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テントと大道芸人とムーランルージュと ♯01

2023-04-15 21:00:00 | 自由研究

 ■サーカスの歴史 ⑴

 近代サーカスは、1770年のイギリス「アストリー・ローヤル演芸劇場」で開催されたことに始まり、その円形劇場で催された新機軸が評判となった。その後、これを「サーカス」と呼ぶことが広まった。近代サーカスは、曲馬(馬による曲芸)を主要な演目として発展しつつ、そこに新しいショー形式が取り入れられ、興行として成長してきたものである。
 近代サーカス(つまり人々がサーカスと認識しているもの)につながる歴史について説明する。
 語源については諸説ある。
・英語のサーカスの語源は、ラテン語で環(円周・回転)だとする説。
・古代ローマの円形競技場(キルクス)が語源である、とする説。
・歴史的に円形広場で催された見世物は、一応、古代エジプト時代やローマ時代には存在しており、古代エジプト時代に動物の芸や人間の曲芸が見世物として成立はしていた。
・古代ローマで見世物は存在していてその一部が円形競技場で行われることはあった。だが、近代サーカスは必ずしも古代ローマの見世物の延長上にあるわけではない。
・近代サーカスの起源を古代ローマの円形競技場キルクス・マクシムス(Circus Maximus)に置いてしまう人も一部にいるが、実際には古代ローマのキルクス・マクシムスは近代サーカスとは別物であり、区別したほうがよい。
 
 近代サーカスはイギリス人退役軍人のフィリップ・アストリー(1742年〜1814年)によって確立され、ヨーロッパからロシア・アメリカへと広がったとされる。従来より見世物として確立していた動物芸、人間の曲芸に加え、アストリーは道化芸という概念を新たに取り入れた。(なお、アストリー自身は「サーカス」という用語を使っていなかった) 道化芸は19世紀初頭に活躍したパントマイム役者ジョセフ・グリマルディ、ジーン・オリオールらによって、「喜劇中のふられ役・失敗ばかりして観客の笑いを取る」というスタイルが確立され、真っ白に塗った顔にだぶついた服装というお決まりのピエロ姿で、近代サーカスでは欠かせない要素のひとつとなった。
 ロシアではバレエなど様々な芸術を取り入れることで発展し、サーカスは子供向けの芸術ジャンルとして認知されている。ソ連時代にはサーカス団は公団として組織され、アトラクションと呼ばれる大規模な動物演技や大編成のグループアクロバットによって国内外で広く知られていた。
 1974年にモナコ公国のレーニエ3世がモンテカルロ国際サーカスフェスティバル(英語版)を創設した。これにより、それまで単なる見世物と見られがちだったサーカスが芸術の一種としても認知されるようになり、サーカス団員の社会的な地位も向上するようになった。 (現在、世界では有名なサーカス・フェスティバルが5つほどあり、それらは主に新人サーカス団員の"登竜門"の役割を果たしている。サーカス・フェスティバルの会場には、世界の有名サーカス団のスカウト担当者も来て見ており、金賞・銀賞などを受賞すると、さまざまな有名サーカス団から公演依頼が寄せられることになる。5つほどのサーカス・フェスティバルの中でも頂点に位置するとされているのが、モンテカルロ国際サーカスフェスティバルであり、現在ステファニー・ド・モナコ公女が先代のレーニエ3世の志を引きついでモナコ公国の国家事業として主催している)
 
  1980年代以降、欧米ではニューサーカスと呼ばれる新しい形態のサーカスが盛んになった。ニューサーカスはストーリー性やコンセプトに重きを置き、最新の音響・視覚効果を積極的に取り入れたライブイベント的なエンターテイメントであり、リングマスター(英語版)(団長)やピエロによる狂言回しを用いず、動物の演技や円形劇場も使用しないことで従来のサーカスとの差別化を図っている。

     〔ウィキペディアより引用〕


 


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