この前、関西テレビの「NMBまなぶくん」と言う番組で、笑い飯の哲夫さんが仏教について講義をされていた。
それを見るにあたって、仏教に関する自分の知識を思い出すと、
ABCテレビ、「ビーバップ・ハイヒール」で「サクサク分かる仏教」を見た事。
ロザン管ちゃんが書いた本で、「テンサイ、シンクウ」と天台宗・最澄、真言宗・空海の頭文字「天最 真空」と言う風に覚えた事。
そんな事などが記憶にあるぐらい。
そんな状況で笑い飯哲夫さんの仏教講義は笑いながらも大変勉強になった。
仏教と言っても色んな種類が有るのも改めて分かったし、仏教にも対立が有ったり、どこの宗派を祖にしながら現在の宗にしたのかと言うのを改めて分かった。
そんな中、仏教には色々な宗が有るのだが、これらを簡単に紹介してくれた。
下の画像を参照。
まずは、
法相宗(ほっそうしゅう)と、華厳宗(けごんしゅう)と、律宗(りっしゅう)が3大宗との事。
ここから色んな宗派が生まれるんやけど、さすが芸人・笑い飯哲夫さん!
この3大宗をお笑いの師匠に例えた。(これがお笑い好きからしたら分かりやすい)
法相宗(ほっそうしゅう)は笑福亭仁鶴師匠。
華厳宗(けごんしゅう)は、厳しい「厳」と言う文字が入っているので、横山やすし師匠。
律宗(りっしゅう)は規律の「律」が入っているので、規律正しいから、西川きよし師匠。
ここからが私なりにはメイン。
横山やすし師匠と例えた華厳宗(けごんしゅう)から新たな宗祖が派生する。
天台宗と真言宗。
ブログの初めに書いた、「テンサイ、シンクウ」の、天台宗・最澄、真言宗・空海の二つの宗派
これを笑い飯哲夫さんは華厳宗・横山やすし師匠の流れで来ているので、天台宗と真言宗は横山たかし・ひろし師匠になるとの事(笑)
(どっちが天台宗、真言宗まではつきとめて無かった。ただ、やすし師匠の弟子と言う事でたかし・ひろし師匠やと)
横山たかし・ひろし師匠のどっちが天台宗で真言宗かは知らないが、天台宗の影響を受けたのが「浄土宗」
(あくまでも例えですよ!たかし・ひろし師匠の宗教の事言ってるんちゃいますよ!)
浄土宗は広く好まれた事もあり、天台宗が横山たかし・ひろし師匠のどちらかになるから、松竹芸能から誰かあてはまる人を探してみる。
すると、
民衆から分かりやすいと好評で広く好まれた浄土宗は、人当たりも良くて誰からも好まれる「笑福亭鶴瓶」師匠がまさにピッタリだとな(笑)
てな事で、
浄土宗が鶴瓶師匠。
で、この「浄土宗」を、より簡略化したのが「浄土真宗」
「浄土真宗」は「浄土宗」の弟子になるので、鶴瓶師匠の弟子にあたる、笑福亭笑瓶さんが「浄土真宗」になるとの事(笑)
(ちなみにですが浄土宗は「法然上人(ほうねんしょうにん)」、浄土真宗は「親鸞聖人(しんらんしょうにん)」)
時宗と融通念仏宗は「酒井くにお・とおる」師匠
日蓮宗は他とは違った動き方なので、例えるならば森脇健二さん。
臨済宗、曹洞宗、黄檗宗は「風穴あけるズ」
この様な説明を聞きながら、なるほどな!そう言う流れか!と勉強しているが、スタジオ内にいてるNMB48の女の子達はチンプンカンプン。
仏教の主たる名前もチンプンカンプンで、それを分かりやすく芸人の師匠で例えても、師匠が知らないからポカーーーンとした状態。
さらに「風穴あけるズ」なんかは松竹芸能の若手芸人。
もう何がなんだか…ってな感じ(*^_^*)
私的には、天台宗(横山やすし師匠)の流れから「たかし・ひろし師匠」そして笑福亭鶴瓶師匠で笑瓶さん、酒井くにお・とおる師匠で、森脇健二さん、風穴あけるズと、松竹芸能の芸人で、まとまっているのが分かりやすかった。
天台宗の影響はかなり強かったみたいですな…。
ここでふと思った事。
うちは何処の宗派なんやろ…?!
