《脱原発市民ウォークin滋賀についてのお知らせと案内》
3月11日に大津市内の膳所公園で午前10時から
「原発のない集会へ:2018びわこ集会」が催され
午後3時からデモが行われます。
このため3月の脱原発市民ウォークはお休みいたします。
びわこ集会のデモに参加していただければ幸いです。
まことに勝手ですがご了承くださるよう、お願いいたします。
なお、次回の定例の市民ウォークは4月7日(土)に行います。
13時半、JR膳所駅前広場に集合
ぜひ足をお運びください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■裁判官たちは原発問題についてどのように考えているのか■
去る2月19日の夕方、大津市内で原発関連の裁判についての講演会がありました。
裁判の経過や判決の法的意味・意義といったものは
法律の専門家以外の者にとっては理解が容易でない部分が多々あり、
原発に関する裁判も例外ではありません。
原発に関する裁判についてまとまった話が聞けるとのことでありましたので
私はこの講演会に参加しました。
講演者は元裁判官であり、福島原発事故より以前に、
唯一原発差し止め判決を出した経験の持ち主(志賀原発、金沢地裁)
でもある井戸謙一弁護士(滋賀弁護士会)でした。
裁判のいろいろな側面について話されたのですが、講演のなかで
私が一番気にかかったのは「裁判官協議会」についての話でした。
「裁判官協議会」というものがどのような役割のものであるのか、
私には理解不足であり定かではありませんが、たとえば全国の
あちこちで同種の訴訟が数多く行われている場合に、
またはその可能性がある場合に、裁判所によってあまりに
まちまちの判決が出されるような事態は好ましくないとして、
そうした事態を避けようと「裁判官協議会」が開催されることがあるようです
裁判官は本来一人一人が完全に他の裁判官からも独立した存在である
とされていますので、裁判官が寄り集まって意思統一を図るかのような
ことを行うのは問題ではないかという考え方もあるようですが、
現実には「裁判官協議会」は適宜開かれているようです。
井戸氏の説明によれば、原発問題に関しては、2011年3月の
福島第一原発の事故以後、二度、裁判官協議会が開かれています。
協議会における議論の内容は以下のようなものであったとされています
《平成24年1月26日付け特別研究会》
・現在の科学技術水準に照らした検討等を慎重に行うという姿勢で
(裁判に)臨むのが適当。
・放射能汚染の広がりや安全審査の想定事項等、
本件事故(福島原発事故)を踏まえ従来の判断枠組みを再検討する必要がある。
この協議会における上記のような考え方はおおむね妥当なものであると考えられます。
最新の科学技術の水準に照らして検討を行うことは当然すぎるぐらい当然
のことであり、また福島原発事以前における従来の判断枠組みを見直し、
再検討する必要があることも言うまでもないことであるからです。
ところが福島原発事故からおよそ2年後の平成25年2月に行われた協議会
での議論の内容は以下に示すように大きく変化しています。
《平成25年2月12日特別研究会》
・基本的には伊方原発裁判の判断枠組みに従って今後も判断していく
ことになると思う。
・伊方原発裁判の枠組みで判断することに賛成である。
・事故のリスクにつきどこまでの確率なら許容するかというのは、
専門技術的裁量の問題ではなく政策的決断の問題であって、
裁判所の判断になじまないのではないか
●注:二回目の協議会で言及されている「伊方原発裁判」というのは、
福島原発事故以前の、1973年から2000年にかけて、四国電力伊方発電所の
安全性をめぐって争われた訴訟のことを指しているものと思われます。
この訴訟は建設に反対する住民側の敗訴に終わっています。
二回目の協議会における議論の内容は一回目の協議会の内容から
上記のように大きく変化しています。
一年前には、福島原発事故を踏まえてそれまでの、事故以前の、
判断の枠組みを再検討する必要があるとしていたにもかかわらず、
一年後には事故以前の判断の枠組みであるところの当初の
伊方原発裁判における判断の枠組みに今後も従って判断することにする
のがいいのではないか、という議論になっています。
それだけではなく、見過ごすことができない大きな変化は、
原発事故がおきるリスクに関しては、「大事故が起きる確率が
どの程度のものであれば許容されるかは、科学技術的に裁量される問題ではなく、
政策的決断の問題であって、裁判所の判断になじまないのではないか」
とされていることです。
この「政策的決断」云々という考え方は、結局のところ、
裁判所は判断を下すことを回避し、実質的に政府の判断に任せる
ということを意味しているものと考えざるを得ません。
しかし、このような考え方は司法の責任放棄につながることになる
のではないでしょうか。国民が裁判所に法的判断を求めているというのに、
これでは司法は無きに等しいということになり、その結果、原発問題は
政府の判断に従えということになりかねません。
この点に関して、井戸氏は、日米安全保障条約の違憲性を問うた
砂川事件の裁判の上告審で最高裁(田中耕太郎長官)が持ちだした
「統治行為論」に似た発想による考え方であると説明されていました。
砂川事件というのは、1957年にアメリカ軍の立川基地拡張に対する
反対運動の過程で起きた事件のことであり、米軍駐留の根拠とされている
日米安全保障条約の合憲性が争われ、東京地裁では伊達秋雄裁判長により
米軍の駐留は憲法第9条に違反するとする違憲判決が下されました。
しかし、控訴審を省略して行われた上告審(跳躍上告)において、
最高裁は、駐留米軍は憲法第9条でいうところの「戦力」には
該当しないため合憲であるとしつつ、一方において「統治行為論」という
