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research notes ♯02頁 大人の事情 ②

2023-11-09 21:00:00 | 自由研究

 ■大人の事情(都合)②

 関連項目 ー 黒歴史 ー

 
 黒歴史(くろれきし)

 アニメ作品『∀ガンダム』に登場する用語。
 作中では、太古に封印された宇宙戦争の歴史のことを指す。

 ガンダムシリーズで描かれた物語すべてが含まれると定義されており、『機動戦士ガンダム』の時代である「宇宙世紀」だけでなく、それまでは別系統の異なる世界の作品という扱いだった『機動武闘伝Gガンダム』の「未来世紀」、『新機動戦記ガンダムW』の「アフターコロニー」、『機動新世紀ガンダムX』の「アフターウォー」のほか、以後に発表されたガンダム作品の歴史も含まれる。
 原作者の富野由悠季は、『∀ガンダム』において「宇宙世紀」も別作品群の世界の歴史も包含し、「黒歴史」として総称するという新たな視点を示した。
 そこから転じて「なかったことにしたいこと」または「なかったことにされていること」という意味のスラングとして使われるようになり、2022年現在では「隠された歴史」という意味でも辞書に掲載されている。

 《概要》

 「黒歴史」とは、太古の宇宙文明時代に永きに渡って繰り返されていた数々の宇宙戦争の歴史の総称であり、『∀ガンダム』は黒歴史最後の大災害から復興し、数千年余りの時間をかけ、ある程度の生活・文明レベルを取り戻した「正暦」の時代の物語である。
 『∀ガンダム』では、黒歴史時代最後のガンダムである∀ガンダムによって地球圏全土にばら撒かれた「月光蝶」なるナノマシンの効果により、人類の文明は甚大な打撃を受け、産業革命以前のレベルまで衰退した文明の様子が描かれている。

 『∀ガンダム』監督の富野由悠季は「(「∀」という記号には)“以後”ということも含めてあるので、『∀ガンダム』以降の作品についても認められるようになったわけです。
 『∀ガンダム』の時代に辿り着くまでには、あと100本の『ガンダム』を作っても余裕がある時間を作ってある」と語っている。
 設定を担当した森田繁はインタビューに際し、各ガンダム作品を一つの世界に纏めるようオーダーされたために作られた設定であり、制作の折には各作品ごとに10000年の時間が経過した年表を製作したとも語っている。
 サンライズ監修の漫画『∀ガンダム 月の風』(著者:あきまん(安田朗))にて、『機動戦士ガンダムSEED』シリーズの「コズミック・イラ」も含まれるとされた。
 プラモデル『マスターグレード ターンX』では、『∀ガンダム』より後に発表された『機動戦士ガンダムSEED』、『機動戦士ガンダム00』、『機動戦士ガンダムAGE』の他、今後発表されるであろうガンダム作品も包含されるが、『ガンダムビルドファイターズ』に関しては除くと思われる、と記載されている。
 また、本編中に描写はないが企画の初期段階では「SDガンダムシリーズ」の世界も包括しているという設定も存在し、SD型のモビルスーツが発掘されるという案もあったと言う。

 富野は「『∀ガンダム』以後のガンダム作品を描くとしたら、自分で作るつもりです。そうした設定があるために『∀ガンダム』において、ロランとディアナの物語は完結を迎えましたが、ガンダムについては触れていないんです。
 マウンテンサイクルという設定も“どこから何年後”という表現を避けるために考えたものなんですよ」とも述べている。
 作中で黒歴史を描写する時、決まって流された菅野よう子作の曲も「Black History」と名づけられている。
 この曲は本作を象徴する音楽として関連作品でも多く用いられている。

 ▼『Gのレコンギスタ』における黒歴史

 後の作品の『ガンダム Gのレコンギスタ』の時系列は『∀ガンダム』で描かれる「正暦」よりも前の時代に位置すると公式関連書籍などで紹介されていた。
 だが後に、富野はトークショーにて『∀ガンダム』同様自身が手掛けた『Gのレコンギスタ』は『∀ガンダム』から約500年後頃を想定して制作したと発言している。
 同時に富野自身が単独でシリーズ全体の設定を決定する権限がないことにも触れ、「(公式が自身の見解と異なる時系列を発表していたことについて)それはそれでいいんです」「皆さんなりに“ガンダム全史”みたいなものを作っていたたければいい」と前置きしつつも「その時には『Gのレコンギスタ』の位置付けが、今言った所(『∀ガンダム』⇒『Gのレコンギスタ』)に置いていただけたら嬉しく思います」と述べている。
 この発言を受けて、聞き手を務めていたサンライズの小形尚弘プロデューサーは「色々と整理したいと思いますので、来場者の皆さんは今日聞いたことは一旦胸の内にしまって頂いて。
 次の何かの機会に、しれっとそうなってる可能性はありますので」と答えた。

 富野の構想は、これまで公式が公開してきた時系列の設定(『Gのレコンギスタ』⇒『∀ガンダム』)と異なる上、宇宙世紀を「約1000年前の“前世紀”」として扱う『Gのレコンギスタ』の設定と、宇宙世紀を「約1万年前の“太古”」(『劇場版∀ガンダムII 月光蝶』では約5000年前に変更)として扱う『∀ガンダム』の設定とで矛盾が生じる。
 だが富野はその点についても触れ、「その時代その作品ごとの観点から“黒歴史”的に見えているだけの話で、劇中で言われる設定年数は関係がない」旨を述べ、この発言を受けるならば『Gのレコンギスタ』に関しては黒歴史に含まれないことになる。

 《劇中での描写》

 『∀ガンダム』の舞台となる正暦世界において、黒歴史は月の民たちの間でも限られた者しか、触れることは許されなかった。アグリッパ・メンテナーらメンテナー一族が管理を行っており、「冬の宮殿」において封じられていた。
 ムーンレィスと地球の人々との紛争の渦中、月の女王ディアナ・ソレルたちの前で黒歴史の記録映像として過去のガンダムシリーズの宇宙戦争が映された。
 作中では、過去のガンダムシリーズと繋がっているかのような文物がいくつも登場する。
 また、『∀ガンダム』の時代・正暦2343年は『機動戦士ガンダム』などの舞台であった「宇宙世紀」から約1万年後の物話であることが語られている。
 記録映像中では、かつてニュータイプと呼ばれた人々を中心とする宇宙移民者たちは、歴史の半ばで地球圏と袂を分かち、スペースコロニーごと外宇宙へと新天地を求め去っていたことも語られている。
 さらに『月の風』によれば、彼らは空間跳躍技術を確立し、宇宙全土を舞台に文明の域を広げ、独自の進化を続けた。ある時期には「超空間交通システム」によって他恒星系移民者との交流も行われていたという。
 遥か未来、その彼方の異文明から当時の地球へと偶然漂着したのがターンXであり、自らの意思で外宇宙から地球圏へと帰還を試みた一団が、後のムーンレィスの祖先達だったと語られている。

 黒歴史の遺物には多数の技術の情報も残されており、地球の産業革命を志すグエン・サード・ラインフォードはギンガナム側に寝返ってまで、この技術を手に入れようと画策した。
 そして黒歴史は紛争終結後にディアナの意向により開放され、民衆の目に触れることとなった。
 地球でも黒歴史の一部はマニューピチにてガンダムシリーズの始まりから世界の終わりまでを抽象的に物語ったものとして伝わっている。
 地域によっては『機動武闘伝Gガンダム』の劇中の顛末が神話として知られ、「DG細胞災害」という第一級テクノハザードの記録も残っている。
 福井晴敏著『月に繭 地には果実』では、「冬の城」のビジュアル・データ室でディアナが明かす黒歴史の範囲は『Vガンダム』までに言及しているものの、それ以降のアナザーガンダム作品については描写がない。
 また、映像と共にギレンやハマーン、シャアたちの演説が次々と流されていき、最終的にはファーストガンダムの映画版『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』でのララァ・スンの言葉へと結実するという小説版独自の描写が為されている。
 U.C.ガンダムBlu-rayライブラリーズ映像特典『機動戦士ガンダム 光る命 Chronicle U.C.』において、∀ガンダムが月光蝶を発動し宇宙世紀の文明を消し去る様子が描かれており、その後GガンダムからGのレコンギスタまでの歴史が続いていっていることがイメージ映像として描写された。

 『ガンダムトライエイジ』ではカード内のフレーバーテキストでは、キエルやギンガナムなど∀ガンダムのキャラ達が上記の冬の宮殿の映像や資料の中で『SEED』『00』『UC』『鉄血』など∀ガンダム以降の作品に登場したMSについて言及している。

