再☆シングル物語

~自分のための記録ブログなので気まぐれです~

論理的にお願い

2016年08月31日 | 日記 / つぶやき

自分は、ちょっと論理的思考なんだろうなと思うことがある

だから相手が論理的な説明をしてくれると違和感がなくてすごく気持ちがすっきりする。




それを感じるのは多くは仕事の時。

(経験上、仕事を教えてくれる人は論理的な人でお願いしたい・・・・


ヒステリックな女性だと「違う違うー、そうじゃないの~
みたいなことをやたらデカい声で叫ぶのだけど
教え方があっちこっち分散してて、すごく教え方がヘタな人がいる


そんな経験を踏まえてるので
私が初日の人に仕事を教えるときは、おおまかに以下の流れで教える



1.この仕事の役割(なぜこの仕事を募集してるのか?それによって何を求められてるのか?)
2.まず最初に覚えるべき仕事内容の数々(仕事の核)
4.図式化するとどんな形態であるか(視覚化)(自分の位置づけ)


このへんを、まず最初に教える。


(相手は「この仕事を初めてする人なのだ」という事を踏まえてれば、
 「これやって」「手が空いたらこれやって」「そうだそうだ、こっちもあった」・・・・なんて
 ブツ切れで教えようと思わない)



その次に、他の細々としたことを「次の段階で覚えるべきこと」として分けておく。
(頻度が少ないものや、時間に余裕がある時に目が向けばいいようなもの、+アルファ的なもの等)

そしてそれを手書きやパソコンなどで数枚まとめたものを、
ごっそり最初に渡してしまったりする。

そうすると大抵、「すごい分かりやすいですー」「これ書いてくれたんですか」と言われたりする。

(「教える側も時間がない」なんてよく言うけれど、最初にこういうのを渡すだけで大違いだと思うのです。
 教えるほうも教わるほうもストレス減るでしょ


教える側ってのはココまですべきだと思う


ましてやメモも取れない職場だったり(食品系だとメモが取れなかったりする)、
「やっていけばわかるから」なんて言われると、
「あ~、ハズレだーーーー」と思ってしまう。

これじゃ記憶に残らない。

それなのに相手が忘れてると「このまえ言ったよね?」なんていう教え方はアホかと思う。


このストレスを味わってるからこそ、教えてる時は論理的人間になります。








映画観てきた「シンゴジラ」「リリーのすべて」

2016年08月30日 | 映画鑑賞

先日ようやく映画「シンゴジラ」を観てきました。
新宿TOHOです。


(ちょっと前に撮った写真。 ※今はこの垂れ幕はありません)

いつもゴジラが顔をのぞかせている新宿TOHO。




////////////// ちょっとネタバレ  ////////////////////////

最初に出てきたゴジラがキモカワで目を惹きつけられた

ウツボみたいな顔立ちだったので、てっきりゴジラの敵キャラが登場したのかと思ったら、
このウツボ ゴジラが進化していくのだった・・・。

「うわぁ気持ち悪いよ~」と思ったんだけど、思うことはみんな同じらしく
終わった後の他の人の会話を聞いてても、

「あの最初のゴジラ、気持ち悪かったねー」なんて会話が聞こえてきた。


東京があんなにアッサリ破壊されたら怖いなと、実際に想像してしまいました。

あと、石原さとみさんは進撃の巨人でも思ったけど
ストレートに物を言う男勝りなキャラが似合うなぁと思った。



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ギンレイでは「リリーのすべて」を観ました。

あることがきっかけで自分の中の「女性性」に気付いてしまった夫が、
身も心も女になりたいと願うようになる。

世界初の性別適合手術を受けた人物・リリー・エルベを題材とした物語。

奥さんは最初ショックで受け入れられなかったけど、次第に支えて行くようになるのです。
このあたりがちょっと感動しました。
でも、ラストは悲しい話だった





おまかせ録画のキーワード

2016年08月23日 | 日記 / つぶやき

今日、家を出るときにたまたまドシャ降りだったため、

「あぁ、また今日は昨日と同じような天気でバケツをひっくり返したような1日なのだな・・・」
なんて思い、
迷わず長靴(今風にいえばレインブーツ)をはいて某場所に行った。

しかし、
直後からぱぁぁぁぁぁっと晴れて、とにかく暑い


「暑い、暑いよ
 こんなに暑いのに、なんで私はレインブーツなんか履いてるんだろう

という気持ちをぐるぐるさせながら東京の灼熱のアスファルトを歩いた。

無駄に疲れた1日だった


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家では録画しながらテレビを見ている。

ミーハーな話をしてしまうと、
おまかせキーワード録画に「岡田准一」を登録している。

そしてさらに最近、「手越祐也」を追加した

手越くんは最初、
「元気だなぁ」「ポジティブだなぁ」と感心して見てたのですが、
気付けばすっかり「可愛いなぁ」「無邪気だなぁ~」とファンになってしまっていた

最近、すごい勢いにノってるのがわかるし
テレビも注目させてるのがわかる。

株だったら(もうすっかり上昇しちゃってるけど)、慌てて今からドドーンと買うでしょう
(さらに上がって行くのを見越して)