考え方を示し、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、
その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない
として一審判決を破棄、東京地裁に差し戻し、その結果、最終的には
原告側の敗訴となりました。
統治行為論とは、“国家統治の基本に関する高度な政治性”を有する
国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が
可能であっても、これゆえに司法審査の対象から除外すべきとする理論
のことをいう、とされています(ウィキペディアより引用)。
要するに、「統治行為論」という考え方は、たとえば安保条約問題のような
「高度に政治的」な問題については司法は判断を回避するということを
意味しており、その結果、司法は政府あるいは国家がその方針を貫くことを
実質的に容認することになると言えます。
上記の二回目の裁判官協議会における考え方は「統治行為論」そのもの
ではありませんが、「政策的決断の問題であって裁判所の判断になじまない
のではないか」とする考え方は「統治行為論」にきわめて近い考え方である
と言うことができます。
「裁判官協議会」がどの程度拘束力を有しており、個々の裁判官に
どの程度影響を及ぼすのは分りかねます。実際にはすべての裁判官が
必ずしも上記のような協議会の考えに従うとは限らないと思われます。
現に原発再稼働の差し止めを認める仮処分の判断が示された例も
数は多くないものの存在しているからです。原発に関する裁判において、
最高裁で最終的な判断が示されるに至った例はこれまでのところ皆無です。
しかし、上記の裁判官協議会の内容を考えると、
最高裁での審理の対象となった場合に、最高裁がこのような
統治行為論的な判断を示すことになりかねないとのではないかと、
懸念されます。このような統治行為論的な考え方は原発に関する裁判の
壁になりかねず、このため私たちは裁判の行方をしっかり
見守っていかなければなりません。
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《脱原発市民ウォークin滋賀》は
様々な立場の自由な市民による脱原発を目指すデモです。
だれでも自由に参加できます。
参加のスタイルも自由です。
ぜひ参加くださり、あなたの意思を自由に表明してください。
2018年3月7日
《脱原発市民ウォークin滋賀》呼びかけ人の一人:池田 進
連絡先:電話:077-522-5415
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<脱原発 市民ウォーク in 滋賀> 4月の予定 → コチラ
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3月11日に大津市内の膳所公園で午前10時から
「原発のない集会へ:2018びわこ集会」が催され
午後3時からデモが行われます。
このため3月の脱原発市民ウォークはお休みいたします。
びわこ集会のデモに参加していただければ幸いです。
まことに勝手ですがご了承くださるよう、お願いいたします。
なお、次回の定例の市民ウォークは4月7日(土)に行います。
13時半、JR膳所駅前広場に集合
ぜひ足をお運びください。
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■裁判官たちは原発問題についてどのように考えているのか■
去る2月19日の夕方、大津市内で原発関連の裁判についての講演会がありました。
裁判の経過や判決の法的意味・意義といったものは
法律の専門家以外の者にとっては理解が容易でない部分が多々あり、
原発に関する裁判も例外ではありません。
原発に関する裁判についてまとまった話が聞けるとのことでありましたので
私はこの講演会に参加しました。
講演者は元裁判官であり、福島原発事故より以前に、
唯一原発差し止め判決を出した経験の持ち主(志賀原発、金沢地裁)
でもある井戸謙一弁護士(滋賀弁護士会)でした。
裁判のいろいろな側面について話されたのですが、講演のなかで
私が一番気にかかったのは「裁判官協議会」についての話でした。
「裁判官協議会」というものがどのような役割のものであるのか、
私には理解不足であり定かではありませんが、たとえば全国の
あちこちで同種の訴訟が数多く行われている場合に、
またはその可能性がある場合に、裁判所によってあまりに
まちまちの判決が出されるような事態は好ましくないとして、
そうした事態を避けようと「裁判官協議会」が開催されることがあるようです
裁判官は本来一人一人が完全に他の裁判官からも独立した存在である
とされていますので、裁判官が寄り集まって意思統一を図るかのような
ことを行うのは問題ではないかという考え方もあるようですが、
現実には「裁判官協議会」は適宜開かれているようです。
井戸氏の説明によれば、原発問題に関しては、2011年3月の
福島第一原発の事故以後、二度、裁判官協議会が開かれています。
協議会における議論の内容は以下のようなものであったとされています
《平成24年1月26日付け特別研究会》
・現在の科学技術水準に照らした検討等を慎重に行うという姿勢で
(裁判に)臨むのが適当。
・放射能汚染の広がりや安全審査の想定事項等、
本件事故(福島原発事故)を踏まえ従来の判断枠組みを再検討する必要がある。
この協議会における上記のような考え方はおおむね妥当なものであると考えられます。
最新の科学技術の水準に照らして検討を行うことは当然すぎるぐらい当然
のことであり、また福島原発事以前における従来の判断枠組みを見直し、