 《インターネット用語としての「黒歴史」》

 劇中での描写 黒歴史の遺産 インターネット用語としての「黒歴史」 編集 主に漫画やアニメに属する分野などを中心に、非常に面白くなかったりファンの期待を損なってしまった作品・設定などを指して、「なかった事にしたいこと」または「なかった事にされていること」などの意味で、黒歴史という言葉が使われている。
 また、上記から転じて、「自分自身の他人に触れられたくない、あるいは自分でも恥ずかしく思う自分の過去」のことを、黒歴史と言うこともある。
 これは俗に言う中二病(廚二病)やヤンキーだった頃の自分や、自作の小説・ポエム・音楽・同人誌などを指すことが多い。
 さらには、ベテラン芸能人の若かりし頃のアイドル時代や、子供時代などに太っていた頃の写真なども、よく挙げられる。
 当初は、アニメを中心とするサブカルチャーやそれに類する分野を中心に、それらのファンたちにより劇中用語を引用して隠語的に使用されていたものであったが、電子掲示板などで広く普及し、一種のネットスラングとして定着した。
 更に俗語として元の由来を知らない人にも、日本語として使われるに至った。

 ◆暗黒時代

 似た言葉に「暗黒時代」があるが、これは小学校~高校時代などにおいて、中~長期間のいじめ・孤立・失恋・失敗などを経験した人が、過去を振り返って使う言葉であり、黒歴史とはやや用途が異なる。

 ◆商品における黒歴史

 2017年には、日清食品が発売当時売れなかった3商品「サマーヌードル」「どん兵衛 だし天茶うどん」「熱帯U.F.O.」を、「黒歴史トリオ」として発売した。
 あえて黒歴史と名乗る自虐的な命名がSNSで大きな話題にはなったが、売れ行きはさっぱりであった。

 《その他の用法》

 英語での "Black history" は『∀ガンダム』とは無関係に同じ意味で使われているほか、「黒人の歴史」を意味することがある。
 そのため、英語版『∀ガンダム』では黒歴史の訳語として「Black history」ではなく「Dark history」が用いられる。
 なお、中国や韓国などの漢字文化圏では、「黒歴史」の単語がそのまま各国の言語読みで使われている。
 北海道の沿岸バスでは、開拓時代の囚人使役・タコ部屋労働や黒いダイヤと呼ばれる石炭を黒歴史となぞらえて、バスツアーを企画している。

 関連項目 ー 裏番組 ー

 裏番組(うらばんぐみ)

 ある放送局の番組と同じ時間帯に同じ地域で受信できる他局の番組。

 《概要》

 広告による収入を収益源とする放送局において、視聴率確保の観点から裏番組は「競合番組」となる。
 ある放送局で高視聴率の番組が放送されている場合、他の放送局が放送する裏番組は視聴率が低下するなどの影響を受ける。
 裏番組の状況に加え、録画やオンデマンドによる視聴の増加も視聴率に影響する。
 一方の番組を視聴しながら裏番組を録画できる機能を有するテレビやレコーダーなどの機器も発売されている。

 ▼裏被り

 芸能人が裏番組に重複して出演することを裏被り(うらかぶり)といい、同じ出演者が複数の番組に登場することで視聴率が分散してしまう恐れがあるため忌避される傾向にある。
 また、帯番組で特定の曜日にレギュラー出演している場合は他の曜日において裏番組に出演することも忌避される。
 このため、在京民放キー局5社の編成部は毎月各局同士で連絡を取り合って裏被りが発生しないように調整している。
 一方、在京民放キー局とNHKとの間では裏被りの調整はなされておらず、柄本佑が「土曜ドラマ(NHK)」『空白を満たしなさい』に主演した際、3週に渡り裏番組の日本テレビ系「土曜ドラマ(日本テレビ)」『初恋の悪魔』に出演した事例がある。
 基本的に重複出演が規制されるのは地上波の全国ネット番組同士や、同じ系列の地上波キー局の全国ネット番組とBS放送局の独自番組との間であり、重複する一方が声のみであっても規制対象となる。
 一方日本放送協会(NHK)は地上波とBSも同一法人が運営するため、地上波テレビ番組とBS番組の裏被りが対象となる。

 それらの番組の重複が避けられない場合、片方の番組から出演者を退場させるか、放送時間が同じ近接番組と枠交換させるかの何れかである。
 一方が地上波テレビのローカル番組や他系列BS・CS放送局の番組である場合は特に規制は見られないため、一部の地域で片方または両方の番組が遅れネットとなった結果、その地域だけ放送時間が重複するケースもある。
 テレビ番組とラジオ番組の重複については、ラジオ局は問題にせず、テレビ局は了解を取れば問題がないとされる。
 メッセンジャーの黒田有が関西テレビ(カンテレ)の『ちゃちゃ入れマンデー』に出演中、同時間帯にMBSラジオの番組を開始。
 MBSはカンテレとの裏被りを承知でオファーを出したが、黒田のマネージャーがカンテレの了解を取っていなかったためトラブルとなった。
 番組の重複が避けられない場合は、一方の番組がCMを放送している時間に限って出演させる、或いは該当番組が始まる直前に退席する、番組自体を第1部と第2部に区切って別番組扱いにするなどの調整が行われる。
 その他、アイドルグループ・お笑いコンビなどのメンバー同士が同一時間帯の異なる放送局にそれぞれ出演することも忌避されるが、特別番組等で裏かぶりする場合、該当する放送時間に限り該当者が退席する措置を採ることもある。
 この他にも渡辺プロダクションやジャニーズ事務所のようにかつては同じ芸能事務所に所属しているタレントであればグループ等に関係なく裏被りを規制していたケースがあったが、現在では両社ともグループ内の規制に留まっている。
 また、雑誌掲載作品がテレビドラマ化される際は、同一誌の作品が被らないよう調整されるが、週刊少年サンデーに掲載された『名探偵コナン』と『MAJOR』が同時間帯に放送された例がある。
 なお、スポーツがメインのバラエティ番組も出演者に関わらずスポーツ中継と被らないように編成されている。

 レギュラー番組を持つ芸能人がその番組の放送時間の裏の特別番組などに出演する際は、時間が重複している番組のタイトルの一部や、タイトルや出演者を想起させるフレーズが用いられることもあるが、「大人の事情」という言葉が特に使用されることが多い。
 当該番組の過去の出演者で、それらの出演者が裏番組に出演することになった場合において過去の放送回や他局も含んだ他の番組の映像素材などを使用する場合も例外ではなく、該当出演者の顔にモザイク処理するなどの措置がとられるケースもあり、過去の放送回の映像を使われていない程度であれば、当該出演者を精密な似顔絵に変更することで対処されている。
 俳優などがレギュラーのバラエティ番組の裏番組が連続ドラマの主要出演者となっている場合、1クール(3か月間)のみの短期間での出演となることから、その期間だけ休演(一時的な降板)し、期間終了後(または、特定の時間だけ休演後、終了後出演パターンもあり)復帰という事例もある。但し、NHKの朝の連続テレビ小説については、朝のワイドショーもしくは昼のワイドショーに出演する場合は、放送期間中は一時的な降板や15分だけ出演させない措置を取った。

 一方、年末年始の特別番組や、特定の芸能事務所に所属しない学者・文化人・実業家などのテレビ番組への露出が多い一般人については、裏番組と重複出演をしても放送局から寛容に扱われる場合もある。
 また、スポーツ中継や報道特別番組などの不可抗力による緊急延長や編成で、どちらか一方の番組が通常の放送時間よりも繰り下げられた結果、重複出演となってしまった場合、少なくとも一方の番組が、ニュース・情報番組などの報道目的として取り上げられたものであり、それに伴い、他の番組に出演していた時のVTR素材などが使用された場合など、出演が認められるケースもある。 裏被りの調整は番組の企画段階から行われるものの、様々な事情でスケジュールの調整が付かず、結果放送時に重複出演となってしまった例がある。
 一例では2006年(平成18年)1月3日、午後9時からNHK総合テレビで『新選組!! 土方歳三 最期の一日』、午後9時30分からフジテレビで『古畑任三郎ファイナル』が放送された。
 両番組は脚本は三谷幸喜が担当しており、さらに藤原竜也と石坂浩二の両名が出演しているという前代未聞の事態が発生した。
 放送前にこのことに気づいた両局が調整を試みたがうまくいかず、結局そのまま放送された。
 この件についてはフジテレビ側が「調整が間に合わなかった」と謝罪することとなった。
 なお、三谷も朝日新聞に連載する「ありふれた生活」において放送前にこのことを告知したうえで、「自分の作品同士で視聴率を取り合うというのは、作者としてとても哀しい。
 作品はどれも苦労して育てたわが子みたいなもの。争って欲しくはない。一皿のカレーライスを前に、長男と次男が大喧嘩しているのを、黙って見ているしかない父親のような気持ちだ。
 というわけでその日、僕は九時まで細木数子さんを見て、それから犬の散歩に出ます」として両番組とも視聴しないことを予告した。
 なお、視聴率は『新選組』が9.8%、『古畑』が21.5%であった。

