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cotolife*

2020/10/8を持ちまして容量制限にて終了でございます。
よろしかったらⅡへおこしください。

高田ぐるり

2012-07-25 07:25:03 | みちくさ






好きなよーに 好き勝手に 好きなモノを 日々撮ってます。

こまったものだ。

「みょんみょん」とそのポーズにうけずにいられない。

この人なんとかしてくださーい!(笑





























































































車窓から撮ってます。
↑並んで弁当を食べる野球少年達は
引き返して撮りたいくらいでしたがこのとおり(涙
他草取りでお尻を並べるおばちゃん達、電車と走行しているチャリンコじいちゃんなどなど
ボケボケでupできないが、日常は見ているだけで楽しい♪
あぁこれは病気かはたまた変人か。。。
たぶん後者だと思う。






遠い夏

2012-06-19 22:04:14 | みちくさ
*青春18きっぷ 2001春コピー*





「電車がないじゃないか」と聞こえてきますが、電車が来るまで1時間半もあるだに。
待ってられませんでした、はい。
「青春18きっぷ」って聞くだけでワクワクしちゃうのはワタシだけじゃないはず。
さてワタシが18の頃正確には17歳の夏はどんなキャッチコピーだったのだろう。












〈以下参考〉

1984(昭和59)年冬期「青春王者よ。行け。」
1985年夏期 ナシ
1985年冬期「十八少年漂流記。」
1986年夏期「朝から100回目のコンニチワです。」
1986年冬期「思い出の、前売鑑賞券です。」
1987年春期「あらよっと乗って、あらまっと降りる。」
1987年夏期「何かを待ちつづけていた、18の夏。」
1987年冬期「新聞紙もウールになる冬。」
1988年春期「おんもへ出たいと、待っていたんです。」
1988年夏期「18の夏、捕物帖。」
1988年冬期「瞳の冒険。18の冬。」
1989(平成元)年春期「陽の当たる音がする。ぽかぽか。」
1989年夏期「夏ってば、駅まで迎えにきてました。」
1989年冬期「10代は自由だい。」
1990年春期「出会うためには、出かけなきゃ。」
1990年夏期「いつかは 急がなければいけない日がくる。」
1990年冬期「線路の先にある町。」
1991年春期「きっと、私に似ている人がいる。」
1991年夏期「誰も私を知らない。」
1991年冬期「この街とヒミツをつくる。」
1992年夏期「「出会い」なんてコトバ、古くさいと思ってた。」
1992年冬期「寝坊したら、すごくソンした気がした。」
1993年春期「あれ、自分が人見知りだってコト、忘れてた。」
1993年夏期「スポンジみたいに、たっぷり夏を吸い込んだ。」
1993年冬期「この街で育ったら、どんな私になってただろう。」
1994年夏期「ってなわけで、僕たち旅に出ました。」
1994年冬期「おしゃべりはつづくよどこまでも。」
1995年春期「列車を降りると、かならず誰かの おなかが鳴った。」
1995年夏期「青春18きっぷが教えてくれた。心の渇きには、旅がある。」
1996年春期「この春は一度だけ。」
1996年夏期「列車を降りた私たちを待っていたのは、海のおじさん、おばさん、ウミガメ、ナマモノだった。」
1996年冬期「ふらりと降りた小さな小さな駅には、物語の気配がありました。」
1997年春期「自分用のお土産の多さに帰りの列車の中で改めてガク然とする私でした。」
1997年夏期「どこまで行ってもいいんですか。」
1997年冬期「どうして旅をするのかな…」
1998年春期「もうひとつ先の駅が見たい。」
1998年夏期「もう3日もテレビを見ていません。」
1998年冬期「駅に着いた列車から、高校生の私が降りてきた。」
1999年春期「学校を卒業すると、春は黙って行ってしまうようになる。」
1999年夏期「ああ、ここだ、と思う駅がきっとある。」
1999年冬期「思わず降りてしまう、という経験をしたことがありますか。」
2000年春期「通過しない。立ち止まって記憶する。そんな旅です。」
2000年夏期「「早く着くこと」よりも、大切にしたいことのある人に。」
2000年冬期「前略、僕は日本のどこかにいます。」
2001年春期「たまには道草ばっかりしてみる。」
2001年夏期「夏休みは、寝坊が一番もったいない。」
2001年冬期「なんでだろう、涙が出た。」
2002年春期「タンポポみたいに旅にでた。」
2002年夏期「自分の部屋で、人生なんて考えられるか?」
2002年冬期「冒険が足りないと、いい大人になれないよ。」
2003年春期「この旅が いまの僕である」
2003年夏期「E=(Km) 旅の楽しさ(enjoy)は、距離の二乗に比例する」

