はバリバリのヤンキーで、かつ!当時からビシバシの天然であったワケですね

高校時分にはここではトーテイ書けないコトをやって、ガッコもここではトーテイ書けない状態になったりしてて、

ボクラ若手社員の間では、今年の新入社員一番の●●や、などと良くない方で少々目立ってもおり、

ソコに持ってきてウチの両親というのが石より硬い両親で、ふたりともガッコのセンセでしたから、これはもぅカミサンとは云わば『ゴレンジャーと怪人』くらいの関係^^;、なので、結婚でもしようモノならばカナラズひと悶着有るに違いないと察したボクは、少しでもソノ状態を回避する為に、カノジョに二つの宿題を課したのであります。

ひとつは小遣い帳をつけること。
家庭に入って家事をこなしてる姿がマッタク想像つかなかったので、出納の意識を身につけさせるため、であります。

もひとつが本を読め!ということ。
ボク自身が当時マダかすかに本好きが残っていたのと、まずカツジを読んだ事などコイツはぜったいナイ!に違いないので、読書、という落ち着いた時間を一度経験して欲しかったから、であります。

今から考えるとシツレーな話で、よくカミサンも素直に従ったモンだと思いますが、当時カミサンは19歳で、僕にしたら妹みたいに想っていたのでコンナことも二人の間では、ふつーにあり、だったのですね。

で、
なんの本にしよー、という、

ボクが当時好きだったのは、小林秀雄であるとか志賀直哉であるとかドストエフスキーであるとか、これはマズあかん
ので、

自分のもってる中からぱっとうかんだのが『王子様』

そー
絵が多い^^;

これは自分で特に好きな物語というわけではなく、ただ

冒頭の写真にある王子の星、あと他奇妙な住人が住む星星
が、描かれたイラストの
人と星のコノ有りえないスケール感に、ある種の衝撃を感じた本ではありましたが、

選んだ理由は

絵が多い^^;

こーしたダンナの策謀によりフタリ無事ケッコンし、そして今に至っているのであります。

ここでかのじょの名誉の為付け加えておきますが、結婚後のカミサンの家事全般に関する完成度は以外にも高く、炊事洗濯掃除すべてにおいて几帳面と言えるほどのものであり、

ダンナが休みの日に「てつだおかー」とかゆっても
「これはアタシの仕事やから」という調子で、

十代でケッコンした、というコトに対して彼女なりの覚悟が見事にあったのはオソレイリヤで、上記のダンナの策謀などははっきし言って無知な男の杞憂であったワケです。


小雨そぼ降る王子様ミュージアムは、まぁこんなもんか、というおっしゃれーな回廊やガーデンを回った後、サンテグジュペリの生い立ちなどの展示館があり(ここは面白かった)、コースの最後にありがちなショップとカフェが設えてありますた。

時間がないのでカフェにはよらず、娘へのお土産にとショップをうろついておりますと、お馴染みの『ゾウを飲み込んだウワバミ』のヌイグルミが、、、

「これほしーー!」イヤイヤ o(>◇<)o ブンブン☆

となりかけましたが
「やめときなソンナ気持ちわりーの」

(〇∇〇)っええええぇーーー!!ボーゼン( ▽ )o〇O

リアクションうす


星の王子様読者のまず一番に反応するポイント、オソラクコノお店でも一番の売れ筋(山のよーにゾウを仕込んだウワバミがごろごろしとる^^;)

さてはこいつぅ

読んどらんなあんとき^^;


と、

ウン十年前の遺恨を残しつつ^^;

無事この旅行も幕引きとなったのでございます。














出張旅行記~完結編

2007-06-18 | Weblog
見てこの霧

カミサンの顔もサダカではないこの状態。


来た道を熱海峠目指して走っていたらいきなりこの有様で、もう目の前

こんなの。

でもみんな慣れてるのか、大型の観光バスまでブイブイ跳ばしてます。こわーー(゜_゜;ノ)ノ


ようやくの思いで1号線に出て、芦ノ湖方面に下ります。

ここまできたらもーエエやろ、と思ったらまだ霧。

霧の芦ノ湖

ここで、最近出来たばかりだという関所跡に。


関所のうま(゜∀゜;)キモ~イ!

そして、

見晴台から見た関所&芦ノ湖(T∇T;)ハァハァ(息も絶え絶え)


この辺で足腰のジョータイはピーク

しかしまだ行く!

箱根神社

きりキタ━━━━(゜∇゜;)━━━━ !!!!!


こーして芦ノ湖あたりを散策しまくりようやく帰路に
ハラホロ(((。o゜)))((((゜o。)))ヒレハレ


そしていよいよ次回、
出張旅行記完結編、の完結

倦怠期ふーふに訪れたキセキの瞬間

とは!?

かみんぐすーーん!!














出張旅行記~熱海編6

2007-06-18 | Weblog
残念ながら旅館の写真はありません。

ひたすらお風呂入ってましたから。

夕食をいただいて、いったん飲んでしまうともう二人ともピクリとも動きませんから、部屋でゴロゴロしておりましたね。

その間、夜といわず朝といわず何回もおふろに^^;


翌日は朝から雨。ここにきて天気予報どおり。

出かけるときが一番の降りになってしまってたのですが、やがて小降りに。


この日はもう帰るばかりなので、道々拠る所で遊んでいこうという算段ですが、熱海の見所はマダほとんど行っていないので、まず熱海を歩こう!ということになりますた。


写真が、まず訪れた起雲閣

山本有三と志賀直哉と谷崎潤一郎のスリーショットの写真がありまして、文学少年くづれのボクなんかには感動モンの場所でありました。


(こんなローマ風呂もありますた。洗い場からスコンと落ち込んだ浴槽が魅力的♪)

この街は古くから避暑の軽井沢、避寒の熱海というくらいで、著名な文化人の足跡があちこちにあります。

その後バブル期、首都圏からの団体旅行のメッカになってしまいましたが、この街を再興しようと思うなら、どこにでもある景色の良さ、古い町並み、新鮮な海の幸等にお手軽に頼らず、ここにしかない「古人の遊び場」としての風情を整備する方向を加味して欲しいなあ、と思いますたね。

たとえば駅や幹線道路に検問をもうけて、この地を訪れた文豪の作品の感想を言わんと市内に入れんとか(゜▽゜ )\(--;) 誰も来んわ!


そのあと、実はモウ一箇所行きたいところがあって、看板に従ってエッチラオッチラ熱海の坂道を上って探しておったのですが、見当たらない。

双柿舎といって、坪内逍遥の旧宅で、彼はこの場所でシェークスピアの全訳を完成し、この地で没し、近くにはお墓もあります。

と、
ここで上記のリンクを張ったHPでハジメテ知ったのですが、休館やったと。
おまけに身分証明者がいると。

見つからなくて反って良かったような^^;


他にも色々一応チェックしてあったのですが、もう時間がない。

ボクらの旅の例によって、また来たいなぁと余韻を残しつつ熱海を後に、、、

そしてこの後箱根に向かう道中、
とんでもないアクシデント発生!

いったいどーなってシマウノカ!!

と、つづく