 更には、改変期の放送時間変更に伴い、ある芸能人がレギュラー出演していた番組Aの変更後の放送時間が、その芸能人が元々レギュラー出演している番組Bと同時刻になったために、番組AまたはBのレギュラー出演そのものを降板するケースも度々発生している。
 また、複数の放送局が共同で企画・製作した番組の場合、同じ内容の番組が同時刻に放送されることを前提としているため、必然的に当該番組の出演者の裏被りが起きるといった例外も存在する。

   (ウィキペディアより引用〕



research notes ♯02頁 大人の事情 ①

2023-11-08 21:00:00 | 自由研究

 ■大人の事情(都合) ①

 大人の事情(おとなのじじょう)

 何かを説明したり釈明したりしなければならないような状況で、詳らかにすることが憚られるような事情がある場合に、具体的な説明を避ける場合に用いる表現。
 大人の都合(おとなのつごう)などともいう。
 初出は定かではないが、特に他社間の利害関係(版権や商標が絡む内容)によって名前が出せない場合や、宗教などのタブー、不祥事などの事情で理由を公開できない場合のほか、単に事なかれ主義で(単語のみならず事実上として)使用されることが多く、マスメディア業界でも見受けられる表現である。

 中国語圏の台湾で同種の言葉が用いられている新聞記事も存在する。

 関連項目 ー 偽善 ー

 偽善(ぎぜん、英: hypocrisy)

 特に宗教や道徳的信念に関し、真の性格・性向を隠す一方で、美徳または善といった見せかけの外観をつくることを言う。
 したがって、一般的な意味において偽善には「心や行いが正しいように見せかけること」、「見せかけの善行」の意味を持ち、または「まやかし」の意味が含まれることがある。
 偽善的な行動とは、他を批判するのと同じ行動を自らも行っていることを指す。
 道徳心理学においては、自ら表明する道徳的な規則や原則に従わないことを指している。

 ケンブリッジ大学の政治哲学者、デイビッド・ランシマン(1967〜)は、「他にも偽善的な欺瞞には、自分には欠けている知恵を持っているという主張、一貫していると主張しながらの言行不一致、持ってもいない忠誠心の表明、アイデンティティの偽装」があるとし、アメリカのマイケル・ガーソン(1964〜)元ジョージ・W・ブッシュの元スピーチライター、現ワシントン・ポストの政治コラムニストは、政治的偽善とは「意識的に仮面マスクを使用して国民をだまし、自らの政治的利益を得ること」としている。
  偽善は、人類の歴史の初めから伝承と文学の主題となってきた。
 1980年代以降は、経済学、認知科学、倫理学、政治社会学や各種心理学といった分野の中心的主題ともなっている。

 《語源》

 偽善(hypocrisy)という単語はギリシャ語の ὑπόκρισις(hypokrisis )から来ており、原意は「演じる」であり、そこから「本心で無い感情を持っているふりをする」へと意味が変化してきた。
 イエスはこの言葉を倫理的に悪い態度とみなし「嫉妬」、「演技」、「行動化」、「臆病者」、「虚勢」を意味するようになった。

 偽善者(hypocrite)は、ギリシャ語のὑποκριτής(hypokritēs)から派生し、ὑποκρίνομαι(hypokrinomaiκρίση 「判断する」> κριτική(kritikē)「評論家」)となった。
 これは俳優による劇のパフォーマンスにはある程度の解釈または評価が含まれるためとされる。

 また、この単語(Hypocrisy)は「~下の」を意味するギリシャ語の接頭辞「hypo-」 と、動詞「krinein」(「取捨選択、決定する」を意味する)が合成したものである。
 したがって、元々の意味は、取捨選択するか決定する能力の欠如を意味していた。
 この欠如は、自分自身の信念や感情に関係しているので、その言葉の現代的な意味を表すものとなっている。

 《語源》

 偽善(hypocrisy)という単語はギリシャ語の ὑπόκρισις(hypokrisis )から来ており、原意は「演じる」であり、そこから「本心で無い感情を持っているふりをする」へと意味が変化してきた。
 イエスはこの言葉を倫理的に悪い態度とみなし「嫉妬」、「演技」、「行動化」、「臆病者」、「虚勢」を意味するようになった。
 偽善者(hypocrite)は、ギリシャ語のὑποκριτής(hypokritēs)から派生し、ὑποκρίνομαι(hypokrinomaiκρίση 「判断する」> κριτική(kritikē)「評論家」)となった。
 これは俳優による劇のパフォーマンスにはある程度の解釈または評価が含まれるためとされる。

 また、この単語(Hypocrisy)は「~下の」を意味するギリシャ語の接頭辞「hypo-」 と、動詞「krinein」(「取捨選択、決定する」を意味する)が合成したものである。
 したがって、元々の意味は、取捨選択するか決定する能力の欠如を意味していた。
 この欠如は、自分自身の信念や感情に関係しているので、その言葉の現代的な意味を表すものとなっている。
 本来は、hypokrisis はあらゆる種類の公演に適用される言葉で、hypokritēs の方は舞台俳優のための専門用語であった。
 ただ、後者の呼称は公人にとってあまり適切なものとはされていなかった。
 たとえば、紀元前4世紀のアテネで、かの演説家デモステネスは、ライバルで政治に入る前は成功した俳優だったアイスキネスを「偽善者(hypocrite)」とし、彼の舞台上で他人を演じる演技力があるので信頼できない政治家だ、と嘲笑した。
 偽善者に対するこの否定的な見方は、おそらく俳優に対するローマの軽蔑と組み合わさって、もともと中立的なhypokrisisの意味に影を落とした。
 現代の言葉「偽善」(hypocrisy)にその否定的な含意を与えるのは、後年になって偽造ペルソナとしての意味が出来てからである。

 《歴史》

 アメリカの歴史家マーティン・ジェイの『The Lind in Politics』(2012年)は、何世紀にも渡って作家が偽善、欺瞞、お世辞、嘘つき、詐欺、中傷、偽装、他人の栄光の上で生きること、偽装、慣習的隠蔽、不誠実芸をどのように扱ってきたかを詳細に検討し、彼は、政治にはそれなりの価値があると考えてはいるが、政治は不可避的に嘘と偽善に関連するので嘘もそこまでの悪徳ではないのだろうと結論付けている。

 ▼イギリス

 偽善は、18世紀初頭のイギリスの政治史における主要なトピックとなった。
 当時、非国教徒は(1689年の寛容法は一定の権利を認めていたが)公職排斥で公職に就くことが出来なかった。
 そのため職務を欲しがっていた非国教徒は、制限を避けるために、年に一度イングランド国教会の聖餐を受け国教徒の証明を得た。
 この、いわゆる臨時の「便宜的適合性取得」に対し高等教会の公使は激怒し、1711年に「便宜的国教徒禁止法案」で違法とした。
 政治的な論争で、対立する両方が、お互いを、不誠実で偽善的であるとして相手方を攻撃した。
 この過激なキャンペーンは、1709年にピークに達し、1719年にホイッグス党が政権に復帰したときに「便宜的な適合性取得」は再び可能になった。
 イギリスの作家バーナード・デ・マンデヴィル (1670-1733)は、その代表作 『Fable of the Bees』 (1714)で、現代ヨーロッパ社会における偽善の本質を探った。
 18世紀の悟りにおいては、偽善の議論はヴォルテール、ルソー、そしてモンターニュの作品に共通するものとなっている。
 1750年から1850年にかけて、イングランドのホイッグ貴族たちは一般の人々に対する彼らの特別な慈悲を自慢していた。
 彼らは、ヨーロッパ中で政情不安定と革命を引き起こした民衆の不満の発生を防ぐための改革イニシアチブを導き、カウンセリングを施しているのだと主張した。
 しかし、トリーと過激派の批評家たちは、彼らの貴重な貴族の独占権を守りながら、改革と民主主義のスローガンを用いながら、それを用いて自らの権力の座を取ろうとしているだけである、とホイッグスの偽善を非難した。

 ▼アメリカ

 第二次世界大戦のプロパガンダ戦で、日本はアメリカにおける日系人収容所の不公正さを強調し、アメリカの偽善を攻撃した。
 ラジオ東京は、収容所が民主主義の理想と公正なプレーに対すアメリカの主張は偽善的であると強調した。
 このプロパガンダには、アメリカ合衆国建国の父達、中立的な情報源、そしてアメリカの主要新聞からの反対意見をも引用していた。
 ラジオ東京は架空の情報源も利用していた。
 そして、報復でアメリカ人捕虜達を同様に扱うと脅し、日本の道徳的優位性を主張した。