と、言うのも、
父方の祖父は私が生まれる前に他界しており、物心つく前から正月になればお寺に行っていた。
祖父の遺骨をお寺に預けていたからだ。
そのお寺をネットで検索したら、浄土真宗で、真宗大谷派との事。
祖父のお墓が出来るまでそのお寺に行っていたし、祖母の葬式もその寺でやったから、私は浄土真宗になるのかな?(*^_^*)
もっと詳しく言うたら、真宗大谷派と言わなアカンのかな?(*^_^*)
まぁ、誰から聞かれる事も無いと思うけど、もし聞かれたら、浄土真宗の大谷派ですと答える事にしよ(東本願寺も忘れない様に!)
もう一つ、
父の葬式、49日法要を行った「統国寺」って何処の宗派なんやろ…?!って思って検索してみた。
すると、日本の何処の宗派にも属してないんやね。
「元暁宗(がんぎょう 或いは げんぎょう)」って言う宗派。
何なんやろと更に調べると、
「元暁宗」とは - 朝鮮半島の仏教の宗派の1つ。新羅の仏教者である元暁が祖。
だから、統国寺は朝鮮の念仏なんやなと一人しみじみ。
今回のブログでもう一つだけ書いておく。
浄土真宗だと言うのを分かった私。
そう思えばあのお寺にここ最近行ってないけど、あのお寺と言えば祖父の事を考える。
長い間、祖父の遺骨をお寺に預けていた。(20年超えて)
陽暦1958年(S33年)1月26日(陰暦1957年12月7日)に亡くなった祖父。
胃の中にいる回虫を下ろす為に、巷で色んな情報が行き交う話をやってみて、危険な薬を飲んだその後から、身体の調子が悪くなった祖父。
そんな祖父が亡くなったのが先程にも書いたが、陽暦1958年(S33年)1月26日(陰暦1957年12月7日)。
1980年(昭和55年)頃にお墓の中に納骨したけれど、その間、20年超えて、ず~~~~~っと祖父の遺骨をお寺に預けていた。
1980年頃にお墓の中に納骨したと書いたけれど、お寺に預けていた事と言うのは、祖父のお墓の場所を探していた訳でも無い。
祖父のお墓の場所が無かった訳でも無い。
済州島で生まれ育った祖父。
そんな祖父なので、朝鮮半島が統一し、一つの国になった祖国に行き、祖父の遺骨を済州島の土に返そうと思っていた父親兄弟。
あの時はその様になると信じていた、いや、希望を持っていた。
南北の国家が成立し(1948年)、分断して10年経ってない時に祖父は亡くなったのだから…。
今となっては南北が分断して半世紀以上経つ。
いつ祖国が統一するか分からない状態でこのままお寺に預けていたら…との事で、親父兄弟達が話し合い、1980年頃にお墓を作る。
しかし、
納骨はしたが、骨壺のまま納骨し、そこから30年もの間、その状態で保管していた。
まだ、かすかな希望を残していたのかも知れない。
でも、済州島の我が一族が眠る共同墓地に、祖父、祖母のお墓が出来、済州島のお墓には遺品、思い出の品を埋めた事もあり、もう祖父の遺骨を土に返した方が良いと判断し、2010年頃に骨壺から遺骨をとりだして土に返した。
祖父が亡くなって50年以上経ってからの事だ。
親父兄弟達はその当時、朝鮮半島が統一し、そして堂々と祖父の遺骨を済州島の土に返そうと言う熱い想いが有った。
でもその様な事、今となっては知っている人も少なくなっている。
なので、このブログに書く事により、
我が家族・親族の記憶の1ページとして刻んでおく事にする…(*^_^*)