鎌田実の野球教室

元トラ戦士が分かりやすく指導!

初めての巨人戦(7)

2009-12-30 09:13:56 | 私の野球人生
 藤田投手の表情はこれまで以上にこわばり、目は私を凝視してきました。私は三振が怖かったから初球から振っていこうと決めていました。初球、天井から落ちてくるような落差のある大きなドロップ、それを上から叩くように振って空振り。私は上から叩くバッティングでしたが、藤田投手のドロップは大きくブレーキがある。一旦、上に上がって落ちてくる感じです。

 ボールの軌道を見極めて待ちの体勢で捕らえればいいのだが、ボールが上がったところで叩こうと追っかけるから当たらない。まだまだ見極めと技術が未熟だったのだ。

 そして2球目、同じようなドロップが低めに来た。これも空振り。これまでの3打席で投げてきたドロップより落差があったし鋭かった。それだけ気合が入っていたのでしょう。私の振りを見れば次もカーブが来るだろうと予感はしました。「何としても当てないと」と私は必死にボールに食らいついていきました。当てに行こうとすること自体が間違っているのですが、そのときは必死だった。

 3球目も前の球と同じような低め一杯のドロップ。それをかろうじてファウル。観客席から何ともいえないどよめきが耳に入ってきた。あと1球空振りすればゲームセットだからです。私はそのドロップがもう少し高めに来てくれと願っていました。そして4球目もまたドロップだった。それもバットが届きにくい低め一杯。私は前のめりになってバットば空を切った。ゲームセット。観客席から大きな歓声とどよめきが入り混じって耳に入ってきた。

 サードコーチスボックスからベンチに戻ってきた藤村さんは「ヨシ、ヨシ、次だ!次だ!」と誰にとはなしに言われました。私は申し訳ない気持ちで一杯でした。

 後楽園球場の巨人阪神戦、新人の初舞台は攻守に明暗を分けましたが、私にとってそれが後々に大きな影響を及ぼすのです。

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初めての巨人戦(6)

2009-12-24 08:52:14 | 私の野球人生
 守りでは大舞台で東京のファンにアピールできましたが、打つ方では生涯忘れることのできない屈辱の打席がありました。

 1点ビハインドの阪神は九回表の攻撃。二死満塁で私に打席が回ってきたのです。そのときの両軍の得点は記憶にありませんが、5点以内の勝負だったと思います。一打逆転の場面であったのは確かです。私はそれまでの3打席は、藤田投手に対して凡打を繰り返していました。九回の場面では当然代打を出されるだろうと、ベンチに残っていたメンバーの顔をそれとなく見渡しました。

 しかし、その日の試合は白熱した総力戦でほとんどの選手は既にゲームに出場していたのです。残っている選手はわずか控えの投手陣だけでした。投手が代打に出ることなど阪神ではあまり聞いたことはないし、ここは私しかいない。私の頭に不安がよぎりました。藤田投手のドロップに対して自信がなかったからです。

 サードコーチスボックスにいた監督の藤村さんが、ウエーティングサークルで素振りをしていた私に歩み寄って来てこう言うのです。

 「鎌田、ワンヒット逆転だ!男になるんだ!男に!」

 そう言って私のお尻をポンと叩かれました。

 通常、こういった場面でのアドバイスは“速球に遅れるなよ”とか“カーブを狙え”とか“外角に絞れ”などが一般的ですが「男になれ…」と藤村さんらしい一言でしたからよく覚えています。

 私はそれまでの3打席はバットの芯に当たらず凡打の繰り返しでしたが「直球なら何とかなる」と思って打席に立ちました。



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初めての巨人戦(5)

2009-12-21 12:06:10 | 私の野球人生
 センターのスコアボードに先発メンバーが発表された。

 巨人、阪神ともにそうそうたるメンバーだ。だが、阪神のオーダーに吉田さんの名前がないのが、何とも寂しい気がしました。代わりに「8番・ショート鎌田」の名前がありましたが、東京のファンの前には初見参。「鎌田」の名前は初耳だったに違いない。