 《道徳的および宗教的規範》

 ※多くの宗教的信念体系では偽善を断罪している。

 ヨブ記の一部の翻訳では、ヘブライ語のchanephという単語は「偽善者」として表現されており、通常は「無神論者(キリスト教文化圏では元来「道徳が無い人」のようにネガティブな印象がある)」または「冒涜的」を意味する。
 イエスはファリサイ派とパリサイ人を「パリサイ人の苦悩」として知られている箇所で偽善者として非難している。
 また、マタイによる福音書第7章5節で、偽善者をより一般的な言葉で非難している。
 16世紀においては、ジョン・カルバンはニコデミテス(Nicodemite)に対して批判的だった。
 仏教では、禁欲的な態度を見せながらも欲に溢れる事として、釈迦の説法や法句経(ダンマパダ)といった教典などにおいて説かれている。
 イスラム教では、偽善は深刻な病気である。
 クルアーンには、信者や平和主義者であると主張しつつ、神や他の人々をだまそうとしても、実は自分たちをだましているだけ、とされている。

 《心理学》

 偽善は心理学者にとって長い間関心の的であった。

 ▼カール・ユング

 スイスではカール・ユング (1875年 - 1961年)は偽善を自らの"影"の面(ユング心理学でいう「陰」)に気づいていない人々のこととし、次のように書いている。
 すべての人は革命、内分裂、既存の秩序の転覆、そして刷新を必要とするが、キリスト教的愛や社会的責任といった偽善的なマントを被ったものの前提で強制されるものでも、またはその他すべての美しい言葉の言い換えを使って人の無意識下に訴えて、利己心に基づいて他人に対して押し付けることによってなされるものではない。

 《社会心理学》

 社会心理学者は一般的に偽善を態度や行動の不一致の具体化として見ている。 
 したがって、多くの社会心理学者は、個人の偽善的思考と行動への嫌悪感を説明する際の、不協和の役割に焦点を当ててきた。
 あるいは、社会心理学者の中には、偽善者は自らの道徳的な善について誤ったシグナルを発するので、人は偽善を否定的に見ているのだとしている。

 《哲学》

 偽善は、少なくともマキャヴェリ以来、哲学者にとって興味深いトピックとなってきた。
 偽善によって提起された哲学的問題は、形而上学的/概念的と倫理的な問題に分けられる。
 偽善は道徳的に間違っているのか「悪い」のか。特定の分野では意味があるのか、また特に政治では必要悪なのか、といったことである。
 例えば、ある人が何らかの非道徳的行いをし、それに対し非難された場合、相手が偽善的であるという理由で異議を申し立てることが出来るようである。
 典型的な表現は、「あなたには私を責める権利はありません」というフレーズ。
 したがって、一部の哲学者は、他人を非難する地位または権利を得るためには、自分は偽善的であってはならないのだと主張する。
 この立場は偽善と公正の関係に焦点を当てるものである。
 そもそも偽善者とは何か。この本質について哲学的議論がなされ、初期の頃は、その欺瞞的、矛盾する性質に焦点を当てる傾向があった。
 哲学者エヴァ・キテイ(英語版)は、偽善者の基本的な属性は「自己参照型欺瞞」であるとした。
 ギルバート・ライルは、偽善的な行為とは「自分の本当の動機以外の動機によって動機づけられている」こととした。
 対照的に、Dan Turner は、人の態度の「内部的対立または不均衡」として欺瞞があるかどうかは別とした。

 《利点》

 偽善には多くのマイナス面もあるが、利点ともなりうる場合がある。
 先のマイケル・ガーソン(英語版)は、「政治や外交交渉にはしばしば偽善的な詐欺があり、大抵原理原則から始めて『交渉不可能』としたものを交渉し譲歩点を探る」と述べ、次のように語っている。
 偽善は避けられないと同時に必要なものである。
 もし人々が常に誠実、忠誠、思いやりと言った理想に従うことを要求されるとしたら、理想というものが存在し得えない。
 道徳的な人であるとは、誰しもが苦闘しながら繰り返し失敗し、その度に偽善者になるということなのです。
 公正で平和な社会とは、結局の所、自分らは理想を裏切りつつも理想を捨てない偽善者に依存しているのです。

 《日本における概念》

 偽善(ぎぜん)とは、善良であると偽ることをいう。

 また、これを行う者は偽善者とよばれる。

 精神的な偽善は、外面では善い行為に見えても、それが本心や良心からではない心理状態を指し、行為としての偽善は、隠れて悪事を行う為に善行を装う事である。

 偽善を為す要因に、虚栄心や利己心があり、前者は名誉欲や愛情欲が原因で後者は権勢欲や金銭欲である。

 行為としての偽善と精神的な偽善は、別と考えて、精神的な偽善が行為としての偽善に繋がるかどうかを判断する者と、精神論で一括りに偽善を否定する者というように、偽善に対する認識は、善悪をどう認識するかで変るために一様ではない。

 精神的な偽善には、腹黒いやゴマすりや食わせ物という表現もある。

 また、和英辞書では、利己心による偽善者である偽君子(snob)も hypocrite とされている場合がある。

 《日本語における用法》

 日本語における偽善の意味として、「善を掲げつつ、その善行を行わない」という上記英語のhypocrisyの訳語のほかに、「ある善行が“真の善”ではない」という用法がある。
 例えばある人がアフリカにおける児童の貧困を望ましくないと主張し、お金を寄付したとする。
 この場合、主張と行為が一致しており、英語における“hypocrisy”には当たらないが日本語における偽善に当てはまる可能性がある。
 その根拠として以下の点が挙げられる。

 1.動機の不純さ ある善行の背景に“善意”以外の要素がある場合、その行為は真の善ではないとするもの。
 その要素としては「自己満足」、他者によく見られたいという「虚栄・利己心」がよく指摘される。

 2.行為の欠点 1.以外にも「お金を寄付したとしてもそれで助かるのは一時的なことであり、根本的な貧困問題を解決していない。」という主張や「寄付や援助で支援される子供は全体の一部であり、不公平が生じる。」など行為そのものに欠点が存在するため、そのような善行は偽であるとするもの。

 また、たとえある行為が上記の意味で偽善であるにしてもそれを評価するかどうかには様々な意見がある(やらない善よりやる偽善)。

 《日本における心理表象にみる偽善》

 まず、自分の事を「偽善者」だと思う人は、外面的には自分を善と見せかけていても、実は内面的に悪であると知っている。
 したがって「偽善」とは、自己の悪の自覚を含む主観であり、自己の善性に対する懐疑から深い思索を生み出す事もある。
 逆から言えば、自己の善性に対する懐疑のない「善」は、時には「偽善」となってしまうことも、仕方が無いと言える。
 一方、自己ではなく他者を「偽善者」と非難する人もいる。外面的には善と見せかけているが、その他者の内面の悪を見抜いてしまっていると言う場合と、善行に対する思慮の浅さを指摘する場合がある。
 前者の場合、他者の内面というのは外から簡単に分かるものではないから、その他者の中に悪を推定するだけで、善行に対して猜疑心を向けているに過ぎない。
 後者の場合、善行自体があまりよい結果を生み出さなかったことを指摘していることがあり、そうした場合は謙虚に受け止め、思慮の浅さを反省すべきである。
 別の可能性として、内面的な事柄を度外視しても「偽善」が指摘されうる事もある。
 つまり、目立つところでは善い事を言ったり行ったりしていても、目立たないところでは悪事を行い、表面上の善を無にして余りあるような害悪をばらまいているような場合である。
 こうした時には表面上の善はいわゆる「きれいごと」であり、むしろ社会的に善行として評価されることなどによる自己利益が企図されていることもある。
 このとき「偽善者」という批判は、隠蔽された悪事を暴露して問題の本質を明らかにする。

 ところが、こうした「きれいごと」を非難する声の中には、実質的な悪への関心が見られない事も稀ではない。
 人に先駆けて行う事を臆するあまり、結局は何も出来ないでいる者たちが、目立った行いをする者を「偽善者」だと嘲笑する(似非ニヒリズム)。ボランティア活動などは常にこうした困難に直面するが、「偽善」への深い思索に裏打ちされ、常に自分の行為の及ぼす影響に留意してなされる継続的な行為は、たんなる主観的な善悪の次元を超越したものになりうる。

   〔ウィキペディアより引用〕



世界の女傑たち Vol.007

2023-11-02 21:00:00 | 自由研究

 ■マザー・テレサ

 マザー・テレサ(Mother Teresa)  
 (1910年8月26日〜1997年9月5日)、あるいはコルカタの聖テレサ(Saint Teresa of Calcutta)

 カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者。
 またカトリック教会の聖人である。
 本名はアルーマニア語でアグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジ(Agnesa/Antigona Gongea Boiagi)、アルバニア語でアニェゼ/アグネス・ゴンジャ・ボヤジウ(Anjezë/Agnès Gonxha Bojaxhiu)。

 「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は彼女の敬愛したリジューのテレーズにちなんだ修道名である。
 コルカタ(カルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広められている。
 生前からその活動は高く評価され、1973年のテンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラト・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)、1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けた。
 1996年にはアメリカ合衆国史上5人目の名誉市民に選ばれている。
 ただし、生前からの批判も多い。
 その批判については、この項目の「批判」あるいは、マザー・テレサに対する批判を後述することにする。

 《生涯》

 ▼生い立ち

 マザー・テレサことアグネス・ゴンジャ・ボヤジュは1910年8月26日、コソボ州・ユスキュプ(今の北マケドニア共和国・スコピエ)に生まれた。
 翌27日は彼女が幼児洗礼を受けたキリスト教徒としての誕生日である。
 母のドラナ(Drana)はアルバニア人であったが、父のニコ(Nikollë)はルーマニア人と同系の少数民族・アルーマニア人であった。
 父は地元の名士であり手広く事業を営む実業家で、アルバニア独立運動の闘士でもあったが、1919年に45歳で急死した(政敵による毒殺説もある)。
 彼女は3人きょうだいの末っ子で、6歳年上の姉と3歳年上の兄がいた。
 姉や兄からは「ゴンジャ」(アルバニア語で「花のつぼみ」「小さな花」の意)と呼ばれていた。
 両親はマケドニア地方に住むカトリック教徒であったが、アルバニア人にはイスラム教徒が多く、マケドニア地方には正教徒が多かったことを考えると珍しい家族であった。
 一家は裕福であったが父母は信仰心に篤く、貧しい人への施しを積極的に行っていた。
 アグネスの幼少時代についての記録はほとんどないが、小さいころから聡明な子で、12歳のときには、将来インドで修道女として働きたいという望みを持っていたといわれる。

 ▼カルカッタの修道女

 18歳のとき、聖座の許可を得たアグネスは故郷のスコピエを離れ、アイルランドでロレト修道女会に入った。
 ロレト修道女会は女子教育に力を入れている修道会であった。
 アグネスはダブリンで基礎教育を受けると修練女として1931年にインドのダージリンに赴いた。
 初誓願のときに選んだ修道名がテレサであった。
 この名前はリジューのテレーズから取られている。
 1937年に終生誓願を宣立し、以後シスター・テレサとよばれることになった。
 1929年から1947年までテレサはカルカッタ(現在のコルカタ)の聖マリア学院で、地理と歴史を教えていた。
 彼女は子どものころから地理が好きで、また、ユーモラスな彼女の授業は学院の女学生たちの間で大変人気があったという。
 1944年には校長に任命されている。
 上流階級の子女の教育にあたりながら、テレサの目にはいつもカルカッタの貧しい人々の姿が映っていた。
 彼女自身の言葉によると1946年の9月、年に一度の黙想を行うため、ダージリンに向かう汽車に乗っていた際に「すべてを捨て、もっとも貧しい人の間で働くように」という啓示を受けたという。
 彼女は修道院を離れて活動を行う許可を求めたが、バチカンの修道会管轄庁などカトリック教会の上層部は慎重に評価を行おうとし、すぐには彼女の活動に対する認可を与えなかった。
 それでもテレサは自分の信じる道を進もうと決意していた。
 1948年、ようやく教皇ピウス12世からの修道院外居住の特別許可が得られた。
 テレサは修道院を出て、カルカッタのスラム街の中へ入っていった。
 彼女はインド女性の着る質素なサリーを身にまとい、手始めに学校に行けないホームレスの子供たちを集めて街頭での無料授業を行うようになった。
 やがて彼女のもとに聖マリア学院時代の教え子たちがボランティアとして集まり始め、教会や地域の名士たちからの寄付が寄せられるようになる。

 ▼神の愛の宣教者会の創立

 「神の愛の宣教者会」は、1950年10月7日に教皇庁(ローマ教皇庁)によって認可を受け創立され、1965年2月1日には教皇庁立の修道会の認可を受ける。
 テレサによれば、同会の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」ことであった。
 テレサは修道会のリーダーとして「マザー」と呼ばれるようになる。
 インド政府の協力でヒンズー教の廃寺院を譲り受けたテレサは「死を待つ人々の家」というホスピスを開設した。
 以降、ホスピスや児童養護施設を開設していく。
 活動の初期のころは、地元住民たちはホスピスに所属している者をキリスト教に改宗させようとしているという疑念を抱いていた。
 しかし、彼女たちはケアする相手の宗教を尊重する姿勢を貫き、亡くなった者に対してはその者の宗教で看取っていた(ヒンズー教徒にはガンジス川の水を口に含ませてやり、イスラム教徒にはクルアーンを読んで聞かせた)。
 ケアする相手の状態や宗派を問わないテレサたちの活動は世界から関心を持たれ、多くの援助が集まった。
 1960年代までに「神の愛の宣教者会」の活動はインド全土に及ぶようになった。
 さらに1965年以降、教皇パウロ6世の許可によってインド国外での活動が可能になった。インド以外で初めて宣教女が派遣されたのは南米ベネズエラのココロテ市であった。
 以後、修道会は全世界規模で貧しい人々のために活躍するようになった。

 テレサの活動はカトリック教会全体に刺激を与え、男子修道会「神の愛の宣教者修道士会」(1963年)、「神の愛の宣教者信徒会」などが次々に設立されていった。
 1969年、マルコム・マッグリッジによるBBCのTVドキュメンタリー映画『すばらしいことを神様のために(Something Beautiful for God)』および同名の書籍によって、テレサの活動はイギリスのみならず全世界で知られるようになった。 
 この作品の取材をする中でマッグリッジはテレサの姿に強い感銘を受け、のちにカトリック教徒になっている。
 1971年、教皇パウロ6世は、自らが制定した勲章「ヨハネ23世教皇平和賞」の最初の受章者としてテレサを選んだ。これを皮切りに多くの賞がテレサに与えられることになる。ケネディ賞(1971年)、アルベルト・シュバイツアー賞(1975年)、アメリカ合衆国大統領自由勲章(1985年)、アメリカ合衆国名誉市民(1996年)、議会名誉黄金勲章(1997年)、これらに加えて数多くの大学の名誉学位を受けた。
 アメリカ合衆国名誉市民としては5人目(存命中はチャーチルに次いで2人目)、またアメリカやその同盟国の政治家・軍人以外としては初めての授与である。
 こういった賞の中でもっとも有名なものは、もちろん1979年に受けたノーベル平和賞であろう。
 テレサは授賞式の際にも特別な正装はせず、普段と同じく白い木綿のサリーと革製のサンダルという粗末な身なりで出席した。
 賞金19万2,000ドルはすべてカルカッタの貧しい人々のために使われることになった上、授賞式の場においては「私のための晩餐会は不要です。
 その費用はどうか貧しい人々のためにお使い下さい」とも要望した。
 賞金を受け取ったとき「このお金でいくつのパンが買えますか」と言ったという。インタビューの中で「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか」と尋ねられたテレサの答えはシンプルなものであった。
 「家に帰って家族を愛してあげてください」。
 1982年にはテレサはイスラエルとパレスティナの高官にかけあって武力衝突を一時休止させ、戦火の中で身動きがとれなくなっていたベイルートの病院の患者たちを救出している。

 ▼晩年と死

 1983年、高齢のテレサは当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世との会見のために訪れたローマで心臓発作に見舞われた。1989年にはペースメーカーをつけた。1990年、テレサは健康状態を理由に総長の辞任を申し出たが、会員たちの強い希望により再び総長に選出される。
 1991年、優れない健康状態を押して故郷アルバニアに最初の支部を設立している。これはテレサの念願であった。
 1993年5月、テレサは転倒して首の骨にひびが入り、8月にはマラリアに罹患した。9月にはカルカッタで心臓病の手術を受けた。
 1997年3月、体力の限界を感じ総長職を辞任。
 1997年9月5日、世界が見守る中、テレサはカルカッタのマザー・ハウスにて逝去。
 満87歳没。 テレサが亡くなった1997年には「神の愛の宣教者会」のメンバーは4,000人を数え、123か国・610か所で活動を行っていた。
 活動内容はホスピス、HIV患者のための家、ハンセン病者のための施設(平和の村)、炊き出し施設、児童養護施設、学校などである。
 宗派を問わずにすべての貧しい人のために働いたテレサの葬儀は、1997年9月13日にインド政府によって国葬として荘厳に行われた。
 その葬儀には各宗教の代表者が参列し、宗教の枠を超えて尊敬されたことを象徴するものとなった。
 マザーの棺は陸軍兵によって砲車に乗せられ、国葬会場まで行進した。
 独立の父マハトマ・ガンジー、初代ネール首相につづき、マザー・テレサは3人目であった。
 遺体はテレサの遺言どおり「神の愛の宣教者会」本部に葬られた。
 彼女の死は国家的な損失であるとインドの人々は嘆き、世界の人々も彼女の偉大な働きを思って追悼した。
 インドの政治指導者や首相以外で国葬されたのは彼女と2011年4月に死去したサティヤ・サイ・ババのみである。

