鎌田実の野球教室

元トラ戦士が分かりやすく指導!

一軍昇格

2009-11-26 13:32:25 | 私の野球人生
 1年目の7月頃、吉田さんが肩を痛められ、急きょ私が一軍に上がり、ショートに抜擢されました。監督はプレーイングマネジャーの藤村富美男さん。その藤村さんに見込まれてのデビューでした。

 素直に喜ぶべきことでありましたが、私は正直なところ、一軍にはまだ上がりたくはありませんでした。

 なぜなら2月のキャンプから始まってまだ5カ月が過ぎたところ、基本的な体力、技術がまだまだ備わっておらず、自信がなかったからです。

 前にも書いたとおり、私は“田舎者で照れ屋で内気で口下手”その上に3月生まれの早生まれ、何かにつけて晩成型で1つ1つ階段を登るように物事を進めていかないと、一足飛びにはできないタイプでした。考え方にしてもそうである。そのためにも大学に行って4年間のステップを踏みたかったのです。一流になるためには体力、技術の向上だけを計っても無理であり、内面的要素の強さ、経験など、それが晩成であればあるほど必要なのだ。

 それが年齢的にも大きく隔たりのあるプロの一流選手に混じっていきなりやるには余りにも力の差があり過ぎて逆に伸びしろを抑えてしまうのだ。

 同じ新人でも私と同期で日大三高からタイガースに入った左投げ左打ちの外野手、並木輝男選手もその打力を買われて1年目から1軍に起用され、大活躍した1人ですが、彼は生粋の江戸っ子、大先輩方の中にも臆することなく入っていき、江戸っ子弁で対等に会話する。酒も飲める、社交性も豊か。私とは正反対の性格であり、うらやましい限りでありました。

 1年目、私はショートで45試合に出場しました。デビュー戦は思い出せませんが、スタメン出場して15、6試合ヒットが出なかった記憶があります。高校を出たての私とプロ野球ではあまりにも力の差がありすぎたのです。

 特に広島戦、エースの長谷川良平さんのシュートのすごさには驚かされました。小柄な体型でしたが、モーションに一瞬のタメを作り、ややサイドハンドからリストを利かせた投法で内角にえぐるようなシュートを投げてくる。マウンドの表情も「なんだこの若造!俺のシュートが打てるか!バットをへし折ってやろうか!」と明らかにそんな表情で投げ込んでくる。気後れもしましたが、バットをいくら短く持っても詰まらされたものです。しかし、初ヒットはその長谷川さんからでした。内角シュートを体は左に向いて打球は右に飛んだどん詰まりのたまたまのヒットでした。シュート攻めでくるものを予想したから打てたのでしょう。