写真:2021/9/19~22 北信濃(北信州よりこちら?)
写真上:姨捨山(おばすてやま※通常の姥捨山:うばすてやまとは漢字も読みも違うのですね)神社・冠着山(かむりきやま)は巨岩に寄り添い落ち着いた雰囲気
またまた新変異株のオミクロンに世界中が揺れています。「デルタより感染力が強い」とか「毒性はそれほど強くなく、死亡者も少ない」とか「ワクチンはおそらく効果があるので追加接種しよう!」など、新しい株がでるたび不安と心配が再来します。
コロナ禍において「ウイルスは自己保存のために自然に弱毒化する」とか、「ワクチンが集団免疫をつくるゲームチェンジャーだ!」さらに「治療薬も内服薬もめどがついた」などと伝わり、希望や期待が膨らんでいますが、結局のところどうなん?大きな波が静まると「ああこれで終わるだろう」という安堵に反して、次々と新型登場にやりきれない思いがつのり、「世界的パンデミック」の実態を否応なく知らされています。
ところでこの変異株、WHOがギリシャ文字の13番「ニュー」を避けたのはわかるとしても、14番「クサイ」を飛ばしたのは、中国・習近平主席の「習の英語表示がXiだから配慮した」(米FOXニュース)のだとか。確かに「Xi」を引くと「ギリシャアルファベットの14番目」以外はたいした意味がないようで(?英英は見てない)、そう考えるのも納得。
でも日本では「Xi:クロッシイ(NTT通信サービス名)、クスィー(機動戦士ガンダム登場人物)、サイ(ソニーゲーム名)」などがあります。まあ日本語「クサイ」はいくばくか抵抗がありますが、同時に「怪しい」意味もあるのでかえってぴったりだったかも? それにしても「じゃあ、オミクロンは日本のおみ氏への忖度はなかったのか」とネットではかまびすしいようす。(笑)
それはさておき日本の現状はコロナ感染者減少により、社会も落ち着きを取り戻し、心も平静となりホッとしますね~。一説には日本社会の、特に外出時などでの「しっかりマスク・密や接触を避ける・大声自粛」に象徴される感染対策意識が功を奏しているとも言われます。
すると読売オンラインサイトのコラム「マスクの『顔パンツ化』を考える」(2021/12/14 編集委員:山口博弥)が目に付きました。「マスクが顔パンツ?確かにそう見えないこともないけど…」。
実は「…習慣化したマスクを、ずっと外したくない人が増えている。もしコロナ禍が終わっても、マスクはつけ続けたい。マスクを外して顔を人前にさらすのは、人前で下着を脱ぐのと同じ。マスクはもはや顔のパンツとなった」というわけです。
以下内容を短くまとめます。…マスクは顔の欠点を隠したり、不要なコミュニケーションを避ける効果があり、日用品流通の情報基盤を運営する「プラネット』(東京)が、2021/3月実施した約4000人へのネット調査「新型コロナウイルス感染症が落ち着いたあとも外出時にマスクをしようと思いますか?」では
・季節や状況に関係なくマスクをつけたくない…15.9%
・季節や状況によっては、自分の判断でマスクをつけようと思う…47.8%
・積極的に身につけようと思わないが、周りでマスクをする人が多ければ、
マスクをつけようと思う…11.8%
・外出時は積極的にマスクをつけようと思う…24.5%
となり、つまりほぼ4人に1人が「積極的なマスク肯定派」なのです。まあ調査者が日用品関連なので、肯定派が多めになる傾向はあるのかな?
外国のニュースでは「マスク反対運動、デモ活動実施」などが報道されていますが、日本人は従来あまり自己アピールしない、他の人々とのコミュニケーションが苦手、人間関係がやや煩わしい、などといった気質がマスクに象徴されているようですね。
個人的にも、朝のすっぴんゴミ出し時には「帽子+メガネ」が必携でしたが、最近はマスクだけでカバーできます。そして外出時も他の視線がまったく気にならず、なにげに守られている感だってあります。しか~しそれでもマスクには消極派!なんでって蒸れるし、メガネが曇るし、なにより歌が唄いにくいよ~。
このようにマスクをつけることひとつとっても、結果的にコロナ感染症は人々のコミュニケーションを低下させ、連携や連帯意識を低下させ、みんなと一緒に盛り上げて楽しい活動…といった機会を奪い、孤立化に向かわせているのでしょうね。
*** 次回・明日は最終回 ***
写真上下:”姨捨山の田毎の月”前夜はちょうど中秋の名月、さぞ美しい景色だったことでしょう。
写真下:長野県と新潟県の境にある栄村・秋山郷の渓谷
とにかく水が美しい!
とにかく山と谷の深さが半端ない ちょっと隣まで行くのに一山超えることも
写真下:コバイケイソウが咲き始めた