 ▼列福までの道のり

 1997年、テレサの死後すみやかに列福・列聖調査がはじめられた。通常は死後5年を経ないと始めることはできない規定だが、テレサの場合は生前から聖女の誉れが高かったことと、彼女の業績を極めて高く評価していたヨハネ・パウロ2世が前倒しを強く求めたため、例外的に5年を待たずに始められたのである(この例外は、2005年4月に逝去した当時の教皇ヨハネ・パウロ2世自身にも適用された)。
 マザーの列福のために報告され、後日、奇跡として認められた事例に、非カトリックのインド人女性モニカ・ベスラの治癒がある。
 1998年、モニカは34歳の時、腹部の腫瘍を患い病んでいた。
 すぐに手術しなくてはならない危険な状態であったが、ひどい貧血症も患っていたために手術は不可能であった。
 彼女はマザー・テレサの死去した翌年の9月6日に、神の愛の宣教者会が経営する「死に行く人のための家」の礼拝堂に赴いた。
 「礼拝堂に入ると、マザー・テレサの写真が目に入り、あたかも一条の光が私に向って飛び出してくるように感じました。
 シスターが私のためにお祈りをしてくれて、私は眠りにつきました。
 朝、目覚めると、腫瘍が消えていたのです。」とモニカは語っている。
 その突然の完全な治癒は医師たちを驚かせ、その後にその医師たちは自分たちの診断が間違っていなかった事を示すためのあらゆる必要な証拠を提出した。
 治癒のあとで、腫瘍を検査するためにした小さな外科手術の跡さえも見つからなかった。
 立ち会った医師は「これは私の医師としての人生で出会ったもっともすばらしい経験の一つです」と言う。
 西ベンガル州シリグリのR.N .Bhattacharya医師は、腫瘍は7か月の胎児と同じ大きさだったと証言する。
 列福のための正式な手続きは、2001年の8月にカルカッタ(現・コルカタ)司教区の特別委員会が報告書を取りまとめ、ローマ教皇庁列聖省に提出している。
 この報告書は重病や貧困に苦しむ人々に対するマザーの献身的活動や、列福に値することを示すため、マザーに対するとりなしの祈りによる奇跡的行為なども盛り込まれており、ページ数は35,000ページにも及ぶ。

 列福・列聖には通常、対象者の死後数十年かかるが、マザーの献身的活動が生前から世界中の尊敬を集めてきたことなどにより、1999年、ヨハネ・パウロ2世は手続きを早める特例を認めた。
 2003年10月19日、ヨハネ・パウロ2世はテレサを列福し、福者であると宣言した。
 通常は本人の死後、福者の認定を受けるまで少なくとも数十年の審査が必要とされている現状を考えれば、死後6年での列福というのは異例の早さであった。

 ▼列聖への道のり

 2015年12月17日、ローマ教皇庁はフランシスコがテレサの二度目の奇跡を承認したと発表した。
 2008年、脳腫瘍を患い危篤状態だったブラジル人男性がテレサのとりなしによって回復された事例が奇跡と認定された。
 2016年9月4日、フランシスコはテレサを列聖し、「聖人である」と宣言した。
 この日はテレサの死後、満19年目を迎える前日であった。

 《マザー・テレサに対する批判》

 マザー・テレサに対する批判(マザー・テレサにたいするひはん)では、カトリック教会の修道女であり伝道師であったマザー・テレサに対する批判。

 マザー・テレサは45年以上の長きにわたり、貧しい人、病める人、孤児、末期の人たちのために尽くしてきただけでなく、インドから世界中に広がった彼女の信徒たちを導いてきた。
 1979年にはノーベル平和賞を受賞し、1997年に亡くなると、ヨハネ・パウロ2世がテレサを列福し、2016年9月にフランシスコによって列聖されて聖人となり、彼女の命日である9月5日は祝日となった。
 世界中の人々から讃えられ、各国の政府や組織から称賛を受けたマザー・テレサだが、彼女に対しては生前から批判や告発、抗議の声も少なくなかった。
 その矛先は例えば彼女の修道会の資金管理であり、末期の人への洗礼の奨励や医療ケアのクオリティ、そして植民地主義やレイシズムのアイコンとなっていることであった。

 テレサの施設「死を待つ人々の家」の医療水準の低さ、用途不明の資金、問題人物との交際などマザー・テレサの人格を疑問視する声は多い。
 イギリス人ジャーナリストのクリストファー・ヒッチェンズは1995年に『宣教師の立場』を刊行し、その中でマザー・テレサをきわめて否定的に扱った。
 またリチャード・ドーキンスは『神は妄想である』の中で、『宣教師の立場』の題を挙げてマザー・テレサを「彼女は聖人ではない」と批判した。
 インド出身のアソシエイトエディター、クリティカ・ヴァラグールは2016年4月に『ハフィントン・ポスト』アメリカ版でマザー・テレサを批判した。
 「『特別で優秀な白人が有色人種を助けるのだ』というイメージをインド人や西洋人に植えつけた」と主張し、「マザー・テレサの崇高なイメージは、脆弱化したカトリック教会によって行われたメディア・キャンペーンの結果である」と述べている。

 関連項目 ー 国際連合児童基金 ー

 国際連合児童基金(こくさいれんごうじどうききん)
 (英: United Nations Children's Fund)

 1946年12月11日に設立された国際連合総会の補助機関。


 当初は、国際連合国際児童緊急基金(こくさいれんごうこくさいじどうきんきゅうききん、英: United Nations International Children's Emergency Fund)と称して戦後の緊急援助のうち子供を主に対象とした活動であった。
 略称は UNICEF(ユニセフ)。
 1949年から1964年にかけて、主に脱脂粉乳や医薬品、原綿などの援助を受けた当時は日本も主要な被援助国の一つであった。
 緊急援助が行き渡るのにしたがって、次第に活動範囲を広げて1953年に正式名称が現在のものに変更された(略称はUNICEFのまま)。
 開発途上国・戦争や内戦で被害を受けている国の子供の支援を活動の中心としている他、「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」の普及活動にも努めている。
 かつては、物資の援助中心の活動であったUNICEFであるが、生活の自立がなければ無限に援助しても状況は変わらないとの発想の元、親に対する栄養知識の普及などの啓発活動にも力を入れている。

 《ユニセフの組織》

 UNICEFは、支部に相当する「事務所(UNICEF offices)」、すなわち途上国に存在して実際の支援に当たる「現地事務所(Field Offices)」と、世界の7つの地域(広域、リージョン)に存在する「地域事務所(Regional Offices)」、これらを統括する「本部(headquarters)」、そして先進国に存在してUNICEF本体を支える「国内委員会(National Committees)」とで構成されている。

 ▼本部

 執行理事会は36ヶ国の政府代表で構成される。
 委員は国連の経済社会理事会で選出され、任期は3年。
 主な業務は次のとおり。 基本方針、援助計画、予算の審議及び承認。
 なお、ユニセフの実質的な本部機能はニューヨークにあるが、現地政府・現地事務所・現地の国内委員会とも交渉する必要性から、以下の組織はあくまでニューヨーク本部と同じ、ユニセフ「本部」とされている。

 ▼ユニセフ本部(ニューヨーク)

 ニューヨークに存在する。
 ユニセフの本部機能を持ち、主な業務は次のとおり。

 ・基本方針、開発戦略、各援助事業方針の作成

 ・現地事務所との連絡及び調整。

 ▼ユニセフ・ヨーロッパ事務所

 ジュネーヴに存在する。
 主な業務は次のとおり。

 ・ヨーロッパ各国の国内委員会との接渉。

 ▼ユニセフ物資供給センター

 所在地はコペンハーゲン。
 正式には United Nations Procurement and Assembly Center(UNIPAC)という。
 主な業務は物資の買い付け・保管・発送業務等である。
 車両等の大型機材や食料などのほか、ワクチン等医療用品の大型保冷施設を持つ。

