【 売れる営業 】実務営業コンサルタント 島田安浩 アクト株式会社代表

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『 兄貴に感謝! 』

2008年08月15日 15時56分23秒 | Weblog
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 No144) 『 兄貴に感謝! 』
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 ■ 柔道で、日本は勝てませんね…。
   柔道らしくない!って感じもしますが、
   そのルールでみんなが戦っているので、


   負けると言う事は弱いと言う事で、
   誰にも文句は言えません。


   オリンピック放送を聞いていて、
   アナウンサーの言葉にたまに頭に来るのは
   私だけでしょうか?


   彼も今まで頑張ったからとか、
   相手が卑怯だと言わんばかりの話し方をしたり、
   審判に疑問を持つような話し方!


   頑張らないでオリンピックに出てる奴はいないし、
   ルールの中で戦って卑怯も糞も無いし、
   審判は絶対だよ!!


   インタビューも非常に下手糞!


   質問に成っていない!
   もう少し、拡大質問・限定質問の練習をしてから
   インタビューをして貰いたいものです。



 ■ さて、今日は兄貴に関してお話しします。
   昨年末に、48歳で逝きました。
   人生を駆け足で行った。そんな感じです。



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■目次

【1】兄貴に関しての記憶

【2】家族と家庭

【3】病気と以降の兄

 ★ 今だけのキャンペーン
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【1】兄貴に関しての記憶
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 ■ 兄貴とは、学年で4つ違っていました。
   4つの違いは大きく、ガキの頃から、
   喧嘩をしても必ず負けていました。


   小学生の低学年までは、兄貴の尻を
   追っかけていました。
   遊ぶ時は、いつも、兄の友達に混ざっていました。


   そのせいか、力は強い子に育ちましたし、
   同学年の子に、危ない遊びを教えてしまう、
   そんな悪ガキに育ったのも兄貴の影響でした。



 ■ 実は、兄貴が中学生に成って頃から、
   兄貴との交流が無くなりました。


   兄は、殆んど、伯母夫婦の家に泊まるように成った
   からです。私だけが、まだ小学生と言う事もあり、
   家に帰って、父と母と暮らしていました。


   まあ、変な感じの家庭です。


   実は、小学校・中学校・そして高校と、
   伯母の地域の学校に行っていました。
   これは、その地域で幼稚園を出ているので、


   友達も多かったからと言う事もありましたし、
   伯母の住んでいる地域の方が、都会だったので、
   何となく、そっちに行きたかったと言う事もありました。



 ■ 実は、私は、伯母夫婦の地区では無い小学校に
   親は入れようとしていたようですが、まだ幼稚園児の
   私が猛烈に嫌がって、兄と同じ伯母の住んでいる地区に


   変えたという経緯がありました。
   私としては、兄貴と違う小学校に通う事は、
   絶対に認められませんでした。



 ■ 丁度4年違うと、私が中学生に成る時には、兄は
   高校です。だから、兄がどんな学生生活を送って
   いたのかは、殆んど知らなかったです。


   ただ、兄も剣道をしていましたので、剣道部に
   所属していました。そのお陰で、先輩には、
   良い意味でも、悪い意味でもしごいて貰いました。


   「お前が、○○さんの弟か!」
   そんな感じでした。
   兄が剣道が強かったかどうかは、知りませんが、


   少なくても、先輩が、力を入れて指導してくれたのは
   間違えなかったです。



 ■ 学生時代の兄の記憶は、兄が高校生の時に、
   夏休み一人で、徳島まで自転車で行った時に、
   「兄貴も凄いや!」と思った記憶があります。


   徳島に、知り合いが住んでいましたので、
   小学生の時には、毎年夏休みに、お袋と兄貴と3人で
   徳島に行って、1ヶ月近く過ごしていました。


   題名を覚えていませんが、「うどん」に関しての
   映画を2年ほど前にやっていました。
   その中でも、話しに出ていましたが、


   岡山から、四国に渡る連絡船が昔は出ていました。
   その船の甲板で食べる、うどんが非常に美味いのです!
   私も大好きで、必ず、キツネうどんを食べていました。


