今日は初めてのお客様のとこへサービスに入りました。
このお客様ですがターミナル・ケアでした。
ターミナル・ケアのお客様にもいろいろな方が居ますがこの方は気持ちが落ちてます。
それにまして認知症があり奥様の話ではここ数日で症状が進んでいるとの事でした。
その話し方からも投げやりな言葉が垣間見え、さびしいのでしょうか奥様の姿が見えないと不安になってしまうようです。
奥様のほうはなんと言うか凄いパワーを持っている方で、一日に10回以上もベッドから車椅子への移乗をお一人でしていたとの事です。
自力で立つことも立位を保つこともできない人をです。
お客様の体は大きいのに対して奥様は身長も小さくましてや膝に病気を抱えて居ると言うのに。。。
人の介護に対しては「やりすぎちゃいけないよ」と思ったり言ったりしていたそうですが、一転して自分がその立場になったときにはそれができなかったそうです。
よほど頑張っていたのでしょう。
今回が初めて介護保険を使っての介護となったわけです。
ターミナル・ケアのお客様への訪問は実はあまり得意ではなかったのです。
と言うのも、そのケアのお客様のご家族は独特の雰囲気をもって居るからなのです。
介護や医療と言う現場に携わってない方にはあまりこのターミナル・ケアって言葉に耳慣れない人も多いのではないでしょうか。
●ターミナル・ケアとは●
終末期の介護・・・がんの末期など、治癒の見込みがなくなった患者への緩和ケアを指し、対処療法に重点を置き、痛みの緩和を第一に考えます。
患者が可能な限り平穏に、安らいだ時を送れるよう、精神的に支えることにも重点が置かれています。
ご自分のご家族がこのようになってしまったどうでしょうか?
ましてや50年も連れ添った方がそうなりしかも落ち込んでしまっている・・・・
聞いただけでもそのご家族と会って話すのは言葉を選ぶと思いませんか?
しかもかなり慎重に言葉を選びながら話をしないとなりません。
しかし今回のお客様でオイラは考えが変わりました。
その奥様は「今はとても幸せです。 先日金婚式を迎えたんですよ」と明るく話しをしてくれました。
それは強がってる様子でもなく本当に心からこの人と一緒に生活してきたことを喜んでいました。
そしてきちんと受け止めポジティブな考えで明るくそして介護することを喜んでいました。
そのお客様は失語症もあったのですがヴーやアーの言葉に「あ、これねはいはい」とさすが50年連れ添っただけのことはあると感心させられるようなツーカーの仲でした。
あんなの見ると熟年離婚とか騒いでる人が馬鹿に見えてきますね。
障害を抱えながらも元気に明るく「幸せですよ」と言える。
なんて素晴らしいんでしょうか。
オイラはこの仕事に携わって本当に人の幸せと言うものを見せていただきました。
確かに嫌な事も多いです。
でも、今回オイラが体験していることはドラマでも文章でもなくリアルな体験なのです。
目の前にある現実を一緒にその場立ちその事に関係しているのです。
確かベトナムでも同じような感覚にとらわれたことがありました。
地雷で足を無くした子供たちが元気に走り回ってる姿や、明るい笑顔を振りまいてる姿を見たときに感じました。
見えている風景は同じでもてもその裏表のないキラキラとした目で見た物はオイラには感じ取ることはできないでしょう。
しかしそれでもその子達の素直さやその中での幸せな表情には感動させられました。
生きるって言葉や命って言葉の重さを改めて感じることができました。
その時の感覚とちょっと似ていました。
このお客様ですがターミナル・ケアでした。
ターミナル・ケアのお客様にもいろいろな方が居ますがこの方は気持ちが落ちてます。
それにまして認知症があり奥様の話ではここ数日で症状が進んでいるとの事でした。
その話し方からも投げやりな言葉が垣間見え、さびしいのでしょうか奥様の姿が見えないと不安になってしまうようです。
奥様のほうはなんと言うか凄いパワーを持っている方で、一日に10回以上もベッドから車椅子への移乗をお一人でしていたとの事です。
自力で立つことも立位を保つこともできない人をです。
お客様の体は大きいのに対して奥様は身長も小さくましてや膝に病気を抱えて居ると言うのに。。。
人の介護に対しては「やりすぎちゃいけないよ」と思ったり言ったりしていたそうですが、一転して自分がその立場になったときにはそれができなかったそうです。
よほど頑張っていたのでしょう。
今回が初めて介護保険を使っての介護となったわけです。
ターミナル・ケアのお客様への訪問は実はあまり得意ではなかったのです。
と言うのも、そのケアのお客様のご家族は独特の雰囲気をもって居るからなのです。
介護や医療と言う現場に携わってない方にはあまりこのターミナル・ケアって言葉に耳慣れない人も多いのではないでしょうか。
●ターミナル・ケアとは●
終末期の介護・・・がんの末期など、治癒の見込みがなくなった患者への緩和ケアを指し、対処療法に重点を置き、痛みの緩和を第一に考えます。
患者が可能な限り平穏に、安らいだ時を送れるよう、精神的に支えることにも重点が置かれています。
ご自分のご家族がこのようになってしまったどうでしょうか?