 牛若丸・吉田を見に来たファンにとっては、拍子抜けの感は否めないだろうが、私は何としても無様なプレーだけはしたくないと肝に命じていた。

 昭和32年の阪神と巨人は、ペナントレース最後まで優勝争いを演じ、最終的には巨人が優勝を勝ち取りましたが、ゲーム内容は僅差の試合が多く、両軍白熱した戦いが続いていました。

 1つのミス、1つの四球、1球の投球が勝敗の分かれ目となることが多く、両軍ともにワンプレーに全精力、全神経を使い、巨人阪神戦が終わると通常のゲームの2試合分を戦ったくらいの疲れが残ったものでした。

 私にとって初めてのこの巨人戦には、2つの思い出に残るプレーがありました。
 1つは守備で1つは打撃です。

 ゲームの中盤、守備で私のナイスプレーが出ました。

 誰の打球であったかは覚えていませんが、巨人の選手が放った三遊間への速い打球にスタートよく追いつき、左腕を目いっぱい伸ばして逆シングルで捕り、ジャンピングスローで一塁に送球、打者をアウトにしました。

 そのプレーに一塁側、三塁側を問わず観客席から大きな拍手が起こった。私は、背筋に冷やっとするものを感じました。

 後楽園球場のファンは、選手のナイスプレーには敵、味方を問わずに拍手するという選手にとってやり甲斐のある洗練されたファンで埋め尽くされる球場のイメージを感じていました。

 ジャンピングスローについては今でも思うのですが、日本人選手で三遊間のゴロをジャンピングスローで打者を一塁でアウトにできる遊撃手はそうはいません。私のことながら恐縮ですが、それを1年目の若造がやってのけたのですから遊撃手としての資質は優れたものがあったのです。

 ジャンピングスローはバネのある人にとっては、ジャンプして空中で体勢を整えられますから両足で踏ん張って投げるより速いのです。

初めての巨人戦(4)

2009-12-14 10:54:58 | 私の野球人生
 練習を終えてロッカーに戻り着替えをしていると「巨人の先発は藤田だぞ!」とマネジャーの声が聞こえてきた。予想通りだった。伸びのある速球とタテに割れるドロップをイメージした。

 巨人の試合前のシートノックが始まった。ショートの広岡さんが一番に目に入った。カモシカのようにバネがあり優雅でスマートな動きである。この後、1年遅れて長嶋さんが巨人に入り、華麗なる三遊間コンビの時代が続いた。

 次は阪神のシートノックだ。ショートに私が入った。5万人の観客と巨人ベンチから見られている意識があって身体の動きが軽やかだった。

 ノッカーは藤村さん。藤村さんのノックは「魅せるノック」をやる。ショートの私には三遊間深くゴロを打ってくる。肩の強さを見せろという意味のノックだ。私は意識をして力一杯の送球を一塁に投げた。しかし、次に起こった三塁側スタンドからの声に私は愕然とした。

 「吉田!吉田はどうした!」

 ファンは日本一の名遊撃手、牛若丸を見に来たのである。

 阪神の吉田、巨人の広岡、この2人は、巨人阪神戦の華であり、大勢のファンがそのプレー見たさに球場に足を運んでくるのだ。

 ファンの心理はよく分かるが、代役を務める私にとって「吉田!吉田!」とやられると意欲がそがれてしまう。こうなるから阪神には入りたくなかったのだ。

 私の野球人生において、紆余曲折の第一歩が既に始まったのである。

初めての巨人戦(3)

2009-12-10 22:41:17 | 私の野球人生
 後楽園球場は超満員であった。阪神の選手がグラウンドに出ると三塁側だけでなくグラウンドいっぱいに大きな歓声があがった。

 阪神には巨人に負けないスター選手が大勢いるのだ。藤村さんを筆頭に金田、吉田、三宅、小山、田宮、白坂、渡辺他…。私はその他大勢の部類であったが、誇らしげであったし、心強い味方でもありました。この先輩たちがいる限り“何とかなる”そんな気持ちにさせてくれました。

 グラウンドでは巨人の面々が試合前の練習に余念がなかった。川上、別所、与那嶺、広岡、宮本、藤尾、森、南村、坂崎、岩本…他そうそうたるメンバーだ。巨人の第二期黄金時代と聞いた。