   動き始めて、10分ほどですぐに甲板に行って、うどんを
   食べます!本当に美味かったです!!
   潮風と夏の良く晴れた日の中で食べるうどんは最高でした。


   徳島には、兄が6年生私が2年生の時には、2人だけで
   電車を乗り継いで行ったりしていました。
   家族にとってはお馴染みの場所です。



 ■ でも、そこに自転車で行くと言うのは、無謀に思えました。
   家族の誰もが心配していました。通常は、このような無謀な事は、
   兄では無く、私が言うのが普通でしたが、この時は、兄が言い


   そして、やり遂げました。
   「何か恰好良いな~」なんて思ったのを思い出します。
   長髪で、ラッパズボンを穿いた兄の写真を思い出します。


   当時は、長髪が流行っていました。
   私は、剣道部で、坊主頭でしたが、兄は長髪にしていました。
   自転車も、サイクリング用を買って、それで行きました。



 ■ 後は、学園祭の時の、出し物の衣装を一緒に作らされたのは
   忘れられない思い出です。
   とにかく、命令口調で、弟の私を奴隷のようにこき使って、


   ダンボールで、兄貴の衣装を作りました。
   でも、まあ、楽しかったです。
   その学園祭に見に行って、作製した衣装を、着ている


   兄貴と、その友達は、非常に大人に思えました。



 ■ その後、兄貴は広島経済大学へ進みました。
   沢山大学を受けて、そこと、龍谷大学の2校に合格したようで、
   広島に行きました。


   大学受験って大変なんだな~と何となく思ったのを覚えています。


   その後、しばらくして会った兄貴は、非常に浮かれていました。
   彼女が出来たようで、「ラブ!ラブ!」でした。
   ナント、そのまま「出来ちゃった結婚」をしてしまいました。


   大学4年の時でした。
   卒業と当時に結婚して、すぐに子供も生まれました。
   この時の、親父とお袋は凄かったようです!!


   特に、お袋は兄貴を溺愛していましたので、その兄貴を
   「たぶらかした女」と言う感じで、接したみたいです。


   でも、あの、ラブラブの時の兄貴は、私の知っている
   兄貴の中で、最高に幸せそうでした。





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【2】家族と家庭
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 ■ 兄貴は、大学卒業と同時に、家庭を作り、
   子供が出来ました。
   非常に大変だったのでは無いかと思います。


   兄貴の入った会社は、転勤が多く、3年に一度は
   転勤をしていました。
   子供も転校が多かったようです。


   兄貴の会社が、私の会社の取引先だったので、
   兄貴が、渋谷勤務の時に、同じ渋谷が当社の担当で、
   兄の部下が、担当で来ていました。


   兄もたまに来ていましたが、仕事は真面目にやっている
   そんな印象を受けました。



 ■ 兄貴は、家庭を持ちたかったのでは無いかと思う。
   うちの家族は、結構、バラバラでした。
   そのどうしようもない、ストレスをぶつけ合うような


   そんな家族でした。


   ですから、兄貴は、嫁さんを絶対に表で働かそうとは、
   しなかったようです。家庭で、子供と一緒に暮らすように
   して、家庭の中を温かい感じにしたかったのだと思います。


   ただ、兄貴も気性が荒く、つっぱっていましたので、
   長男は兄貴のことを怖がっていたようです。



 ■ 兄貴は、22歳で子供が出来ました。
   家庭も持ち、仕事を一生懸命したようです。


   私と兄貴が育った、チグハグした家庭では無く、
   愛の有る家庭を作りたかったのでは無いかと、
   非常に感じます。


   実は、兄貴と会う事は、年に1度有るか無いかでした。
   兄も転勤で地方に居る事が多かったですし、
   忙しくて、田舎に帰って来ることも無かったので、


   会わない時が多かったです。
   正月に田舎で会う事がありましたが、兄貴は帰っても
   嫁さんの実家に泊まり、私は伯母の家に養子に行ったので


   伯母の家に泊まっていましたので、別の家族に成って
   居ました。



 ■ 兄の葬儀の時に、兄の奥さんの親戚の方が多く参加され
   その人達の話を聞くと、非常に面白く、楽しい人だったと、
   私の知らない兄貴の姿がそこにはありました。


