史実に伝わっている覚えているかぎりのことを伝え、その上で打ち合わせができるのは、おれにとってもみんなにとっても、ある意味有益で有意義なことである。
ちなみに、安富と久吉と沢は、ちがうだけで精一杯だったからである。
結局、初代「豊玉」と「宗匠」は、山崎や林とともに丹波にいかせた。ゆえに、安富はかれらと別れなければならなかった。あのときの安富の失意ぶりは、近藤局長の斬首をきかされたときよりひどかったように思う。
しかし、今回はちがう。婦科檢查 連れてゆけるのだ。
かれらだけちがうに乗船しろといわれても、安富は機嫌よく了承した。
『連れてゆけるのなら、泳いでもいい』
安富は、そういったらしい。
とんだ「馬フェチ」っぷりではあるが、ある意味うらやましいともいえるだろう。
これほど好きなものがあるのだから。
にたいしてであろうと動植物、あるいは趣味などであっても、好きで好きでたまらず、没頭できるものがあることはいいことである。
それは兎も角、この二日間は船上でクルーズ気分なんてことはいっさいなかった。
打ち合わせ以外でも、俊冬と俊春の銃などの武器の手入れや改造を手伝ったり、食事の配給の手伝いをしたり、傷病人の世話をしたりと、それこそ煙草一本吸う暇すらなかった。
ってか、煙草はやらないんだけど。の手持ちの武器に関しては、すっかりカスタマイズされ、ピッカピカになった。
遊んでいたのは、野村と子どもらくらいである。
ブリュネらフランス軍の兵士たちにつきまとっては、会話を試みたりフランスのことをきかせてくれってねだったりしまくっていた。
野村は、薩摩だけでなくフランスにも亡命できるだろう。
かれなら、桜島だろうと凱旋門だろうとフツーに観光し、それどころか薩摩人あるいはフランス人のなかににソッコーでとけこんでしまうだろう。
ちなみに、だれもが一度は映像や写真でみたことのあるフランスの凱旋門は、エトワール凱旋門という。、大鳥、ブリュネ、フォルタン、副長、俊冬、俊春、それからなんと、不肖このおれがいくことになった。
もっとも、おれに発言権はない。副長のお付きにすぎない。
それでも、すごいっていっていいだろう。
軍議は、とどこおりなくおこなわれた。
まずは先陣が上陸し、物見をしてから本隊も上陸する。
峠下というところを経由し、本道を五稜郭へと向かう本隊。別動隊は、川汲峠というところを経由して間道をすすんで五稜郭へと向かう。
先陣が峠下にいるであろう敵にあたることになった。様子見というわけだ。
向かう先の五稜郭は、もともと1854年に締結された日米和親条約に基づき箱館開港により築造され、箱館奉行が設置された。という公卿が知事として統括している。
その五稜郭を奪うことが、今回の最重要かつ優先事項である。
ちなみに、清水谷知事は、この後おれたちに追われ、青森へ逃げることになる。
とはいえ、こちらもできるならば無用な戦闘は避けたい。ゆえに、一応は清水谷に和平の使者を送ることになった。が選ばれた。
副長は、俊冬を推そうとした。俊冬のプレゼン力はもちろんのこと、最悪、暗示というチートスキルがある。それをつかえば、どうにでも落とせると判断したのだろう。
おれは、それをおしとどめた。
使者は、清水谷に会うことがかなわぬことをしっているからだ。
先陣とともに上陸した使者一行は、先陣とともに峠下に宿営する。その夜、敵に夜襲を受けるのである。とともに五稜郭へむかうことになる。
というわけで、ここで俊冬をくわえたところで意味がないというわけだ。
使者が決まった後、軍議は指揮官の選出へと移った。
その結果、副長が額兵隊などの別動隊をひきいて間道をすすむことになった。大鳥は、本道をすすむ。
は、いったん大鳥の指揮下にはいる。
にあがってから敵と一戦交えるのか?」
軍議をおえ、太江丸にもどってきた。
副長は新撰組からはなれることになる。
単身はなれるのか、あるいはだれかを連れてゆくかについて、島田や蟻通たちもふくめて話し合いがもたれた。
はやい話が、俊冬と俊春、それから島田や蟻通といった幹部を同道した方がいいのか、という話し合いである。
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