1658年5月、マサチューセッツ州法廷は「ラム酒、ウィスキー、ワイン、ブランデー、その他」どのような名で知られているかどうかにかかわらず、度数の高い酒を不法と見なした。 一般に、家庭やコミュニティでの非公式な抑制力により、アルコールの乱用は社会的に受け入れられていなかった。
アルコールは神からの贈り物である一方で、その乱用は悪魔の仕業によるものという明確な社会的同意があった。酩酊は非難・罰則の対象ではあったが、それは神からの授り物を乱用したことから非難・罰されるものであり、飲み物自体は過失があるとは見なされなかった。
酒自体はとがめの対象ではなく、大食の罪の対象となる食物以外のものではなかった。過剰摂取は個人による軽率な行為とみなされた。インフォーマルな規制の下で遵守されない酒の乱用は、常にフォーマルな規制によるバックアップが行われ、統制は保たれていた。
18世紀後半に活躍した有名な医師であるベンジャミン・ラッシュは、1784年にアルコールの過度の乱用は身体的かつ心因的な健康に有害であると主張した(彼は禁酒法よりも、むしろ個人による節度を信じた)。この主張が広範囲にわたって議論された結果、1789年にコネチカット・コミュニティのおよそ200人の農民により禁酒協会が設立され、これに類似した協会がバージニア州で1800年に、1808年にはニューヨーク州で作られ、次の10年で禁酒協会は8つの州で設立された。そのうちのいくつは州全体の組織であった。
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■映画『アンタッチャブル』
(The Untouchables)は、1987年のアメリカ合衆国のクライム映画。監督はブライアン・デ・パルマ、出演はケビン・コスナー、ロバート・デ・ニーロ、ショーン・コネリーなど。禁酒法時代のアメリカ・シカゴを舞台に、正義のためにギャングのボスであるアル・カポネを逮捕しようとするアメリカ合衆国財務省捜査官たちのチーム「アンタッチャブル」の戦いの日々を描いた実録映画。捜査チームの主任捜査官だったエリオット・ネスの自伝を基にしている。なお自伝はテレビドラマ化され大ヒットしている。

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1840年代に始まった禁酒法の運動は、敬虔なキリスト教の宗派、特にメソジストがその先鋒を務めた。禁酒運動は、1800年代後半には禁酒からアルコール摂取に関連した全ての振る舞いにまで拡大され、マーク・A・マシューズのような伝道師が、酒を出しているバーと売春を関連づけるようになっていく。 禁酒運動は、メイン州において若干の成功を収め、1851年に法律が可決された。しかし、こうした運動はすぐに勢いを失って、南北戦争(1861年-1865年)の間は完全におざなりにされた。 禁酒運動は、1869年創立の禁酒党と1873年創立のキリスト教婦人禁酒連盟によって復活したが、後者はその名前とは裏腹に、禁酒法の促進にあまり貢献しなかった。これは、子供達に禁酒が浸透することで、飲酒に対する冷ややかな感情を醸成するだろうという考えから、禁酒という目的達成の手段の一つとして、教育を重視したためである。 1881年に、州憲法でアルコール飲料を禁止した最初の州であるカンザス州では、キャリー・ネイション達がバーに乱入し、客を叱って、酒のボトルを手斧でたたき割るという儀式を実行したことに、賛否両論となった。さらにネイションは婦人を集めて「キャリー・ネイション禁酒法グループ」を組織し、他の活動家もバーに入って、歌い、祈り、マスターにアルコールを販売することを停止するよう訴えた。こうして、南部の州を中心とした各州および個々の郡で、禁酒法が制定された。
〔ウィキペディアより引用〕