ざっとこんな感じ。
〈ご自身の17~18歳位をお探しくだされ〉

なんともないフレーズだけど写真との相乗効果でイメージはどんどん膨らむ。
そういうワタシも17歳の夏休みこれを使って東京へ学校見学に行った。
新幹線でビューンと行くのもいいが、一駅一駅止まっていく旅は楽しく苦にならなかった。
町と町が繋がっている、人と人とが生活している、、、
生活の地理的な幅や距離がありながらも、また次の町で違う人が違う幅の中で生活していて、繋がっていく、、、
なんだかホッとしたような記憶がある。
自分は田舎から大都会東京へ行くのだけれどロケットで遠い星に飛んで行く訳でなく、
ちゃんと地続きで自転車でだって行き来できるのだ(こりゃないか
なんとも3次元的な考え方だこと(笑
17歳の少女には時間をかけて行く過程に意味があったんだと思うわ~(桃井かおり風に

まぁそんな昔話はおいといて、今度はちゃんと只見線狙い撃ちね(リンダかい
そうそう、17歳の少女も腰が痛くなって次からは新幹線でしたとさ(笑












































ふと気付くとこんなものが、、、。





















冗談はやめてーー!
随分みちくさしたが目的地に向かうのだ!


つづく。







二分化される女子

2012-06-12 17:20:02 | みちくさ





なんとも母校とは懐かしいだけでなく野暮ったい思い出まで引きつれてくるもんだ。
その野暮ったさをまた懐かしく思っていたりするから、、、
ワタシもちょっと大人になったということだろうか(笑











作家林真理子さんに言わせると、
30代半ばになる頃、女は「いい女」と「おばさん」に二分化されるらしい。(えぇーーー!!もう遅い
そして12、3歳の少女達にも分別の時がやってきて、、、
15歳のときにどういうポジションにいたかということですべてが決定してしまうという(ギョッ
なんとも恐ろしい二分化説だこと。

そういう自分はいったいどのポジションだったのか、、、。
まぁ美しい部類ではなかったことは確かだろう。

















ここで象徴的な野暮ったい思い出がよみがえる、、、。

男子とは無神経に女子を評価しランク付ける遊びがある。
まぁこれもよくある話。

どんな場面だったかよくおぼえていないが、一年男子が先輩女子達の話をしていた。
3年生女子はキレイどころばかりだという他愛も無い話し。
聞いていたワタシもそうよねーキレイな人ばかりと相打ちしていたと思う。
すると男子の「豊作だよなー」にピクリ?!何?!
じゃあ2年生は?の問いに男子「不作だな」

ワタシはおかしいーーと思いつつも、ちと気になり、、、
じゃあ「1年生は?」の問いに言葉を濁す男子達。。。
答えない男子に詰め寄ったところ、、、





「キョウサクゥーーーーー!」





といって逃げっていった。
















なんとも男子の無神経さには呆れたが、3年「豊作」2年「不作」1年「凶作」とな。
今では同窓生の笑い話である。
「ワタシらなんてったってキョウサクだもんねーーー!」とギャハハ笑うおばさんらは、
まさしく二分化された「いい女」ではないことは確かだろう。

















あぁー購買で売ってたウチヤマの40円ドーナツが食べたい。









にいがたみやげ

2012-06-06 06:10:21 | みちくさ




新幹線MAX(2階)を降りるときには、
きまって頭を荷物置きにゴッツンこ。
これワタシだけ?!