 ▼イノチェンティ研究所

 フィレンツェに存在する。
 ユニセフの情報センター的役割を担う。
 主な業務は次のとおり、世界の子どもの状況把握。

 ▼ユニセフ東京事務所

 東京都渋谷区にあるUNハウス内にある。

 日本ユニセフ協会とは「UNICEF in JAPAN」としてFacebookやTwitterなど協力関係が大きいが、別の組織である。
 ユニセフ東京事務所 「日本・韓国」兼任代表の執務室が置かれている。
 主な業務は日本政府と韓国政府からの資金調達だが、その他には次のとおり。

 ・「子どもの権利条約」、「ミレニアム開発目標」、「ユニセフ中期戦略計画(2006-2009)」を枠組みとした、感染症対策・母と子の保健改善・教育・社会開発など分野での日本のODAとユニセフの連携促進。

 ・研究機関、学術団体、NGOとのパートナーシップ強化とプロジェクト支援。

 ・セミナーやワークショップなどの啓発活動。

 ・超党派の国会議員で構成されるユニセフ議員連盟のアドボカシー活動への協力。

 ・日本と韓国の政府間及び日本ユニセフと韓国ユニセフとの中継ぎ。

 ・民間からの募金については、ユニセフ東京事務所ではなく、日本ユニセフ協会で受け付けている旨を紹介。

 ▼地域事務所

 世界7つの地域に存在し、管轄地域にあるユニセフ現地事務所の業務を支えている。

 ▼ユニセフ現地事務所

 155の国と地域に存在する。
 国際職員と国内職員で構成される。
 主な業務は次のとおり。

 ・現地状況を調査する。
 ・国、地域別の援助計画・予算の立案。
 ・援助計画の実施・モニタリング・評価。

 ▼ユニセフ国内委員会

 先進国では、現地の子どもたちを支援するための、現地支部としての事務所は設置されない。
 その代わりに、上述のヨーロッパ事務所や東京事務所など、現地の政府からの支援を募ったり、今後の計画を決めるための事務所がユニセフ本部としていくつか設置されているほかに、現地の民間人からの支援を募る「ユニセフ国内委員会」が民間団体(NGO)として各国に設置されている。
 ユニセフ国内委員会は「ユニセフ(国際連合児童基金)」の組織の一部とされているが、あくまで国連機関であるUNICEF本体とは協力協定を結んでいるだけで、全く別の民間団体(NGO)として、各国内で取りまとめた支援をUNICEF本体に送ったりする活動を通じて、途上国におけるUNICEF本体の活動を支えているのが、UNICEFの組織の特徴である。

     〔ウィキペディアより引用〕



research notes ♯01頁 ブラック企業の定義③

2023-10-29 21:00:00 | 自由研究

 「もし自分がブラック企業で働くことになってしまったら…」③

 ★退職しない・様子を見る

 ・責任あるポジションのため将来的なキャリアや経歴を考えると辞められない。
(男性 45才~49才 小売業 人員管理)

 ・上司との関係を改善すれば、少しは働きやすくなる可能性もあるため。
(男性 25才~29才 保険業 経営企画)

 ・仮に退職しても転職先の選択肢や条件が限られていると思い、退職を踏みとどまっています。
(女性 35才~39才 福祉 総務・広報)

 退職をしないという人の中には、「状況を確認したい」「改善する可能性が残されている」という理由で、今の職場に踏みとどまるという声が見られました。

 その他にも「自分の能力の足りなさも原因と感じているため」「この会社でしか得られないやりがいもあるから」と、自分に責任があると考えたり、辛い状況でも仕事の内容や責任感、成長の機会などからやりがいを見出している人もいました。

 しかしながら、様子を見ている間に心身ともに健康な状態が損なわれることは避けるべきです。
 退職せずに残るという選択肢を取った場合でも、具体的なタイムフレームを設定し、その期間の間に改善の兆しを見極めるようにしましょう。

 ★労働基準監督署に通報する

 ・長時間労働と残業代未払いが続き、心身ともに疲弊していました。
 労働基準に違反している企業のあり方を是正したくて相談しました。
(男性 30才~34才 製造業 生産管理)

 ・休日出勤が常態化していて有給休暇もまったく取れず、労働者の権利を阻害されていると思ったので。
(男性 25才~29才 小売業 販売)

 ・雇用契約の不正を報告するため。
(女性 30才~34才 建設業 経理)

 今の職場の違法性に納得がいかないという人は、労働基準監督署に通報するという回答もありました。

 違法な労働環境や不当な待遇を受けている場合が多く、「パワハラ、モラハラが日常的にあるのが当たり前になっている。」「気に入らない部下はすぐに「解雇する」と脅す」など過酷な環境下にいる人もいました。

 精神的にも肉体的にも大きなダメージを受けている場合は、労働基準監督署に通報することも選択肢の一つに入れるべきでしょう。

 通報は匿名で行うこともできるため、自身の身を守りながら問題解決に向けて動くことができます。

 労働環境が改善する可能性があるので、ぜひ相談してみてはいかがでしょうか。

 ▼あなたが思うブラック企業の見分け方第1位は「求人頻度が高い」で37%

 ★求人頻度が高い

 ・離職者が続出していたので、頻繁に求人募集を行っていた。
(男性 24才~29才 物品賃貸業 営業)

 ・人手不足で一人ひとりの業務負荷が増加。従業員の定着率も低く、定期的な人員補充が必要な職場でした。
(男性 35才~38才 運輸業 業務係長)

 ・良い人材を募集しようとしているが、うちのような地味な会社に応募する人がいない。
(男性 40才~44才 卸売業 人事・総務)

 「求人頻度が高い」と回答した人が3分の1以上を占めました。
 求人頻度が高い理由として、高い離職率と従業員の不満による人材の流出が頻繁に起こるためです。
 せっかく入社しても、早期にブラック企業の実態に気付き、退職を選択するケースも多く見られます。

 ★給料が高すぎ・低すぎ

 ・高水準な給料体系に魅力を感じて入社しましたが、実際は過度な長時間労働や想定外の業務を要求されるという事態に…。
(男性 25才~29才 情報通信業 エンジニア)

 ・長時間の残業が当たり前となって、しかも給料に反映されない。
(男性 30才~34才 保険業 内勤営業など)

 ・給与の大部分をノルマ達成による歩合制だったため、ベース給与がとても低かったです。
 しかも入社前に歩合について詳細を教えてくれず、入社後に知るという有様でした。
(男性 20才~24才 不動産業 営業)

 募集要項の給料が高すぎる、あるいは低すぎるというのもブラック企業の特徴だと言えます。
 入社前には給与体系の詳細を教えてくれなかったのに、実は「残業時間込みの基本給だった」「基本給よりも歩合で稼げという会社だった」という類の回答が25%の割合の人から寄せられました。
 給料が高すぎる場合は、入職者を魅了するために高額な給与を提示することで、不当な長時間労働や労働条件の不合理さをカモフラージュしようとするケースがあります。
 給料が低すぎる場合は、ブラック企業が従業員に対して適正な報酬を支払うことを怠っていることが考えられます。
 応募前に「給料が高すぎる(低すぎる)」と感じたら、その裏に何か不都合な労働条件が隠されているのでは?と細心の注意を払い、ブラック企業に巻き込まれないようにすることが大切です。

 ★会社内の雰囲気が異様

 ・突然上司が激怒し、部下に対して怒鳴りつけている光景が目に焼き付いています。みんな萎縮して怖気づいていました。
(男性 30才~34才 金融業 営業)

 ・面接で伺ったとき、社員さんとすれ違った際に挨拶をしても返ってこなかった。
 会社全体にどこか薄暗い雰囲気があったのを覚えています。
(女性 25才~29才 情報通信業 営業事務)

 ・朝から憂鬱そうな表情で出勤し、一日中気持ちが重かったです。
 同僚も無表情で、笑顔が見られない職場でした。
(男性 40才~44才 小売業 総務)

 「会社内の雰囲気が異様」と答えた人は12%でした。
 回答内容を見ると、上司からの過度な指示や叱責、パワハラ、社内でのコミュニケーションの欠如などが見られます。
 従業員は常にプレッシャーやストレスにさらされ、不安や緊張感が漂い生気を失っている職場もあるようです。

 ★面接時の担当者の態度がおかしい

 ・面接官が威圧的で無礼な態度をとり、圧迫面接なんだろうな、と思ったが度が過ぎていました。
 後にその会社は何か労基法に違反して送検されてましたが、やっぱりなという印象です。
(男性 30才~34才 生活関連サービス業 営業)

 ・面接官に業務とは関係のないセクハラじみた質問をされてびっくりした。
(女性 24才~29才 保険業 営業)