・・・・・テレビの中にも、こんなウキウキした相手がいてもいいと思うのです





目指したい女性像

2016年08月23日 | 日記 / つぶやき
ぼんやり目指したい女性について考えてみた

こういうのは、
自分と似てる人生を送ってる人がいいかもしれないし、
似てないけど憧れてる人でもいいんだろうな。

歴史上の人物でも現在形でもいいのだろう。

有名人じゃなくて身近な人でもいいだろう。

ふむふむ(何人か頭に思い浮かべてみる


笑顔が素敵でさっぱりしてる人が思い浮かぶ。

たとえ外見がおっとりしてても芯が強い人に憧れる。

フットワーク軽くてぶらりと目的地に行っちゃう人に憧れる。

自分の軸がしっかりしてる人に憧れる。
弱々しいのは嫌なのだ。
それは以前の私だから…

でも威圧的な人には憧れない
ここ大切。


だらだらと寝ながら打ってみた
ゆっくり考えてみよう

おやすみなさい

会うのが疲れる人

2016年08月21日 | 日記 / つぶやき
この年齢になると、
疲れる相手とは、なんとなく距離を開けるようになりました


大人しい雰囲気なのに会うとドドドっと疲れを感じる人がいる。
(かりにBちゃんとする)

最近、そんなBちゃんと会うのが気が重くなってきたのだ
なんでだろう?
考えてみた


・自分のことを話さない(こちらに質問してくるのに自分のことは話さない)
・秘密主義
・他人任せ(予約したり場所を決めたりしない。「どこでもいいよ~」と言われる)
・何を考えてるか分からない
:察してちゃん(口に出さないけど察してほしいタイプ)
・気分にムラがある


ちょっと考えても、このくらい出てくる

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一度、上高地に一緒に行ったことがあった
友達と行く上高地なんて本来楽しいはず・・・

しかし、歩き始めて数分経つとなぜかBちゃんは無口になった


他の友人ならいろいろ会話が弾むところが、なぜかBちゃんはテンションが低い。

私は気を使って聞いてみた。

「疲れたら言ってね」「暑いから休憩したくなったら休もうね

Bちゃんは否定するでも賛同するでもなく、やっぱりテンションが低かった。

こうなると、私も上高地を歩くのが気分が重くなってきた

なんだろ、なんだろ
なんで無口なんだろう??

歩いてても背後からどんよりと重い空気を感じる。

まさかと思ったけど、心配になってまた聞いてみた。

「暑いから疲れちゃうよね。もう休んでアイスでも食べようか

・・・・・・・・・・

なんと本当に疲れてたから不機嫌だったようだった。
(結構私は驚いた。 
 沈黙によって感情を伝える人が、大人になってもいたという事に・・・)


結局、
私たちは引き返し、上高地に来たにもかかわらず20分くらい歩いた後は日陰でアイスを食べた。
その後、歩くこともしなかった

楽しそうでもなく、ぼんやりと日陰でアイスを食べて上高地は終えた。


Bちゃんの心の中はこうだったのだ。
思ったより上高地が暑い。
 こんな中を歩きたくない。
 そもそも涼しいと聞いてたはずだ。
 疲れてる私を察してくれ

    ↓
結果、無口になるという態度に出る 



私だったら、それを口に出して済むことだと思ってしまう。
「なんか疲れちゃったー。ごめん休んでアイス食べたいかも~
 思ったより暑いんだねぇ~~」で終わる。

そんな感じだと思うんだけど・・・・




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私はこのへんから、Bちゃんと行動することが
あーーーー、ちょっと面倒くさいな」 と思うようになった。

思えばすべてがそうだった。

私が、「疲れた?」「どこで待ち合わせる?」と会話を広げないと、前に進まないのだ。

しかも「どこで待ち合わせする?」→「どうしようか」しか返ってこない事が多いので
結果的に私が決めることが多い。


他の友達なら、このへんのストレスは感じない。

暑けりゃ「暑い」と言うし、休みたければ「休みたい」と言うし、お互いにそういう事を言い合いながら
わいわいと食事したり出かけたりしているのが自然だ。

しかし、Bちゃんと会う時は とても気を使うのだ。

避けられてるというならその態度も分かる。
でもメールが来て、「また誘ってね」「また行きたいね」と言って来たりする。

なんか・・・・疲れたっす

私は長年の蓄積でそんな気分になっていた。





昔、旦那さんを交えて会ったときに言われたことがある。

旦那さん 「〇〇(友人の名前)は、自分から誘いにくらしいんですよ~、だからどんどん誘ってやってくださいね

その時に私は、
「誘えない」ってなんだろう? 
 すべて相手が動いてくれることを期待してるってことだよね???と思った。


よくよく考えると、Bちゃんが変わったわけじゃなく昔からこうだったのだ。

おそらく私が変わったのだ。
そういうのが 「面倒臭いなぁ」と思うように変わったのだ。

何かというと、「猫がねー」「猫がねー」という話を聞くのもキツくなってきてしまった。

たぶん私が変わったんだ・・・・ごめんBちゃん



この年代になると人生も後半戦なので、

自分に必要な時間を選びたいし、
自分が一緒にいたい人たちを選んで行きたいし、
自分が目指したい女性像もはっきりしてくるので、

なんかズレてきたんだろうなぁ

私も完璧な人間じゃないので、
「苦手な女性像」に目を向けるのじゃなくて、「目指したい女性像」を見て生きて行こう・・・