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異邦人は君が代丸に乗って -朝鮮人街猪飼野の形成史- 金賛汀著 を読んで(VOL.1)

2022-10-20 19:00:00 | 在日同胞


以前から知っていた書籍、「異邦人は君が代丸に乗って -朝鮮人街猪飼野の形成史- 」。


自分の生まれ故郷である大阪で、馴染み深い「猪飼野」


そこに1世のハラボジ・ハルモニ達がどの様に来て、生きて、生活して、働いていたのかは非常に興味があった。



しかしながら、


私の在日朝鮮人歴史関連の大師匠で呉先生とたまに食事するのだが、大師匠もこの著者の事ももちろん知っていて、


あの人は組織(総連ね)の事をボロカスに書いた裏切り者だ!的な事も言っていたから、大師匠の事もあるので、書籍に興味があるが、師匠の信者である私は読むのを避けていた。


でも、興味がある。



一旦、著者の金賛汀さんってどんな人かな?と思ってWikipediaで調べてみたら、、、、あらまぁ!もう鬼籍に入ってはるんやね。



それなら、もう師匠とのわだかまり有った金賛汀さんが鬼籍に入ってはるし、、、、前々から興味あったのもあるし、、、、で、、、もうエエやんね、、、、と、言う事で、、、、、


メルカリで300円で売っていたので、買っちゃいました。
(興味あるのに、メルカリで買うんかーい!ほんでもって300円かぁい!!)



読んでみると、猪飼野に朝鮮人集落として出来る前から調べていた。



明治、大正と国関連の資料で朝鮮人の人数を調べている。



私(達)は、猪飼野(遅ればせながら、現行政区域名は「中川」)に、朝鮮人、特に済州島の人達が多く居てるのかと言うのに関して知っていたは、、、、



猪飼野の近くに流れている平野川の改修工事があってそこに済州島の人たちが大阪へやってきて、土方や日雇い労働とかで、一つの集落になったと認識していた。



が、



そうではないみたいなのだ。



平野川改修工事に携わっていた日雇い土工に関して、朝鮮人が多いのは確かなんだが、



平野川改修工事をやっていた時に働いていた朝鮮人土工は出身地が慶尚道の方が多く、飯場とか工事現場が移るにつれ、住む所も転々とするので、猪飼野に根付いたのでは無いとの事。



書籍にも当時1984年、1世のハラボジ達から実地聞き取りを著者がされ、それらが書かれていた。



ひゃー!!びっくりやな!!



ほな、私が学んだ歴史は何やったんや?!?!と思うのが普通である。


時系列と、今までをまとめてみると、、、、、


済州~下関~大阪を結ぶ連絡船「君が代丸」の就航は1922年(大正11年)から。


そこから済州島の人たちが大阪へと出稼ぎ、とある人はジャパニーズドリームをと、わんさかやって来たのである。


平野川改修工事は君が代丸が就航する前の工事でありまして、


慶尚道から関釜連絡船に乗って、汽車乗って大阪へとやってきた朝鮮人が土工として働いたので、ある意味この人達が最初に大阪に来た朝鮮人となる。


ただ、書籍にも書かれていたが、済州島の人でも一旦、釜山に行って、関釜連絡船乗って、汽車乗って大阪に来た方も居てるが、大多数では無い事は確か。


こんな感じで、平野川改修工事に携わった朝鮮人土工、日雇い人夫が猪飼野の礎を作ったみたいだ。


1922年(大正11年)に連絡船「君が代丸」が就航し、済州島の人がやって来る。



縁故が有れば仕事もすぐ見つかるが、そうでも無く、ひとまず来たらどないかなるやろみたいな人も居てて、、、



その人たちが最初にお世話になるのは「下宿屋」。


ここで寝泊まりして、朝晩「下宿屋」の安っぽいご飯を食べて、仕事に出る。


済州島から来た人は、寝るところが無いのでこの「下宿屋」に泣いて頼んで、ベランダでもエエから寝かせてくれとせがんだ人もいたとか。


6畳と4畳の部屋に40人くらい寝泊まりするから、押し入れとか全てのスペースが寝る場所。


面積と人数を換算してみると、1人当たり、畳半畳もなかったみたいなので、劣悪な環境。


夫婦で済州島から出稼ぎに来た人も居てるだろう、そんな方も寝返り打てない状況で一晩を過ごす。


ボロボロ落ちる米、ちょっと塩っけが入っている味噌汁の様な汁物、大根の沢庵が数切れが「朝食」


下宿屋、、、、えらいぼったくっとんの!!と思うが、ボロボロ落ちる米でも済州島から来た人からしたら食べられるだけマシやったとの事。


当時の済州島の食糧事情がよく分かる内容だ。


そして、月日が経つと、こんな小狭い空間では住めないと何とかして部屋を借りようとするが、、、、、



「朝鮮人おことわり!」



「犬と朝鮮人おことわり!」



ってな、貼り紙をする貸家も出てくる始末。


日本人の保証人とかをつけて貰っても、厳しい状況。


何とか、日本人になりすまして頑張ってみたが、朝鮮人だとバレて家から追い出された人も多数居てたとか。


何しか色んな「作戦」練って借家住まいを試みた朝鮮の方々でありました(笑)(←笑ってる場合ちゃうやろ)


そんな中、一向に家を貸してくれない日本人が貸すようになる。


「太平洋戦争」だ。


戦争で疎開する日本人が多く、その土地とかを安く叩き売った所に住む事で、住めるようになった朝鮮の人たち。


朝鮮人が一回住むと、その家には日本人が借りる事がないので、自然と次に借りる人も朝鮮人。


そんな事をやりながら、徐々に徐々に借家に朝鮮人が住むって事になったんやて。







今日はここまで、

続きはまた今度VOL.2で書こうと思います(#^.^#)



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