ましてや50年も連れ添った方がそうなりしかも落ち込んでしまっている・・・・
聞いただけでもそのご家族と会って話すのは言葉を選ぶと思いませんか?
しかもかなり慎重に言葉を選びながら話をしないとなりません。
しかし今回のお客様でオイラは考えが変わりました。
その奥様は「今はとても幸せです。 先日金婚式を迎えたんですよ」と明るく話しをしてくれました。
それは強がってる様子でもなく本当に心からこの人と一緒に生活してきたことを喜んでいました。
そしてきちんと受け止めポジティブな考えで明るくそして介護することを喜んでいました。
そのお客様は失語症もあったのですがヴーやアーの言葉に「あ、これねはいはい」とさすが50年連れ添っただけのことはあると感心させられるようなツーカーの仲でした。
あんなの見ると熟年離婚とか騒いでる人が馬鹿に見えてきますね。
障害を抱えながらも元気に明るく「幸せですよ」と言える。
なんて素晴らしいんでしょうか。
オイラはこの仕事に携わって本当に人の幸せと言うものを見せていただきました。
確かに嫌な事も多いです。
でも、今回オイラが体験していることはドラマでも文章でもなくリアルな体験なのです。
目の前にある現実を一緒にその場立ちその事に関係しているのです。
確かベトナムでも同じような感覚にとらわれたことがありました。
地雷で足を無くした子供たちが元気に走り回ってる姿や、明るい笑顔を振りまいてる姿を見たときに感じました。
見えている風景は同じでもてもその裏表のないキラキラとした目で見た物はオイラには感じ取ることはできないでしょう。
しかしそれでもその子達の素直さやその中での幸せな表情には感動させられました。
生きるって言葉や命って言葉の重さを改めて感じることができました。
その時の感覚とちょっと似ていました。
私だったら・・・と、できるだけ具体的にイメージするのですが、できません。
どんなに、自分がしてきた経験を照らし、つなぎ合わせても、やっぱりその場にいないと。
そして、当人じゃないと。
そんな前提で、あえてコメントさせてください。
やはり、すごい一般人はいるな、と。
私の嫁さんのおじいさんのことを思い出しました。
私は、かなり年配の方と会話した経験が浅く、そのおじいさんとの会話は、うまく成り立ちません。
だけど、一緒に生活してた人たちは違うのです。
当たり前ですけど。
言葉を選び、会話する。
会話というか、思いやる。
私のクラスの保護者にもいらっしゃいますが、そういうことを職業にしている人は、すごいなと素直に思います。
そして、どんな状況でも、「この人と一緒になれて幸せ」と言える日々を送っていける、そんな人生を生きたいと思います。
おそらく話すお年よりは聞いてもらいたいだけと感じます。
聞いてあげることが癒しであり安心になるのでしょう。
幸いにも私は今までの職場でお年寄りが多くその為に話す機会も多かったのです。
中には戦争時代に零戦を作っていたなんて方も居ました(w