あれから50年。あれだけ緊張した試合は、後にも先にもなかった。
昭和34年(1959年)6月25日、昭和天皇、皇后が初めてプロ野球を観戦された「天覧試合」だ。
天皇陛下を神と崇め、幾多の人たちが「天皇陛下万歳!お国のために…」で戦中に戦い、そして育った私たちの世代にとっては、恐れ多いイベントであった。
終戦から14年、世の中は復興の足音高く近代日本へと変革の様相を呈しはじめていた。天覧試合の2カ月前の4月10日には、皇太子、美智子様がご成婚。お2人が馬車でパレードされる様子がテレビに映し出されると、国民は興奮のるつぼ。1500万人を越える人々がテレビの前にクギ付けになった。
白黒テレビはこれを機に普及し、前年の昭和33年には東京タワーが完成、1万円札が発行され、昭和34年にはペギー葉山の「南国土佐をあとにして」が一世を風靡した。
プロ野球は昭和33年、戦前から職業野球をリードしてきた巨人の川上哲治さん、阪神の藤村富美男さんの両雄が現役を引退した。
思えば私が子供の頃、巨人が私の故郷、淡路島・洲本にオープン戦に来た。私は巨人と川上さん見たさにその試合を見に行った。巨人のベンチ近くまで行くと選手が焚き火をしながら談笑していた。その輪の中に川上さんがいた。太い声で何やら話をしていたが、私は胸がドキドキしたものだ。
その試合で川上さんは、ライトの石垣を越える場外ホーマーを放った。今でもそのホームランは覚えている。赤バットの川上、青バットの大下(弘)、物干しざおの藤村さん。子供の頃は、パッチン(メンコ)の写真でしかお目にかかれなかった大選手と例え2年間でも同じグラウンドで同じ土を踏みながらプレーができる幸せをかみしめていた。
そして両雄が引退すると、その2人に代わるようにして同年、巨人に長嶋茂雄さんが入団、翌年の昭和34年、天覧試合の年には阪神に村山実さん、巨人に王貞治選手が入団した。3人は近代プロ野球の重鎮となり、その後の日本プロ野球を支えていった。その契機となったのが、天覧試合であった。
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