さっ新潟市にむかいますよ~。
地元人がみる看板はなんだか痛痒いような印象。
なんでだろうー。



















子供の頃ポロポロこぼして怒られたな。
「うぅーーんルマンド」と言って食べるのがワタシ流。
注)マンダムを知る人も少なくなったなや。






















よっしゃーーベストポイント逃しませんよ英樹!




















あちゃーヒデキーーー(笑






















日曜日の新幹線。








































はい到着、新潟駅~。
新幹線の旅GRⅢでした。









いっぽんでも

2012-06-03 21:49:55 | みちくさ





久しぶりの新潟市。
新幹線に乗るのは研修だから時間厳守だから。
そして一本早いのに飛び乗るのがワタシ流。
だってGR君がお供だから一本分みちくさしたいから。
しかし緊張でいっぱいいっぱいの到着。
やっぱ一本早くしといてよかったよかった。
気持ちの余裕は一本じゃ足りなかったようです。


なんだかんだでただいま♪






駐車場にて

2012-05-19 18:59:00 | みちくさ




霧がワタシをよんでいる!

ということで朝早めに出てみました♪

新しくなったばかりの駐車場の正面は東方向。

越後三山と八色の田っぽが広がっています。











































そして桑の木、土手、雑草。









































喜んでいるのはワタシひとり。
何してるの?と思われながら静かにカメラを仕舞い玄関へと急ぐのであった。。。
さて夜勤仮眠します!








水辺の星

2012-05-03 07:00:00 | みちくさ






本家(父の実家)は大きな屋敷で山のすぐ側に建っていた。
大農家で農作業の手伝いに借り出されるとワタシもよく父についていった。
春は蚕の世話をした。
父達が桑畑で刈ってきた桑の枝をぼこさま(蚕のことをこうよんでいた)の上にそっと乗せるのがワタシの仕事。
仕事といっても幼稚園の頃だからまね程度だろう。
山側の庭に建つ大きなビニールハウスには一面の蚕がいて、ムシャムシャと何千何万もの蚕が桑をたべる音がしていた。
最初は怖かったし気持ち悪かったが、
大人たちがとても大事に扱う様をみてすぐに「大切ないきもの」と思え怖くなくなった。
大量の桑の葉があっという間になくなるのには本当に驚いた。
だから何度も桑畑とハウスを耕運機が往復する意味がわかったし、大変な作業だと思った。
まね事のお手伝いに飽きるとすぐ側に小川があってそこで遊んでいた。
その小川にはこの黄色い花がたくさん咲いていた。
ちょろちょろと流れる小川は子供ながらに心地よくその水音も好きだった。
この花を摘んだり沢ガニを探したりして遊んだ。
この小川はちょっと変わっていて、
山の林の中から裏庭を横切り、屋敷の蔵と家をつなぐ廊下の中を突っ切って流れていた。
その廊下部分では漬物樽が浸かっていたり、野菜が冷やされていた。
なんだかとてもうらやましかった印象がある。
「家の中に小川!!」と目をまんまるにしていたと思う。
何時のうちか、ぼこさまを飼うことはやめてしまいお手伝いに行くこともなくなった。
やがて山の裾野に広がっていた桑畑も徐々に姿を消していった。
養蚕業が盛んだった昭和の頃に、ちょっぴり自分がいたことをこの花をみて思い出した。
あの小川のちょろちょろ水音やひんやりと冷たい気持ちよさを懐かしく思う。
しかしあの小川はやっぱりすごいと思う。
究極のエコだ。
通路の戸を開けていれば小川の冷気が家の中に入り夏はとても涼しかった記憶がある。
時代の流れとともにその屋敷はもうないけど、陶芸家が好んで住んでいたこともあった。
昔の暮らしはとっても魅力的だったと思う。
今「家の中に小川が欲しいんですけど」なんて建築家にお願いしても無理だろう。
カメラで覗いた黄色い花は、
ぐっとアンダーにしたせいか、昔の夜空に瞬く星のような気がした。