 ・面接時間がとにかく長かった。
 予定時間通りに進行しないのはどうかと思いました。
(男性 24才~29才 建設業 施工管理)

 「面接時の担当者の態度がおかしい」という回答が8%ありました。
 求職者に対する尊重や公平さが欠如していることに不満を持つ人が多かったです。 例えば、「無礼な態度」や「侮辱的な発言」、「面接官自身の不適切な行動や態度」などが挙げられます。
 「どうせ誰を採用しても変わらない」「とにかく人数だけ揃えたい」という考えのもとで採用活動をしているかもしれないので注意が必要です。

 ★古株社員の給料が低すぎる

 ・上司の給料が低すぎて、自分の将来は暗いと感じました。
(男性 24才~29才 製造業 経営企画)

 ・長年働いている社員が昇給の基準や評価方法について愚痴を言っていて、自分もその道をたどる可能性が高いと考えると急にモチベーションが下がりました。
(男性 20才~24才 サービス業 営業)

 ・責任ある立場の先輩社員が自分の給料と少しだけしか変わらなかったのには驚いた。
(男性 30才~34才 宿泊業 接客業)

 5%の人から「古株社員の給料が低すぎる」という意見が寄せられました。
 上司や先輩社員が低賃金で働いているのがわかると、新入社員や若手社員は「頑張っても報われない」「昇給の機会がほとんどない」と考え、モチベーションの低下や会社への忠誠心を失ってしまいます。
 従業員の労働力を過度に圧迫する経営方針かもしれないので、自身も適正な給料を受けられない可能性が高いです。
 こういった会社で働くのは避けたほうが良いでしょう。

 ★内定が出るのが早すぎ

 ・面接が終わった直後に、驚くほど早く内定をもらった。
 今から考えると急な人員不足を補うためだけに採用されただけだったなと。採用プロセスもへったくれもないですね。
(男性 20才~24才 情報通信業 エンジニア)

 ・面接で業務に関する具体的な質問があるわけでもなく、表面的な印象だけですぐ内定が出た気がします。
(男性 24才~29才 製造業 営業事務)

 ・今の職場の引き継ぎ等が終わったら入社したいと伝えたにも関わらず、内定承諾を急かされました。
(男性 30才~34才 小売業 店舗責任者)

 恒常的に人材不足に陥っている会社の場合、企業側が求職者のスキルや適性を十分に評価せずに応募者を手当たり次第に採用している可能性もあります。
 結果的に、応募者は待遇や業務に関する詳細を十分に把握できないまま入社し、入社後に「聞いていた条件と違う」「あまりにも労働環境が劣悪すぎる」 と不満や問題を抱えてしまう人が出てきてしまうのです。

 ★経理の人から辞めていく

 ・社員の給与や待遇の悪さが数字であからさまにわかるのが辛かったです。
 会社の行く末に薄ら暗いものを感じて退職しました。
(女性 30才~34才 建設業 経理)

 ・経理の人が続けて何人か辞めて、しばらくして会社の業績が傾き始めた。
(男性 30才~34才 製造業 品質管理)

 ・法の目が届きにくい中小企業だからか、決算書をいじったりやりたい放題で嫌気が差した。
(女性 35才~39才 不動産業 経理)

 ブラック企業では、一番会社の数字を把握している経理スタッフが辞めていく現象が起こることがあります。
 その理由はさまざまですが、社員の給与や労働条件の不満、過剰な採用コストや強引な取引等、数字を見ているうちに会社の問題点がわかってくるからでしょう。

 こういった実態に直面し、倫理的な問題や過度なストレスを感じて退職を決断することもあるようです。

 ♦まとめ

 以上、ブラック企業の特徴や見分け方について、637人の方を対象にアンケート調査した結果を紹介しました。

 ブラック企業のブラック企業たる所以は次のようなことが挙げられます。

 ❎労働者の権利を蔑ろにする。

 ❎長時間労働や過重労働、残業代の不払い、低賃金など労働環境が過酷

 ❎休日や有給休暇の取得が困難

 ❎パワハラ・セクハラが横行することがある 勤怠管理や雇用契約が不適切

 ❎コンプライアンス意識が欠如している

 退職しようと思っても即座に辞めることができない場合もありますが、身近な人への相談や労働基準監督署への報告などを活用して対処することが重要です。

 現状職場がブラックで苦しんでいる方は、ブラック企業からの脱出を目指し、最適な労働環境を追い求めてみましょう。

 あなたが健康で充実した職場で働くことができることを陰ながら祈っております。

 〔出典元 : 株式会社シフィット



research notes ♯01頁 ブラック企業の定義②

2023-10-28 21:00:00 | 自由研究

 「もし自分がブラック企業で働くことになってしまったら…」②

 ▶勤務している会社がブラック企業だと感じた人は61.0%

 これまで勤務したことのある会社がブラック企業だと感じた人の割合を調査したところ、実に61%もの人が自分の会社をブラック企業だと感じたことがあるということがわかりました。

 この結果から多くの人が「ブラック企業」で勤務した経験があるという現実が浮き彫りになっています。 同じ会社でも一部の部署やプロジェクト単位、あるいは特定の上司や時期において“ブラック環境”に陥っているケースもありそうです。

 ▶ブラック企業で働いていたときの平均残業時間は56時間

 この結果を見るとわかるように、残業時間が「~40時間」と回答している人が16%と一番多く、さらに驚くべきことに残業時間が40時間以上と答えている人の割合が過半数を超えています。

 ▶ブラック企業だと感じたときの対処法は「すぐに退職する」が約4割

 どうしてそのような判断をしたのか、理由について聞いてみましたので詳しく紹介します。

 ★すぐに退職する(した)

 ・極度の残業や休日出勤が常態化していて、働き方が常軌を逸していると感じていた。
 このまま続けても身体を壊すと思ったから退職した。
(男性 30才~34才 情報通信業 クリエイティブ)

 ・休日出勤は当たり前。プライベートな時間は削られ有給の取得も制約される。他の人と同様に普通の生活をしたいと思い退職しました。
(女性 25才~29才 小売業 接客業)

 ・上司のパワハラが凄まじく精神的に無理でした。
(男性 35才~39才 金融業・保険業 営業)

 低賃金なのに残業代の未払いは発生するわで、会社への不信に加えて経済的にしんどかったため。
(男性 25才~29才 生活関連サービス業 オペレーター)

 労働環境が異常だと感じたら、「すぐに退職する」または「すぐに退職した」という方が大部分を占めました。

 「このままいたら体を壊す」「精神的に限界」「経済的にきつい」という深刻な状態から逃れるためには早期退職も止む無しでしょう。

 ブラック企業にいることで自分の将来や健康に与えるリスクを認識し、早めの脱出を選択することは当然の選択だと言えますよね。

 ★退職に向けて準備をする

 ・新たな職場を見つけるまで現職にとどまる。
(男性 25才~29才 医療・福祉 介護職)

 ・退職後の生活費の不安があったので、まずは準備をしっかりしようと思いました。
(女性 25才~29才 宿泊業 サービス業)

 ・次の会社もまたブラック企業だったら…と考えるとなかなかすぐに退職できないもの。
(男性 20才~24才 飲食サービス業 販売)

 自分の職場がブラックだと気づいても、「すぐには退職せずまずは準備をしてから」という人の声も多かったです。

 「退職後の生活費を考えると次の職場が決まらないと辞められない」といった経済的な理由や転職先の確保の難しさ、「短期退職したら転職は不利になる…」「次もまたブラックだったら…」という再就職への不安からまずは準備をしっかりしたいという意見が上がりました。

 不安がある場合は、すぐに退職せずに準備をすることは理に適っています。
 まずはご自身の置かれた状況を冷静に把握し、退職に向けた計画を立ててみましょう。
 退職までの期間を見極め、情報収集を積極的に行い、転職活動に備えることが大切です。

 ★家族・知人・友人に相談する

 ・退職後のキャリアプランや進路について具体的に検討するために、ひとまず友人に相談して助言をもらおうと思いました。(男性 30才~34才 保険業 営業)

 ・職場の状況を家族や友人に話して、意見を聞いた上で決めたかったので。
(女性 20才~24才 福祉 総務・広報)

 ・自分と異なる視点や情報を持っているかもしれないので。
(男性 25才~29才 不動産業 営業)

 自分の置かれている状況が厳しいと感じたら、誰か身近な人に相談するという回答も多く見られました。

 現状の不満や困難を気心知れた人と共有することで、心の負担を軽減することができるはずです。

 自分でも気づかないような新たな視点やアドバイスを提供してくれるかもしれません。

 一人で抱え込まずに家族・知人・友人に話すことで、次の一歩を踏み出す勇気を持つことができるでしょう。

 〔出典元 : 株式会社シフィット