50番繁多寺(はんたじ)です。
49番浄土寺から2キロあまりのところでした。
広いお寺でした。駐車場から山門をくぐり、しばらく歩いて階段を上がると正面に本堂、右手に大師堂、左手に歓喜天が祀ってあります。
歓喜天とはインドの神様が仏教に帰依したもので、帝釈天とか韋駄天などおなじみのものもたくさんあります。
本尊は薬師如来。
手前には新しくできた鐘楼がありました。
午前7時から午後7時までの間は一人一回に限り鐘を突いても良いとのことだったので、遠慮なく突かせてもらいました。
鐘楼の天井板(鐘の下から見上げる部分)には支那風の絵が描いてありました。
支那の二十四孝子の絵でした。(天井板が6×4の24枚ありました。)
古典落語に「二十四孝」というのがあります。
親不孝の息子が説教されついでに唐土の二十四孝の話を聞いて、形だけそのまねをしようとするお笑いです。
二十四孝は儒教の教えですが、わが国では神様も仏様も孔子様も何でも共存してしまうのですね。
イスラム教とキリスト教の間で、戦争になるほど極端な軋轢があるよりはだいぶんマシだと思います。
ここの駐車場で次のお寺の位置を確認したところ、52番53番のお寺も比較的近くにあることが判ったのでついでにまわることにしました。
49番浄土寺から2キロあまりのところでした。
広いお寺でした。駐車場から山門をくぐり、しばらく歩いて階段を上がると正面に本堂、右手に大師堂、左手に歓喜天が祀ってあります。
歓喜天とはインドの神様が仏教に帰依したもので、帝釈天とか韋駄天などおなじみのものもたくさんあります。
本尊は薬師如来。
手前には新しくできた鐘楼がありました。
午前7時から午後7時までの間は一人一回に限り鐘を突いても良いとのことだったので、遠慮なく突かせてもらいました。
鐘楼の天井板(鐘の下から見上げる部分)には支那風の絵が描いてありました。
支那の二十四孝子の絵でした。(天井板が6×4の24枚ありました。)
古典落語に「二十四孝」というのがあります。
親不孝の息子が説教されついでに唐土の二十四孝の話を聞いて、形だけそのまねをしようとするお笑いです。
二十四孝は儒教の教えですが、わが国では神様も仏様も孔子様も何でも共存してしまうのですね。
イスラム教とキリスト教の間で、戦争になるほど極端な軋轢があるよりはだいぶんマシだと思います。
ここの駐車場で次のお寺の位置を確認したところ、52番53番のお寺も比較的近くにあることが判ったのでついでにまわることにしました。
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