再検討する必要があることも言うまでもないことであるからです。
ところが福島原発事故からおよそ2年後の平成25年2月に行われた協議会
での議論の内容は以下に示すように大きく変化しています。
《平成25年2月12日特別研究会》
・基本的には伊方原発裁判の判断枠組みに従って今後も判断していく
ことになると思う。
・伊方原発裁判の枠組みで判断することに賛成である。
・事故のリスクにつきどこまでの確率なら許容するかというのは、
専門技術的裁量の問題ではなく政策的決断の問題であって、
裁判所の判断になじまないのではないか
●注:二回目の協議会で言及されている「伊方原発裁判」というのは、
福島原発事故以前の、1973年から2000年にかけて、四国電力伊方発電所の
安全性をめぐって争われた訴訟のことを指しているものと思われます。
この訴訟は建設に反対する住民側の敗訴に終わっています。
二回目の協議会における議論の内容は一回目の協議会の内容から
上記のように大きく変化しています。
一年前には、福島原発事故を踏まえてそれまでの、事故以前の、
判断の枠組みを再検討する必要があるとしていたにもかかわらず、
一年後には事故以前の判断の枠組みであるところの当初の
伊方原発裁判における判断の枠組みに今後も従って判断することにする
のがいいのではないか、という議論になっています。
それだけではなく、見過ごすことができない大きな変化は、
原発事故がおきるリスクに関しては、「大事故が起きる確率が
どの程度のものであれば許容されるかは、科学技術的に裁量される問題ではなく、
政策的決断の問題であって、裁判所の判断になじまないのではないか」
とされていることです。
この「政策的決断」云々という考え方は、結局のところ、
裁判所は判断を下すことを回避し、実質的に政府の判断に任せる
ということを意味しているものと考えざるを得ません。
しかし、このような考え方は司法の責任放棄につながることになる
のではないでしょうか。国民が裁判所に法的判断を求めているというのに、
これでは司法は無きに等しいということになり、その結果、原発問題は
政府の判断に従えということになりかねません。
この点に関して、井戸氏は、日米安全保障条約の違憲性を問うた
砂川事件の裁判の上告審で最高裁(田中耕太郎長官)が持ちだした
「統治行為論」に似た発想による考え方であると説明されていました。
砂川事件というのは、1957年にアメリカ軍の立川基地拡張に対する
反対運動の過程で起きた事件のことであり、米軍駐留の根拠とされている
日米安全保障条約の合憲性が争われ、東京地裁では伊達秋雄裁判長により
米軍の駐留は憲法第9条に違反するとする違憲判決が下されました。
しかし、控訴審を省略して行われた上告審(跳躍上告)において、
最高裁は、駐留米軍は憲法第9条でいうところの「戦力」には
該当しないため合憲であるとしつつ、一方において「統治行為論」という
考え方を示し、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、
その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない
として一審判決を破棄、東京地裁に差し戻し、その結果、最終的には
原告側の敗訴となりました。
統治行為論とは、“国家統治の基本に関する高度な政治性”を有する
国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が
可能であっても、これゆえに司法審査の対象から除外すべきとする理論
のことをいう、とされています(ウィキペディアより引用)。
要するに、「統治行為論」という考え方は、たとえば安保条約問題のような
「高度に政治的」な問題については司法は判断を回避するということを
意味しており、その結果、司法は政府あるいは国家がその方針を貫くことを
実質的に容認することになると言えます。
上記の二回目の裁判官協議会における考え方は「統治行為論」そのもの
ではありませんが、「政策的決断の問題であって裁判所の判断になじまない
のではないか」とする考え方は「統治行為論」にきわめて近い考え方である
と言うことができます。
「裁判官協議会」がどの程度拘束力を有しており、個々の裁判官に
どの程度影響を及ぼすのは分りかねます。実際にはすべての裁判官が
必ずしも上記のような協議会の考えに従うとは限らないと思われます。
現に原発再稼働の差し止めを認める仮処分の判断が示された例も
数は多くないものの存在しているからです。原発に関する裁判において、
最高裁で最終的な判断が示されるに至った例はこれまでのところ皆無です。
しかし、上記の裁判官協議会の内容を考えると、
最高裁での審理の対象となった場合に、最高裁がこのような
統治行為論的な判断を示すことになりかねないとのではないかと、
懸念されます。このような統治行為論的な考え方は原発に関する裁判の
壁になりかねず、このため私たちは裁判の行方をしっかり
見守っていかなければなりません。
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《脱原発市民ウォークin滋賀》は
様々な立場の自由な市民による脱原発を目指すデモです。
だれでも自由に参加できます。
参加のスタイルも自由です。
ぜひ参加くださり、あなたの意思を自由に表明してください。
2018年3月7日
《脱原発市民ウォークin滋賀》呼びかけ人の一人:池田 進
連絡先:電話:077-522-5415
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<脱原発 市民ウォーク in 滋賀> 4月の予定 → コチラ
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