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"忠太"奮闘記

法事に思う

2011-01-20 15:40:05 | 雑談

今年3月は義母の25回忌に相当するが、繰り上げて今日お寺で法要を営んだ。
父の50回忌は一昨年無事済ませ、これが最後の年回忌になるかもしれぬ。
お寺さんから25回忌法要の案内をいただき、23回忌の間違いでは?と調べたところ真言宗では25回忌があることを知り、
不勉強を恥じる。

毎年、祥月命日には必ずお参りを済ませ、年回忌もしてきたつもりだった。
体調不良の年にうっかり、義母の23回忌を飛ばしていたのかな?といろいろ調べるうちに宗派によって若干異なることを
初めて知った。

十数年前まで、父の命日の墓参りはもっぱら母が担当。自分はお盆やお彼岸と祥月命日位にお参りする程度であった。
社会人になって2年目に父が病臥に伏し、そのまま黄泉の国に旅立ったが、当時家の仏壇にお参りするのが照れくさく、
〝男は、仏壇に手を合わせるより、残った家族の生活を支えるのが最大の務め〟とか言ってなかなか素直に手を合わせる
ことができなかった。

定年退職前に墓を建てようやく親孝行ができた。(つもり)

米ソ冷戦終結後、民族間の紛争や宗教間の対立などが顕在化するだろうといわれていたが、案の定の昨今。
かつて「仏教徒は他宗教と戦争をしたことがない」と聞いたことを思い出し、早速検索してみたら矢張りそうらしい。

理由はいろいろあるようだが、あるサイトで鈴木秀夫という人が「森林の思考・砂漠の思考」という本を出しており、
それを読むと理解できるとあった。
折を見て読んでみたい。
※昭和53年(1978年)NHKブックス刊「Amazon」で入手できる。

生れ出て以来「お宮参り」「七五三」は神社、「クリスマス」だけは俄かクリスチャン、
そしてあの世へは圧倒的に「お寺さん」・・・・と、散々お世話になる割に信仰心が薄く、宗教の違いに寛大なわれわれには
宗教戦争など無縁のようである。

それにつけても「何とかならんか、内輪もめ」。   “忠太” 

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