   たぶん、家族には見せられない素直な姿を、
   自分の家庭の中では見せていたのでは無いかと、
   思われます。


   兄貴が、ラブラブだった時に、こんな話をしていました。
   「最高の彼女に出会った!最高に幸せだ!!」
   そんな兄貴を見たのは初めてでした。


   結婚してから、兄貴と2人で酒を飲んだのは、
   渋谷ででした。兄貴も私も渋谷で働いていた時です。
   たぶん、初めてで最後でした。


   あんなに静かな表情の兄貴は初めてでした。
   結婚して良かったこと、そして、自分なんかと結婚してくれた
   奥さんに感謝していたのが印象的でした。



 ■ 兄貴と最後にゴルフをしたのは、私の知り合いの社長と
   行ったゴルフでした。
   兄貴も、その社長も口が悪く、口にやられて、最悪の


   ゴルフでした。
   まあ、負け惜しみですが…。
   その時は、兄貴は単身で宇都宮に住んでいました。


   家族は、茅ヶ崎に住んでいました。
   この時に初めて、義姉に兄貴は心臓に持病があるので
   余り運動をさせないように、釘を刺されました。





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【3】病気と以降の兄
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 ■ 兄が倒れたのは、それからすぐでした。
   脳梗塞で、倒れたのでした。
   義姉は、心臓のことが有ったので、食べ物とか気を付けた


   ようですが、単身赴任していた兄は、毎晩遅くまで働き、
   部下と飲みに行っていたようです。
   部下の相談係をしていたようです。


   兄貴は私と違って真面目で、会社に遅れて行くことは、
   無かったそうです。それがその日は会社に来なかったようです。
   支店長が部下に見に行かせたそうですが、


   その時には、「大丈夫!」と言って、追い返したようです。
   15時に成って心配した支店長が、家に行って倒れていた兄を、
   救急車で運んだお陰で、どうにか助かりました。


   私が兄を見舞った時には、言葉は勿論、右半身が
   動かなかったです。思ったよりは元気そうですが、
   言葉が話せないと言うのはショックでした!



 ■ 1ヶ月ほどで、鎌倉の病院に転院すると言う事で、
   車で、送って行きました。
   相変わらず、言葉は話せませんが、「ア~、ウ~」


   と言う事は、言えるように成っていました。
   体は、右側も問題無く動くように成っていて、
   見た感じは、病人と言うイメージは無かったです。


   でも、義姉は兄に付きっ切りで、いました。
   今まで、忙しくて一緒に入れなかった分を、
   取り返しているように感じました。



 ■ その後、徐々に、言葉が戻って来ました。

   「美味しいね!」

   「嬉しいね!」

   「楽しいね!」


   子供のような笑顔で、言うので、一緒に笑ってしまいます。
 

   怖かった兄貴は、病気のお陰で、非常に可愛く成りました。
   長男・長女共に、兄貴が可愛くなったと言っていました。
   義姉は、ズ~と兄貴と一緒に居られることを、


   本当に楽しんでいました。
   私が中国から帰ってからは、たまに食事に行ったりして、
   会う機会が多くなって来ました。



 ■ 私と会って、食事をする時は、チョッピリお酒が飲める。
   これが嬉しいようでした!


