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母国の言葉の大事さをしみじみと感じました。

2016-07-07 22:30:00 | 思った事を書く





私の知り合いに、中国・延辺朝鮮族自治州からやってきた中国国籍の朝鮮族の方が居てる。




その人は中国語、朝鮮語(韓国語)、日本語、そしてちょっとした英語を話せるスペシャルなお方 (*^_^*)




中国から日本に、漢民族の方、朝鮮族の方達とかが、ある時期だけ多く来られた模様だ。(今から十数年前)




そんな私の知り合いも、日本で中国国籍の漢民族(THE・中国人)の方と結婚し、日本で子供を出産。




日本で結婚し、子供を産み、日本での定住生活へと土台を作っているさなか。




その子供ももうそろそろ小学校に行く歳にまで育った。




小学校は自宅近所の日本の小学校に通わせる予定だが、子供が大きくなるに連れて、一つ大きな考え事があると言う。




それは、子供に対しての言葉の勉強だ。




私の知り合いは、自分の息子が大きくなったら、必ず自分達の母国語を教えなければいけないと思っている人。




でも、



中国と言っても、旦那さんは漢民族、奥さんは朝鮮族、どちらも中国国籍には間違い無いが、民族が違う。




民族が違うとコミュニケーションの「言葉」がもちろんだが違ってくる。




息子さんは日本の小学校で「日本語」を学ぶ予定、そして、違う場所で朝鮮族の「朝鮮語(韓国語)」漢民族の「中国語」を勉強させる予定なのだが…、




日本語は小学校で学ぶから良しとして、次たるハードルは、一つの場所で「朝鮮語(韓国語)」と「中国語」を学べる場所。




しかし、そんな都合が良い教室なんて無いとの事。




でも、朝鮮族とか情報ネットワークを通じて調べたら、やっと一カ所見つかったとの事。





とある中国人の方のお話。




その人は早めに結婚し、子供も出来、自分の息子(当時小学生)を故郷・中国の親父に会わす為、一旦中国へ帰郷。




爺さんと、当時小学生の孫が逢うのだが…、




爺さんは中国語、孫は日本語しか知らない。




爺さんは自分の息子にもの凄く叱責した。




「自分の故郷の言葉も教えずに、お前はそれでも父親か!母国語を教えるのが一番先だろ!」




「孫と会っても全く会話が出来ないじゃないか!話したくても話せない!本当に残念だ…」と。




その言葉が生前最後の叱責の言葉になり、かなり後悔したとの話。




そして、父親からもの凄く叱責された方が起業して立ち上げる事となった「ことば教室」




父親から言われた言葉がもの凄く重たかったのだろう、なので有志を集めて「ことば教室」を立ち上げるまでに…。





ただ、その「ことば教室」に行かせるには、私の知り合いの家からは、かなり遠いとの事。




小学生になったばかりの子供に電車乗り継がせて「ことば教室」まで行かせるのは大変。




でも、たまに故郷に里帰りする事も有るし、その時に全く話せなくて爺ちゃん婆ちゃんががっかりするのは、やはり親としてみてられない。




なので、母国の言葉、自分のルーツの言葉を教えなければいけないと言う、親としての責任感。




小学校の授業が終われば電車乗り継がせて、「ことば教室」に行かせるつもりとの事。







この話を聞きながら、在日コリアン3世の私は、本当に本当に心打たれた。




そして、昔見たドキュメント「ウリハッキョ」ってタイトルやったかな?それを思い出した。




そのドキュメンタリーでは、神奈川・湯河原温泉の山奥に住んでいる娘を片道2時間以上かけて、横浜市内にあるウリハッキョ(朝鮮学校)へ通わせた内容。




これを思い出した。





「言葉」を学ばすと言う事は、本当に本当に切実な問題なんだと……。




日本語とまた違う言葉を学ぶ事によって、「私は何故この言葉を勉強しているんだろう」と、自分の出自に対しての一つのきっかけにもなるだろうし、




色んな意味で大きく影響すると思う。







私自身に置き換えると、




私はウリハッキョ(朝鮮学校)で基本の会話を学んだ事もあるので、




済州島のご先祖様お墓参りにも、通訳要らずでチェジュ市内の行きたい所をところかまわず行っている。




免税店に行けば「ニイハオ!!!」と中国語で話し掛けられたりするけれど、チェジュでの短期間滞在は会話が出来るので、そんなに不自由しない。




言葉を学んだ事により、チェジュの親戚とも普通に話せる。





30年前ぐらいになるかな、ドキュメンタリーで見たのがあるんやけど、民団の建国か金剛学園の修学旅行が済州島。




済州島に居てるお婆ちゃんが孫を見て、孫と会えてわんわん泣いているけれど、孫は素の表情。




お婆ちゃんが何を話しているのか分からないから、ただただその場に居てる孫。




孫とせっかく会えたのに言葉が通じないなんて………と、痛哭するお婆ちゃん。




一方、何で泣いているのかも全く分からない、日本から来た孫。
(その後、済州市内を観光するが、違う男子学生は早よ日本に帰ってお好み焼き食いたいってな事も言ってたわ)




このドキュメンタリーは今でも覚えているくらいにインパクトが有る。小学2年か3年の頃に見たんやけど、未だに覚えている。




ウリマルを習った俺なら話せる!って自信満々やった事も有って………。




出来たらもう一度見たいくらいだ。




このドキュメンタリーを見ただけに、言葉を学ぶって言うのは本当に大事なんだと切実に痛感。




自分の、「言葉」に対する思いの「原点」になったかも知れない、建国か金剛学園の「済州島修学旅行ドキュメント」。













上記の事とかをすぐさま思い出した、今日の内容。






色んな事を改めて省みる、大事な大事なお話だったので、今日のブログに残そうと思います。





「マリジャ、コッ、ミンジョッ(말이자 곧 민족)」てな言葉が、





最終的に私自身のジャッジになった、今日のお話で御座いました。(*^_^*)










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