 今シーズンこれまでに甲子園球場で、あるいはテレビで巨人阪神戦は見たことはあったが、同じグラウンドでじかに接するのは初めてであり、その雰囲気のすごさに驚かされた。まだ試合も始まっていない練習段階で観客席から両チームに声援が飛ぶ。川上!藤村!吉田!ウオー最後は巨人、阪神応援合戦になった。伝統の一戦の前哨戦が観客席で始まっていたのだ。

 巨人の練習が終了して阪神の練習になった。私は冷静になってショートの守備位置に入った。そのとき、三塁側ベンチからマネジャーが私を呼んだ。「来たか」と思いつつベンチまで走って行くと「鎌田、ショートで8番だぜ!」と…。「分かりました」そのときの私は思ったより落ち着いていました。強い味方が大勢いたからでしょう。

 再びショートの守備位置に戻り、長めにしっかり守備練習。ベテラン二塁手の白坂さんともダブルプレーの練習に時間をかけた記憶があります。

 白坂さんは温和な性格の大先輩。新人の私にとっては頼れる大きな存在でした。そのためにノビノビとプレーができた記憶があります。


初めての巨人戦(2)

2009-12-07 11:16:28 | 私の野球人生
 翌朝、目が覚めて食堂に行くと全てのスポーツ紙がテーブルに置いてある。「巨人か阪神か?今日から3連戦」「G-T後楽園決戦」などを大見出し。巨人阪神戦は周囲が盛り上げてくれる。

 スポーツ紙の内容に目を通すと気になる記事が目に入った。

 「阪神は吉田の欠場が何と言っても痛い…」

 吉田さんは欠場するのだ。私が出るのかな…。他にショートはいないし…。朝から不安であった。

 この巨人阪神3連戦は、今季のペナントレースの雌雄を決する大事な戦い。私は奥井マネジャーに聞いてみようと思った。昼頃、食堂でマネジャーを見つけた。私は恐る恐る尋ねた。

 鎌田「奥井さん、吉田さんは今回、遠征に来ていないのですか?」

 奥井「うん、遠征には来ていないよ」

 鎌田「そうですか…」

 私は返事に元気が出なかった。奥井さんは私の思いを察知してか、私の顔を見て笑顔で「ガンバレよ!」と声をかけてくれた。

 やはり出番か…。私はもう一度、新聞に目を通した。巨人の先発投手の予想は藤田元司さん。その年、慶応大学から巨人入りの新人投手であった。速球とタテに落ちるドロップが武器。藤田投手を打てるか…というよりも内野手として守りの方が心配であった。

 プロの選手として平凡なゴロをエラーするほどみっともないことはない。それとチームにも迷惑をかけ、投手にも申し訳ないからだ。1本のヒットを打つよりもエラーをしないことの方が、私の考え方の優先順位であった。

 当時のナイトゲームは7時プレーボール。夕方4時ごろには宿舎を出る。朝起きてからゲームまで時間があるから余計なことが目や耳に入ってくる。私のように気の小さい新人は、ゲームまでの過ごし方が大事だと思った。

初めての巨人戦(1)

2009-12-01 21:06:33 | 私の野球人生
 昭和30年頃の阪神は、巨人と常に優勝争いを演じていました。私は入団1年目の8月、初の巨人戦のため東京遠征に帯同しました。

 一軍の移動は、グリーン車に乗せていただけるのです。私はまだ何の実績もない一新人でしたが、一軍メンバーになるとファンの見る目も違い、特にサインなども求められました。「僕は…」といって照れていると、それを見た先輩に「鎌田、サインも練習してファンにしてあげるんだぞ!タイガースの一員なんだから…」と注意されました。それ以後、サインはできるだけすることにしました。

 東京の宿舎は文京区にある清水旅館。後楽園球場までバスで約15分、閑静な住宅街にありました。

 部屋は若手4、5人の大部屋。初の東京遠征、行く所もなく宿舎でゴロゴロしていると「若い者が部屋でゴロゴロしているとは何だ。外出して英気を養って来い!」と監督の藤村さん。私はお登りさんよろしく「銀ブラ」に出かけることにしました。

 しかし、翌日の巨人戦のことを考えると気もそぞろ。吉田さんは遠征に来ていない。ひょっとするとショートは私かも…。外出しても落ち着かず、そそくさと宿舎での夕食に間に合うように帰って、素振りをして床に就きました。