   「美味しいね~!!」


   嬉しそうに言う兄の顔は子供のように輝いていました。
   脳梗塞で倒れたのは不幸なことかも知れませんが、
   兄貴にとっては、幸せなことだったのでは無いかと、


   本当に思えました。
   だって、子供の頃から見て来て、一番楽しそうにしていました。
   義姉と2人でいつも一緒に行動するのが楽しそうでした。



 ■ 母が、癌に成って入院した時にも、義姉と兄は病院に
   毎日行ってくれていました。
   母は、大好きな兄に看取って貰ったので、良かったでしょう。


   私の長男が生まれて、去年の夏休みに、田舎に連れて帰った時に、
   兄が抱っこしてくれましたが、流石に2人育てただけあって、
   抱っこの仕方が上手くて、ビックリしました。


   兄も義姉も、赤ん坊が可愛いらしく、
   ズ~と遊んでくれていたのが印象的でした。



 ■ 私が、独立し引越してから、一度、遊びに来ると言っていました。
   そして、現実しないまま、逝ってしまいました。


   病院で、脳梗塞のリハビリと、心臓のチェックを毎月して貰って
   いたようです。兄の心臓は、爆弾を抱えていたようで、
   移植以外には、治す方法はなかったようです。


   そんな事も、亡くなるまでは詳しく聞いたことは無かったです。
   後20年は大丈夫と言われていたようです。



 ■ 前の晩、夜2時過ぎまで、DVDを兄貴一人で見ていたようです。
   義姉が2時過ぎに兄に、「皿を片付けておいて」と頼んだようです。
   朝、起きた時に、もう既に兄の心臓が止まっていたようです。


   救急車を呼んで、警察も来てと大変だったようです。
   皿はキチンと片付けてあったようです。
   私が連絡を受けたのは、9時半頃でした。


   出張から帰って来て、羽田空港に付いたばかりでした。
   甥っ子から電話が有ったので、何かあったのだろうと、
   思ったら、予感が的中しました。



 ■ 眠ったように、横たわっていました。
   「早いよ~!」
   そう思いましたが、どうしようもないです。


   子供が、2人とももう働いていて、義姉とは
   2人きりの時間を過ごして、母を看取って逝ったので、
   良かったのかも知れません。


   兄とは、結局、シミジミ話しをしたのは、渋谷で
   1回だけでした。
   


 ■ 親父が逝って、その時に、墓を調整して、
   島田家の墓を整理して、隣に角家の墓を建てました。
   親父の骨を私が墓に納めました。


   昨年の春に、お袋の骨を納めました。
   そして、秋には、兄の骨を納める事に成るとは、
   思ってもみなかったです。


   
 ■ 家族の死は、人生の流れが見えます。
   そんなふうに、感じます。


   親の青春時代は知りませんが、親として
   30代40代の働き盛り、50代に成って、
   おじいさん、おばあさんに成って行く。


   その姿を見る事が出来ます。
   そして、亡くなって行く。


   人の一生が、見える瞬間です。



 ■ 自分の人生も、いつかは終わりを迎えます。
   どうも、家族を見ていると、そんなに長生きの
   家系では無いようです。


   その寿命が尽きるまで、どのように生きるのか?


   それが重要だと思えます。


   私は、「人の記憶に残る人生」を送りたい。
   と考えています。


   ですから、指導することを仕事としています。
   私が出来る事は、営業に関しての指導や、管理者に
   対しての指導、経営者の方への助言などです。


   そのことを通じて、1人でも2人でも成長して、
   島田に出会えて良かったと言われる人生にしたいと、
   考えています。


   どうせ、死んだらあの壺に入るだけです。


   それまでの間に、どれだけ、楽しめるのか?
   どれだけ、時間を自分の為に使えるのか?
   どれだけ、幸せにしたい人の為に使えるのか?


   それが重要な気がします。



 ■ お盆と言う事で、家族の話をしました。
   親父にもお袋にも兄貴にも、感謝しています。


   もう、会う事が出来ないのが、悲しいですが、
   記憶の中に生きています。


   私もいつかはそっちに行くのでしょうが、
   それまでの人生を楽しみたいと思っています。


   「苦しい」と思うのも、「楽しい」と思うのも
   自分の解釈です。


   解釈だけで、どんなに大変なことも、辛いことも
   楽しんだり、感謝出来たりするのです。
   私は、今までの人生でそれを学びました。



 ■ まだまだ、修行が足らなくて、頭に来たり、
   怒ったりしてしまう事もありますが、
   良い解釈をするようにして生きたい。


   そのように考えています。



以上です。


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