cowboy-平松の部屋

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小島松久さんは私の技術のスポンサーです

2020-11-06 18:20:08 | 私を育ててくれた人ー
私を育ててくれた方 - 7 

小島松久さんは私の技術のスポンサーです

私には、F-1(4輪)の技術を見にこい、見て考えろと機会を与えてくれた師が
おります。(技術のスポンサー)小島松久(KE)さんです。

2輪のヨーロッパGP(W-GP)は、60年から後半にかけて、日本車はエンジンの
多気筒化により圧倒的なパワーでヨーロッパ勢を圧巻し技術の優秀さを示した。
そして、多気筒化から締め出され、技術は習得したとしてW-GPから撤退した。
Y社のみが市販レーサーを継続販売していた。またKawasakiの125・2気筒
(69にD・ブラウンがチャンプ)Suzukiの125/2気筒(70にD・シモンズがチャンプ)
が個人ライダーに貸与されて活躍してました。B・シーンもスズキ125・2気筒
に乗ってましたね。B・シーンは私より一歳年下で将来チャンプを期待され
スズキ車を貸与されていたようです。その時代に私も阿部もは2輪レース界に
入りました。確かに2スト50cc3気筒/125㏄4気筒だ、4スト125㏄5気筒だ、
250/350㏄6気筒だと、エンジンだけは素晴らしいものがありました。でも
フレーム系の進化はなかったかなと思いますが、入社早々の我々はまだ
解っておらず、ただ、過去の栄光に慕っている、井の中の蛙状態でしたね。
 F-1の世界はコンストラクターも開発しているから技術の展開が早いですね、
特許で抑えて10年間は相手に使わせないぞ的な世界ではなく、天才デザイナー
(C・チャップマンみたいな)が毎年アイデアを投入し,速さを競っている純粋なる
技術の世界が雑誌の中で見られ、憧れてました。
F‐1の富士に手伝いに来い、そして、F1の技術をよーく見ろ、井の中の浜松で
タラタラしてるんじゃないと小島さんに阿部と私は呼び出されました。
詳細は 阿部語録 Kawasaki編ー4 (私のブログ)
ブラバムBT-45のリンクサスを見て、これパクロウゼー(KR250のリヤリンクサスに応用
を参照ください。
そしてKR250のRRリンクのサス、スプリングは小島さんからお借りしました、F-1の
フロントサス(コニ製のSPL-D、自由長305mm)でプロト走行しております、我々
ではサスの開発が出来ませんので選択肢を広くF-1の技術(部品)と共通にしま
した。
 F-1のフロントキャリパーもお借りしました、ロッキードの対向4ポッドです、
K・バリントン用のKR350の性能アップの為に作りましたが、E⋰ローソン用に
AMAのスーパーBIKE・KZ1000に 又、仏の耐久レースにも使われてます。
詳細は おもしろパーツ・KAWA編(私のブログ)・四角いキャリパーに記載
しました、参照ください。
 DFV(当時のF-1のコスワース・エンジン)もお借りしました、本田くんの要請で、
たぶん、Z1000のNEXTモデルの開発でしょう。OKです。でもCUTするなです。
 ケニング、(ケーニッヒかな、2ストローク、4気筒、500cc)のボート用
レーシングエンジンも見せてもらいました。背面ロータリーDISKバルブだったと
思います、実際W-GPに出てまして、ドイツのニュ‐カムがドライブしてました。
 FJ1300で輸入したブラバムやマーチのフレーム車体が入荷したら、浜松
(スズキ)に寄って必ず、見せてくれました。スペースフレームからモノコックへの
変遷の理由も容易に理解できました。
 実際にKE009(小島さんのF-1)のモノコックを製作している現場を見せても
らいました、航空機のアルミパネル接着、リベット止めする手法を見学しました。
詳細はおもしろパーツ全般-2(私のブログkawasakiKR500,モノコックの勉強を
参照ください。
KR250でリアリンクサスを提案し、その後プログレ理論なるものをセッティングツール
として考えるようになりましたね。  KR250→KX250→プロリンク(HRC)に影響を
あたえました。プロリンクの詳細は私を育ててくれた人(私のブログ)、Rテーマを
指示する役員(M腰さん)に記載しておきました、ちょっと楽しいですよ
今では、ブレーキ専門メーカーが4ポットや6ポットだと供給してくれますが、F-1から
学んだ自社製(kawasaki)の専用キャリパー(ブレーキ系)が安定していたから、W-GPへ
参戦できたと思います。
HRCではモノコックを作り易く構成したカーボンフレームからツインチューブフレームも
提案出来ました。
このように、小島さんから、F-1(4輪)の技術や、他の世界の技術を見にこい、
そして、見て考えろという機会をもらって、スズキ、Kawasaki、HRCとロードの
フレーム設計でトータル40年、よくやりましたね、自分を誉める事が出来ますよ。