仙台の朝、ここから合流のメンバーとも再会してバスに乗り込みます。
一路、女川へ。1時間45分の道のりです。
道中、津波の被害のあとがいまだ色濃い場所をずっと通って行きます。
一階部分がぽっかり抜けた建物、
かろうじて建ってはいても壁はぼろぼろで今にも崩れそうな家などが、
そのままになっているところもあります。
バスの運転手さんが、ところどころ説明してくださるのですが、
今目前に広がる「何も建っていない」広い土地は、
震災前は建物が建ち並ぶ街だったことを知り愕然とします。
「何もない」土地には、ときどき、
未だ横倒しになった建物が放置されたままになっていることもあり、
猛烈な津波の力を思い知らされます。

建物の基礎部分から根こそぎえぐられるように倒壊した姿を実際に目にし、
改めて恐ろしさ、痛ましさに呆然としました。
途中、中央分離帯に花を植えているのが見えました。
ここは、某缶詰工場の巨大なタンクが津波で流されてきて転がっていた場所です。
その様子はテレビなどでも見たし、
この工場から出荷前だった在庫の缶詰が、
震災後、復興支援プロジェクトとして売られていたのを、
偶然私も購入していたので、感慨深いものがありました。
さて、ひとつめの演奏会場の女川第二小学校は、海から少し奥まった高台にあります。
立派な体育館で演奏させていただきました。

高い天井と、木の板が張られた床や壁のおかげか、
体育館とは思えないほど響きの良い会場です。
集まってくださったお客様は決して多くはありませんでしたが、
かえって笑顔のたくさん見える、和やかで温かい雰囲気の会になったようです。
休憩時間には私も少しだけ、お客様とお話したのですが、
私が福岡から来たことを知ると、先日来の大雨被害を心配してくださる方もいて、
まだまだ大変な状況の中での気配りに、胸が熱くなりました。
終演後は、地元のお店のお弁当(豪華!)で昼食。美味しかったです。

そのあと、再びバスに乗り込んで、今度は石巻を目指します。
石巻には「石巻マンドリーノ」という団体があります。
今回、Oさんからの突然の連絡に、ずいぶん驚かれたようですが、
女川と石巻、両方の会場でご一緒できました。
メンバーそれぞれ被災され困難が続く中、
なんとか弾き続けたいという強い思いで活動を再開し、
今年9月9日には東松島市コミュニティセンターで、
2年ぶりの演奏会を開く予定が立ったそうです。
代表してマンドリンパートの女性の方が、
涙ぐみながらも何度も感謝と喜びを言葉にされ、
私達もすっかりもらい泣きでした。
石巻の会場はコンサートホール(修理中)もある大きく立派な建物のロビー。
なんとパイプオルガンも設置されています。

天窓から夕刻の柔らかな光が差し込み、何とも気持ちのよい空間でした。
お客様にもたくさん集まっていただき、
こちらも和やかで楽しいひとときになりました。
「音楽を聴いている、その間だけは現実を忘れられる。だから音楽が好き」
と話してくださった、女川のお客様の言葉は重みがあります。
ようやく活動を再開し、いま前に進もうとしている石巻マンドリーノの方々が、
一緒に弾けることを本当に喜んでくださっているのに心打たれます。
演奏自体が誰かに役に立ったのか、
更にそれに私が貢献できたのかどうかは正直分からないけれど、
それらを通じて感じたこと、今回見聞きしたことを決して忘れず、折にふれ伝えていくことは、
自分1人では何もできず今回も企画に乗っかるだけだった私が、
いま最低限果たせる責任かもしれません。
一夜明け、帰福日の仙台はよいお天気でした。

飛行機の離陸直後に見えるのは、仙台南部の海岸線と美しく穏やかな海。
あの津波が嘘のように綺麗に凪いだ海と、吸い込まれそうな青空とを眺めつつ、
今回お会いした皆様のもとへ1日もはやく、
何の憂いもなく音楽を楽しめる日が来ますようにと祈らずにはいられませんでした。